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 ブキャナンはつぎのように述べる。

 ビルマ帝国で話される三つの方言を付け加えたい。それらはあきらかにヒンドゥー国家の言語から分離したものである。最初の方言は、モハンマダン(イスラム教徒)が話す言語。彼らは長い間、アラカンに居住し、自分たちをルインガ、すなわちアラカンのネイティブ(先住民)と呼んでいる。

 第二の方言はアラカンのヒンドゥー教徒が話す言語だ。(……)彼らは自身をロッサウン(Rossawn)と呼ぶ。そして私にはよく理由がわからないのだが、彼らは自分たちの言語が標準語だと主張した。本当のアラカンのネイティブによって、これらの部族はクロー・ヤカイ(Kulaw Yakai)、すなわち(アラカンのよそ者)と呼ばれる。[訳注:ヒンドゥー教徒がきわめて重要なことを話しているのに、ブキャナンはその意味を理解することができていない。ビルマ系ラカイン人は10世紀にやってきた新参者にすぎない。またクロー・ヤカイはカラー・ヤカインだろう。すなわちインド系ラカイン人]

 残る方言は、ビルマ人によってアイコバッと呼ばれるヒンドゥスタンの人々の言語である。彼らの多くはアマラプラで奴隷だった。

 とくにギル・クライスト氏には感謝の念が尽きることはない。とくに二つの言語に関してよく綿密に精査してくれたことに対して。

 最初アラカン人は歴史の裏打ちがないとして、ロヒンギャという言葉を否定していた。歴史上の証拠がたくさん明るみになると、今度はおなじアラカン人たちが、ロヒンギャはベンガル人がラカインの人々に対して用いた言葉だと主張するようになった。たとえば、ウー・キン・マウン・ソーはつぎのように述べている。

ロヒンギャという言葉はアラカン北部のチッタゴニアンのベンガル人ムスリムの自称となった。しかしそのような名前に歴史的根拠はない。チッタゴンのベンガル方言では、ラキン(Rakhing)の地、あるいはアラカンは、ロハン(Rohan)やロサン(Rosan)、あるいはロヒン(Rohin)と呼ばれ、ラキン(Rakhing)の人々やアラカン人は、ロハンギャ(Rohangya)、あるいはロサンギャ(Rosangya)、ロヒンギャ(Rohingya)と呼ばれたのである。Rohang(Rosan, Rohin)+gya(人)である。これらはベンガル語起源だが、分離独立論者のムスリムの一部は、自身をアラカンのネイティブであると認識し、アラカン(ラカイン)のベンガル語における本当の名前をいわば乗っ取って、自分自身をロヒンギャと名づけたのである。

[原注:ベンガル人は仏教徒ラカイン人をロヒンギャとはけっして呼ばない。彼らをマグと呼ぶ。ベンガル人が彼らをロヒンギャと呼んだというウー・キン・マウン・ソーの主張は根拠がなく、ばかげている]  

 

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