刺青老女(ばあさん)に会いたい (上)   宮本神酒男
The Search for Tattoo Ladies
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飾り窓の女ならぬ竹楼の窓の刺青女。これがはじめてチン族の刺青女性を見た瞬間。

 15年前にはじめて雲南・独竜江を踏査し、顔に刺青を施したおばあさんたちに会って以来、顔面刺青のことが頭の片隅から消えることはなかった。なにしろ生まれてこの方、そんな人々に会ったことがなかったので、衝撃は大きく、夢にまでその紋様が出てきたほどだった。

 『魏志倭人伝』に倭人の風習として「男子皆鯨面文身(顔や体の入れ墨)す」という記述がある。古代中国では「鯨面」(通常魚偏ではなく黒偏。海洋民族なので魚偏にしたのだろう。クジラとは関係ない)は重い刑罰のひとつだった。古代中国人にとっては、男とはいえ顔に入れ墨を入れるなんていうのは信じがたい奇習だったのだろう。

 そういった観念をもつ中国において、たとえもともと中国の領地でなかったにせよ、女性がみな刺青を入れるのは不思議なことだった。いまでは刺青を入れたおばあさんをときおり見かける程度だけれど、一昔前までは部族社会のほぼ全員が入れていたのである。もしいやがる女性に強制的に入れていたのだとしたら、人権侵害でもあるし、部族全体の悲劇だったともいえるだろう。

 よく言われるのが、他の部族の男たち、あるいは優勢な民族(漢族など)にさらわれないため、顔に刺青を施したという理由である。これは独竜江でもチン族の地域でも聞いたもっともらしい話だ。しかしそれはネガティブな理由であり、女性たちにとっては生まれながらの理不尽なハンディということになってしまう。

 あるとき、古い資料をめくっていて、ハッとした。何十年も前の十代の女性のモノクロ写真があった。彼女は顔に刺青を入れているのだけど、さわやかに笑っていて、しかもとても可愛らしかったのだ。こんな女の子をどこかの国の王子が見たら、恋に落ちてしまうかもしれない! 他部族にさらわれないために刺青を入れるという一見常識的な理由が成り立たなくなるのだ。

 私がふたたび独竜江へ行ったのは、そういった疑問点について確かめたいと思ったからでもあった。しかし独竜江でなんたることか、私は意図せずひとりのおばあさんを泣かせてしまい、すっかり落ち込むことになってしまった。そのあたりの経緯については、独竜江の章を見ていただきたい。

 独竜江で顔面刺青のおばあさんたちと再会を果たしたなら、ほかの地域の刺青ばあさんと会いたくなるのは当然のことだろう。アジアにはもともと顔面刺青の風習が広がっていた。しかしこの半世紀のあいだに絶滅に近づいている。

 中国・海南島のリー族には顔面刺青の習俗があった。かなり昔の話になるが、海南島の町を歩いていて、すれちがったおばあさんの顔に刺青のようなものが見えたので、あわててシャッターを切った。ピンボケ写真になったので、それが刺青なのか痣(あざ)なのかよくわからなかった。

 何年か前、台湾に滞在中テレビを見ていたら、ほとんど最後の顔面刺青女性というおばあさんが出ていた。アミ族か、あるいはサオ族だったかと思う。それからも何年かたってしまったので、台湾原住民(先住民)の刺青の風習もすでに途絶えてしまったかもしれない。

 今回の旅で私はベトナム中央高原からラオス南部へと移動したが、この地域のいくつかの民族、とくにカトゥ族の女性は顔面に刺青を入れていたことで知られる。残念ながらベトナム側には刺青女性が生き残っている可能性はほとんどなく、ラオス側もすくなくともボラーヴェン高原ではだれも刺青女性のことを知らなかった。その周辺の奥まった地域には多少可能性があるのだが。

 ミャンマー西部からインド・アッサムにかけては刺青女性の最後のパラダイスかもしれない。舟で移動しながら私は村々を訪ね、何人もの刺青女性と会うことができた。独竜江で多くの刺青女性と会った経験から、顔面刺青は刑罰や他部族にさらわれないための刻印ではないと確信するにいたっていた。

 今回刺青女性と話をしながら、以前の自分からは信じがたいことだけど、ふと、彼女らと結婚してもおかしくはないという考えが浮かんできた! 結婚はともかく、彼女らはとても魅力的で、性格もよく、茶飲み友だちくらいにはなれそうだと思うのだ。そう思わせるということは、この近辺では比較的偏見の目で見られることが少ないということなのだろう。