実力者ラザン汗に活仏かどうかの疑念を抱かれる
さて話を戻すと、ラプジャムパ・タクパ・チュペ(Rab ’byams pa grags pa)らが呼ばれ、修辞学などを教えた。尊者は詩学の造詣も深く、これ以上なにを学ぶ必要があろうかと思われるが、算命術などを深く研究されたのである。前述のように予言に示されたごとく、北方で調伏する必要が迫ったとき、デシやラザン汗(rGyal po lha bzang)はこの機を利用しようと考え、またチベットの官吏らの福のなさから、災いが引き起こされたのである。
ラザン汗は内地(北京)に信書を送り、尊者が本当に活仏であるかどうか疑いがあると知らせた。そこで皇帝は人相術に長けた特使をラサに送った。人相術師は尊者をはだかで座らせ、前後左右、さまざまな角度からつぶさに観察した。そしてこう言った。
「この大徳が五世の転生であるかどうか、私にはわかりませぬ。しかれどこの聖者のからだはすべての徴をそなえておられます」
そして人相術師は頭をこすりつけるように礼拝し、都へ戻っていった。
このあとデシとラザン汗との軋轢はますます大きくなっていった。皇帝はチャクナ・ラマ(Phyag na bla ma)とアーナンダカー(A nanda kha)を問題解決のために送ったが、彼らがラサに到着する以前にラザン汗はデシを殺してしまったのである。欽差大臣がラサに着いたとき、紛争がすでに勃発していたが、ラザン汗はことば巧みに取り入り、不可避な事態であったことを納得させた。
北京へ向かう六世に刺客の影が忍び寄る
こうして火の猪の年の秋、尊者が二十五歳のとき、内地に招かれた。尊者は羊八井(ヤンパーチェン)を通り、ニェンチェン・タンラ山の前に至ると、山神をうやうやしく祀った。
曲がりくねった北道を進み、ドンカ・ギャナク(sTon ka rgya nag)湖畔に着き、チャクナ・ラマとアーナンダカーに会った。ふたりは厳しい口調で言った。
「あなたがたはこの教主様を運んで、どちらに留まるというのか。どのようにお世話するというのか。まったくそんなことに意味があるのか」。
人びとは皇帝の特使のことばを聞いて震え上がった。生命すらもお守りできるかどうか、不安を駆られた。そこで人びとは言った。
「望みはただこの世を去るか、あるいは出奔し、痕跡を残さないか、そのどちらかしかありません。もしそうでなければ、われらの生命はなきものとなるでしょう」。
人びとは異口同音に懇願した。
私は言った。「あなたがたはラザン汗となにを画策したのか。どうやら私は皇帝の宮門の金の檻に到達し、謁見するということはなさそうだ。(あなたがたも都に)もどるということもないだろう」。
この一言で特使たちは不安に駆られたようだった。彼らは私を暗殺する計画をもっていたことを縷々とのべた。そこで私はこう言った。
「私があなたがたを害したり、私利私欲を求めたりということはない。私の死でもってことは終わらない。私に起こったさまざまなできごとについて、さらに何を言うことができるだろうか」。
このあと多くの人が私を礼拝するために湖畔にやってきた。ある日彼らに我々が居留している場所に木材をもってくるよう頼んだ。そのなかに天幕をたてるために使われる杜松の木があり、それを私が地面に挿したところ、翌日、それ(杜松)は成長をはじめたのだった。