第三部

定められた六世の北方行

 賢人はかくのごとく言う。

  奇妙な聖なる旅は無限につづく。
  神さえなしえぬようなはるかなる旅路。
  いくらかの敬虔なる気持ちでもって、
  そのわずかなりとも書写せんと(我思う)。

 尊者の聖なる巡礼はあまりにも規模が大きく、筆者にとってそれを記述するのは大海に浮かぶ粟のごとく(無力)である。ともかくここは尊者がドメ(現在の青海・甘粛)に到達して衆生に福をもたらしたことについて記したい。

 かつてダライラマ五世は夢を見た。ポタラ宮にひとりの兵士が現れた。あまりにも恐かったので、裏門から帽子もかぶらず、裸足で北方へ向かって逃げた。目を覚ましたあと、はっきりとこう考えた。「いつかこういうことが本当に起こるだろう」と。

 前にも引用した御言葉にも、

「普陀(ポタラ)山の頂上……チベットの北方からさたに北方へ行くだろう、頼る主のいない衆生を救うために」。

 ここにはっきりと示されている。チベットというのはチベット十三万戸であり、北方とはドメ地方のこと、二番目の北方とはモンゴルを指している。それらの地方へ行って衆生を救うということなのだ。 

ラサから青海へ、そしてロギャとの永遠の別れ

 火の猿の年(1716年)の春、尊者は(ラサ・大昭寺近くの)メル寺(rMe ru)の勧進僧十五名にロギャと尊者を加えた十七名で隠密にラサを出発した。道中、尊者はシャプ・ドゥン・ツァンという尊称で呼ばれ、ラマとして丁重に扱われた。秋、黄河(rMa chu)を渡るとき、ひとりの僧が流されてしまったが、ほかは無事に青海湖(mTsho sngon)に着くことができた。

 青海に滞在すること一ヶ月、一部の僧はラサへ帰っていった。ロギャは疱瘡が発症する可能性があるため、北上はせず、青海湖に残ることにした。数名の僧は尊者とともに北上することになった。別れのとき、尊者はロギャに言った。

「そなたには深く感謝してやむことがない。いつまでも忘れないため、よすがとなるもの、たとえば刀や火鎌を譲ってくれないだろうか」。

 ロギャは喜んでそれらを献じた。以来ずっと尊者は刀と火鎌を肌身離さず持ち、「ロギャの恩は一生忘れない」と口癖のように唱えるのだった。
 

ひとりセルコ寺を訪ねる

 尊者はほかの僧を西寧に残し、ひとり遊行僧の姿をしてセルコ寺(gSer khogs)へ向かった。夜、僧坊の一室を借りて泊まった。その晩、護法神がメー・ラマ・ドゥプチェン・ツァン(Mal bla ma grub chen tshang)に予言を告げた。

「明朝ツァンヤン・ギャツォが汝の家の前に降臨されるだろう。よく歓待し、間違いがあってはならない」。

 この高僧は年を取り、足も障害をもっていたとはいえ、準備は怠らなかった。早起きし、僧らに命じ、掃除をし、玉座を整え、祭品などを設えた。

 翌朝夜が明ける頃、尊者はセルコ寺に来て本殿の周囲をまわりはじめた。前日高僧ロサン・ペンデンもまた予言を受けていたので、本殿の後ろに身を隠し待っていた。偶然を装い尊者と出会った。出会うと即座に身を地面の投げ、礼拝した。尊者は言った。

「シャルパ・レクパ・ギェルツェン(Zhwa lu pa legs pa rgyal mtshan)は、いらっしゃってますでしょうか?」。そのとき以来ロサン・ペンデンはシャルパという名で広く知られるようになった。

 辰の刻、尊者はメー・ラマの方丈の前にお越しになった。ラマは中にいたので、側の者(ソポン)に命じた。「ツァンヤン・ギャツォさまが門前にいらっしゃっている。早くお迎えしなさい!」

 ソポンは暗に思った、「ラマは年をとって、ぼけたのだろうか、変なことをおっしゃる」。しかし命令に背くわけにもいかないので、とにかく門の外に出てみた。そこにいたのは遊行僧ただひとり。尊者にはとても見えなかった。メー・ラマのもとにただちに戻り、報告した。メー・ラマはあわてて言った。

「それだ、その人だ。ほかにだれがいるというのだ? すぐお迎えしなさい!」。

 ラマは足が悪かったが、ふたりの僧をつれて門に向かい、お香を焚きながら尊者を出迎えた。尊者はためらわず本殿のなかに入り、用意された玉座に座った。メー・ラマは尊者の足元で叩頭し、頭を撫でて祝福するよう頼んだ。寺内の僧たちはなにが起こっているかよくわからず、うつけたような目つきで眺めていた。しかしメー・ラマと尊者が長い時間歓談をしているのを見て、しだいに疑念が取れてきただけでなく、尊敬の念を抱くようになった。このことがあってから、セルコ寺の僧たちはいったいこの尊者はどなたであろうかと内輪で話し合い、驚嘆の念を禁じえなかった。

 尊者は寺の本殿を礼拝した。その日はおりしも弁論大会が行なわれた。尊者は座した僧の列の前を通って仏像の全面へ行き、叩頭した。そして口をゆすぐ瓶をもった僧の列に並んだとき、弁論を行なおうとしていた僧が、かつて尊者を何度も見ていたのですぐそれと気づき、近づいてきて、摩頂を請うた。尊者はその僧に摩頂を与え、その場を去った。その日の弁論大会で勝者となったのはその僧だった。彼はライバルに遅れを取っていたが、尊者が摩頂を与えたことによって勝利を得たのである。