カムで天然痘にかかる

 ジャン(’Jang 麗江あたり)への道を探ったがわからず、目的地をギャルモロン(rGyal mo rong)に変え、進んだ。カルギャ寺(dKar rgya dgon)というヴァイローチャナ派(Bai ro’i chos lugs)に属する寺院に着いた。近くにヴァイローチャナ大師が修行をしたという岩洞があり、すごしやすかったので、私はここに何ヶ月も滞在した。この間私の験力は増し、吉兆も何度か出現した。仏にかけた願がかなったのか、お布施をしてくれる人は後を絶たなかった。

 それからツァワロン(Tsha ba rong)へ向かった。土の鼠の年の七月、荒れ果てて辺鄙なドルゲ(Dor dge)という場所に着いた。ここは草木が茂り、野生の果実が成り、土地は広かったが、人は少なく、楽土のようだった。当時カム地方には天然痘がはやり、無人化した村も少なからずあったと聞いていた。しかし自分のからだもおかしくなり、動けなくなるとは思いも寄らなかった。「恐ろしい病気にかかってしまったのだろうか」と自らに問いかけた。どうしようもなく、私は葡萄の木の下に倒れこむと、全身に腫れ物はあらわれ、水ぶくれができるのがわかった。激痛が走り、耐え切れなかった。顔や全身が腫れ物で覆われたので、目を開けようにも開けられず、からだの向きを変えようにも変えられず、おまけに飲み食いもできないので、飢えと渇きに苦しむことになった。日中の日差しはあぶりだすように強いのに、夜の風は骨にしみるほど寒く、地獄のさまだった。苦痛はあまりにもはなはだしく、意識がもうろうとして、何日、何夜すぎたのかもわからないほどだった。

 虫の息といったありさまのとき、最後の力をふりしぼって上師三宝にお祈りを捧げた。前世の悪業を取り除き、疫病が消えるように切に祈った。こうして十数日が経過しただろうか、全身の疱瘡は膿み、衣服も膿みとまじってぐしょぐしょに濡れたので、シラミもろともに絞った。生き物を殺したのでさらに罪状は深くなっただろう。

毒の実を食べるも、少年に救われる

 手を動かすことはできたので、手を伸ばして葡萄の実をとり、すこし食べると、いくぶん元気が出たように思えた。さらに二十数日たち、病状は回復に向かいつつあったが、動くことはできず、それでいて胃の中はからっぽだった。「この疫病で死ななかったにしても、餓死してしまうかもしれない!」と本気で心配せざるをえなかった。

 こんなとき大きなカラスが上空にやってきて、一片の肉を落とした。それを食べると、いくらか体力が戻ってきた。この肉を食べながら(これが人家からくすねられたものであるなら)人家のある村まで歩けないだろうかと考えた。木の枝を拾って杖にして、私は歩き始めた。なんとか歩けたが、とうてい遠くへは行けそうになかった。

 と、大きな木に赤い果実が成っていたので、取って食べた。ところがそれは毒の実だったらしく、おなかが絞られるように痛くなり、もうこのまま死んでしまうのではないかと考えた。このただならぬ痛み、だれが耐え切れるだろうか!

 そのまま朦朧としていると、夢の中に二十歳くらいの黄色い衣を着た美少年が現れ、言った、「こっちへおいで!」。同時に虚空から声がした、「これは毒だよ、食べてはいけないよ!」。また別の声がする、「でも毒を薬に変えることのできる人には害を与えないよ」。

 「毒は汝が生み出したもの。その毒が、果実なのだ。されど汝の力で、それは甘露のごとく美味で、身体に効く薬となるのだ。汝の旅はそうして成就されるだろう」。

 その声によって私は目覚めた。からだは軽くなり、陽光を浴びて温まった。

 山を越え、谷を渡り、進んでいくと、岩の上にまさに夢の中で見た少年が座っていた。私は小躍りし、彼との邂逅を喜んだ。少年はこの先の道や村の様子を事細かに説明してくれた。またこう付け加えた。

「もうすこし行くと、村の上のほうに霊験あらたかな岩洞があります。どうかそこへ行ってください。私はいま忙しくてお供できませんが、あなたとの縁はただならぬものがありそうなので、のちほどお会いすることになるでしょう」。

 そう言うと少年は深い森の中にふっと消えた。