ネパール巡礼
ゆっくりと進み、ようやくガマルン(Gha ma rung)またの名をガダブル(Gha dha bur)という城市に着いた。水の竜の十月四日、ネパール国王は王妃や官僚をつれてインドの聖地へ向けて出発した。私とロギャはまず仏塔チャルン・カショル(Bya rung Kha shor)などの聖地を参拝した。仰ぎ見るとこれは自然に成った自在天の男根である。我々はネパールの習俗にならってミルクを献じた。ここは以前パムティンパ・クチェ・ドゥンシン・ドゥプパ(Pham mthing pa sku mched ’khrungs shing drub pa)が悟りを開き、また彩銅観音(’Ja’ ma li)を献じたところである。チベットからもマルパ翻訳官(Mar pa rotsa ba chos kyi blo gros)が来て錫杖を置いた。アティーシャ尊者やパダムパ、ダルマボディらインドの聖僧もこの地へ来て加持をしていった。天然にして成る男根は印象深いが、ダーキニーが住む二十四の地のひとつである。『聖楽続』によると「自在天の男根が自然に成るところで行者が修行すれば、達成はより早い」のである。ここで修行できたらなんとすばらしいであろう! そう思うといっそう敬虔な気持ちになるのだった。
聖人であるかどうか調べられる
ネパール国王と眷属たちはインドへ巡礼の旅に出るというので我々ふたりも同行した。約一ヶ月ともにしたあと、国王は我々に金銀を賜い、一向は北の方へ巡礼の旅を続けたが、我々は南方へ向かった。途中たくさんの村落を過ぎ、大きな村に着くと、村人が集まってきて、なにやら喧々諤々の論争をはじめた。彼らはひとりの老婆を連れてきた。その老婆はさまざまな法術に通じているらしかった。老婆は私をある建物のなかに引っ張り込み、私の服を脱がせ、くまなく体を調べ始めた。そして突然尊敬のまなざしで私を見始めたかと思うと、すべての村人を呼んだ。彼らはひれふして、私を拝み始めたのである。当時我々はインドの当地のことばをまったく解しなかったが、ただ菩提心をもって接し、彼らが祈祷するにまかせて、その村を去った。
インドに入り、チベット人巡礼集団と会う
インドには広大な荒地が広がり、クシャ草があらゆるところに生えていて、ところどころには孔雀を見かけた。あるときは一本道が伸びているように思えたのに、気がついたらクシャ草のなかに道を失っていることもあった。そんな道は孔雀が水や食べ物を探すうちにできあがったものだったのだ。ほかにも象、水牛、犀、猿、蛇など動物がたくさんいた。さまざまな色、種類の鳥もいた。また巨大な竹、ビンロウ、カリロク(蔵青果)、ニクズクなどの薬材、野菜や果物もじつに多くの種類が見られた。冬だというのに、雷雨が降ることがあった。奇異なことばかりだった。
ある日たまたまチベットから巡礼の旅に来ていた僧の集団と出会った。彼らと仲良くなり、数日いっしょに歩いていると、荒れ果て、ひっそりとした村に通りかかった。村の中央に寺廟があり、なかは広かった。周囲の廊下に我々一行は泊まることにした。
ゾンビと戦う
深夜、内側から鍵がかけられていた扉が突然開き、男女ふたりのゾンビ(ro lang)が踊り狂うように、飛び出してきた。鳩の群れにハイタカが闖入したときのように、我々は逃げ惑った。私を除くすべての人がゾンビの火花が飛び散るようなビンタを食らった。彼らはときには「カ、カ、カ」と高笑いし、ときには喜怒哀楽を顔にあらわした。
私はうしろからゾンビに襲いかかり、彼らの髪をひっぱり、地面に投げつけた。ひとりはぴくぴくと痙攣し、ひとりは足で踏みつけた。そして懐から秘密のプルバを取り出し、それを振り下ろすと、ゾンビたちは硬直して動けなくなった。私はいまが絶好の機会と仲間を呼んだが、彼らはどこか遠くへ逃げていた。私はひとりで石をもち、ゾンビたちに打ちかかった。彼らは傷つき、瀕死の状態である。私は仲間に、もう危害を加える心配はないですよ、と叫んだところ、おそるおそる戻ってきて、倒れたゾンビを見てただ驚いてばかりいる。
仲間の僧侶たちは、「この巡礼者は遁世した高僧にちがいない」などと話し合っている。そのなかのひとりの老僧が私に向かって言った。
「尊者さま、今日もしそなたがいらっしゃらなければ、我々はみなゾンビに殺されていたにちがいありません。ほとんど鬼門関の扉を叩いていたところです。貴下の大恩、忘れることはできません」。彼らとロギャ全員が私の足元で涙を流しながら五体投地し、(保護を願う印として)わが足に頭を当てた。
私は彼らに言った。「たしかにゾンビは凶悪であり、恐いものである。しかしもっと恐いもの、それは輪廻(から脱却できないこと)である。とくに三悪趣(すなわち畜生、餓鬼、地獄)の恐怖。昼夜途切れることなく、永遠に、終始その恐怖はおまえにからみついてくるだろう。もし輪廻から脱却することができないなら、せめて悪趣から脱却したいと思うだろう。それは善悪の業の果に応じているのだから、善行、悪業の取捨選択こそが重要なこととなるのである。もし正しい道を捨て、色狂いに走ったら(それは悪行である)。それとおなじように、恐いからと一目散に逃げるような者がただしい果を得られるだろうか。ミラレパもこう言った、心が逃げられないのに身体だけ逃げたとて、何の益になるだろうか、と」。
このとき私はすこしおしゃべりにすぎたようだが、ほとんどいまでは何としゃべったか覚えていない。あのゾンビについてはよく覚えている。ひとりは髑髏に筋だけついた者、ひとりは皮と肉と頭髪だけの者。まったくもって羅刹のようで、人を慄然とさせるものがあった。とくに前者(髑髏と筋)は調伏するのが難しいといわれる。以前からよく、死後「入筋」したゾンビは、「入肌」したゾンビより厄介であると聞いていたが、まさにその通りであった。
その夜みなの恐怖心は消え、寺廟の廊下で飲み、食べ、なんの心配もなく眠ることができた。翌朝は早起きし、みなで同じ行程をたどった。五日後、大きな村に着くと、何人かが近寄ってきて、尋ねた。
「あんたたちはどっから来たんだい? おれたちの両親はこのまえ死んじまってゾンビになっちまったんだ。おれたちは懸命に逃げてここまで来たんだ。以来だれも村には行ってねえんだよ」。
そう言って、驚きの表情を浮かべている。モンユル地方から来た巡礼者はインドの言葉もわかるので、彼らに通訳をさせ、村で起こった事の顛末を伝えると、彼らは驚き、賛嘆してやまなかった。
聞くところによると、ゾンビの手が頭の上にのったら、その人は一日以内に死ぬという。ただしこの力を出すのもたいへんで、(新米の)ゾンビはビンタを張るのが精一杯だった。そのため私の庇護もあったが、それだけでなく、ゾンビの力不足が幸いした面もあったのである。