山南(ロカ)、そしてツァリ聖山への巡礼

 篭りの修行を終えたあと、ングー・ドゥプを連れて、山南(ロカ)方面へ向かい、サムエ寺(bSam yas)、タドゥク寺(Khra ’brug)、オルカ(’Ol kha)、メトクタン(Me tog thang)などを巡礼してまわった。

 鉄の虎の年(1710年)、ツァリ聖山(Tsa ri)への巡礼の旅に出た。当時ツァリの寺にはドゥプトプ・マルポ(Grub thob dmar po)というカギュ派の高僧がいて、呼吸法を収め、気(ルン)と心(セム)を自在に制御した。私はこの僧から勝楽(ヘールカ)の二法、ル(lu)とディ(dril)による潅頂を受けた。またナーローの六法についても教わった。

 このあと私はゲロン・ングー・ドゥプを帰らせ、ツァリにひとり残り、人の火のあるところを避け、ぼろ布をまとい、トゥンモの修行に励んだ。ときには高僧のもとを訪ね、教えを請うこともあった。 

秘密の洞窟にダーキニーたちが現れる

 ツァリに来て数ヶ月たったある日、女人がやってきて言った。

「我が家の女主人がそなたさまを呼んで法事を行なうことを願っています」。

 私は高僧に相談し、許可を得て、ひとりの僧侶とともに、女人のあとを歩いていった。我々が岩窟の前に着くと、女人は僧侶に向かい、

「あなたはここで止まりなさい」

と言って、追い返してしまった。

 洞窟のなかに入ると、洞窟の扉は自動的に閉まった。女人のあとをずっと歩いていくと、あらゆる宝石が輝く大きな広間に出た。そこにはダーキニーがたくさんいたが、なかでも人間の女性のような顔をしたのがヴァジュラ・ヨーギーニではないかと思われた。しばらくして供法輪の儀礼がおこなわれた。ダーキニーたちは金剛の歌をうたい、金剛の舞を踊った。このめずらしい光景を目の当たりにして、心を奪われた。たった一日にあいだに起こったことであったが、里に戻ると、七昼夜をへていたことがわかった。 

オルカ雪山で聖ツォンカパやヘールカの姿を見る

 そのあと私はツォンカパが修行なされたというオルカ雪山へ行った。聖者(ツォンカパ)の洞窟にこもり、花精や石丸を服用する辟穀(へきこく)術などを実践した。およそ十一ヶ月、修行は中断することがなかった。

 ある日空中に五色の虹の輪が現れ、その真ん中には祖師ツォンカパの尊い御姿があった。祖師の胸には橙色の文殊菩薩がおられ、祖師の周辺にはギェルツァプ・ジェやケドゥプ・タムジェなど八人の高弟の姿があった。このすばらしい光景を見て、無限の厭離心が生じてくるのだった。また敬虔なる心に満たされ、祖師の加持をよろこぶのである。

 ある日はヘールカの御本尊が現れた。その御手、御顔、どれをとっても清楚で尊いのだった。右にアティーシャ、左にグル・リンポチェを従え、前には師ツォンカパがあらせられる。周囲にはあまたのダーキニーが舞っている。このとき天からか細い雨が降ってきて、洞窟のなかにたまったので、それを沸かして飲むと、心中は言い表しがたいほどの喜悦で満たされた。辟穀の効果があったのか、身体は軽く、心地よく、いつでも禅定に入ることができ、前世の記憶を蘇らせるなどの神通力を発揮することができた。

 人間の世界で飲食を取っていたとき、とくに他人のお布施による食事に頼っていたときは、法力が衰退し、悟りを得ることはできなかった。

 

オデ・クンギェル雪山で青獅子と出会う

 鉄の兔の年(1711)の七月、サムテン・リンをめざした。山を回り、越え、オデ・クンギェル雪山(’O de gun rgyal gyi gangs ri)の頂で香を焚くため、香木を集めた。山頂は風もおだやかで日和もよく、空には雲ひとつなく、遠くが見渡せた。山頂で神香を燃やしたあと、サムテン・リンの方向へ下っていった。途中、犬の爪のような跡が雪上についていた。それがなにかはわからなかったが、跡をついていった。しばらく行くと青い牡ヤギのような獣がいたが、よく見るとそれは青いタテガミをもった獅子だった。いままで獅子を間近に見たことがなかったが、じっくり見ると、不思議な生き物である。 

サムテン・リンで捕らえられる

 雪に閉ざされた山上は危険きわまりない。割れた峡谷は暗く、底知れぬ深さがあり、足を踏み外したら、二度と戻ってこられないだろう。忍耐強く下山し、雪道と林が交差する地点に出たところで、小坊主を連れた、サムテン・リン(bSam gtan gling)から来た僧と出会った。

「今日雪山の頂に火が見えましたので、人がいるのではないかと思いました。ここは険しく、人がいるはずもございませんが。それで確かめようと近づいて参りましたら貴下と出会った次第です。貴下がいかなる理由でどこから参られたか、わかりませぬが」と怪訝な様子である。

 この老僧は賢者として名高いヨンデン・タルギェ師(Yon tan dar rgyas)だった。師は私を家に招待しようとしたが、私は断った。その夜は祖師ツォンカパが修行したという洞窟に滞在した。師は小坊主に洞窟までお茶をもってこさせた。しかし彼らに正体を見破られるのではないかと恐れ、そこはそそくさと離れた。

 後日聞いたところによると、その日オデ・クンギェル山の頂に上った煙は多くの人に目撃され、吉祥のしるしが現れたとして、官府に報告されたということだった。

 翌日サムテン・リンに到着し、しばらく滞在した。しかし私のことがラザン汗に察知され、捜索の手が伸び、ついに私はオルカ・タクツェ・ゾン(’Ol kha stag rtse rdzong)の山頂のあずまやに幽閉されることになった。周囲にはたくさんの看守人がいて、昼夜見張った。

 ゾンプン(rdzong dpon 地方官)は、モンゴル人のジェサン(Jas sang)という階級の者と顔見知りのチベット人のドゥンコル(Drung ’khor)という階級の者だった。チベット人は私にたいしてうやうやしく接していたが、モンゴル人は横柄だった。囚われの身の時、私は修行に励んでいた。ある夜、満天に星が輝き、月は皓々と輝いていた。悶々としていると、天に大威徳本尊の御姿が現れた。その御身体は銀色に輝き、顔や手足もはっきりと見えた。それが次第に消えていったあと、窓という窓、扉という扉はすべて開け放たれた。このとき逃げ出そうと思えば、逃げ出せたかもしれない。しかし私は高いびきをかいて眠っている看守たちを揺り起こし、

「守衛のみなさま、窓も扉もみな開いてますぞ」。

 看守たちは眠そうに起き上がりながら、窓や扉を閉めようとするが、ある者は泣きながら、「逃げようと思えば逃げられるのに、どうしてお逃げにならないのですか」と言う。 

女神の助けで脱出

 サムテン・リンに十五日ほどいたが、ラサン汗からの書信が届いたらしく、私はヤクに乗り、十二名ほどの守衛とともにラサへ護送されことになった。しかしグカルラ(rGod dkar la)峠の手前で突然赤い風が巻き起こり、そのなかに神女が現れ、告げた

「早く行きなさい!」。

 護送していた守衛らはみな地面にばたりと倒れ、人事不省に陥っていた。赤い風に誘われるように、私はグカルラ峠を越えた。私は考えた、ラサン汗がすでに気づき、人びとも怪しんでいる今、高飛びすべきだ、と。そうして昼も夜も休まず移動し、コンポ地方(Kong yul)にたどりついた。