シャンバラの原理 

1 はじまり 

 ある朝早く、12歳の私は父親から部屋に呼ばれました。父の心に伝えるべき何か重要なことがあるのはあきらかでした。部屋に入ると、父はベッドの上に坐っていました。窓からやさしい光が射しこんでいました。父は起きたばかりのようでした。私が近寄ってお辞儀をすると、父は愛情のこもったしぐさで私を手招きしました。そのしぐさとは裏腹に強烈な存在感がありました。父は私をしばらく抱きしめました。それはとても長く感じられました。それから私の目の奥まで見据えて、父は言いました。

「おまえはつぎのサキョンになるのだ」

この言葉は私であったところの、そして私がなるであろう存在の琴線に触れました。それはまた緊張がゆるんだ瞬間でもありました。エネルギーがあふれだしたようでもあり、同時に圧迫されたようでもありました。私は父の目をまっすぐ見て、沈黙のなかにもわかりあえる力強い何かを感じ取りました。私の残りの人生にとって意味深く、奥深いものが伝達されたのです。

 サキョンとはチベット語で「大地の守護者」という意味で、世俗の、同時に聖職の統一された権威であることを示しています。それはよき人間社会を創るために、人生を送る人を代表しています。世界の利益のために勇敢さと善良さを示します。

 インドにはこれと似たものに、ダルマラジャ、すなわちダルマ王がいます。中国には聖なる支配者、聖王がいます。西欧でいうなら、プラトンの哲学王でしょうか。シャンバラの教えでは、それは覚醒した勇士にあたるでしょう。それは大地を守護するだれかであって、攻撃する武器を守るのではありません。しかし軍備に関する言葉を使って、父は慈しみ、勇気、智慧を表わしました。

 私の父、チョギャム・トゥルンパ・リンポチェは名高い瞑想のマスターであり、詩人、学者、芸術家、そして主宰者でした。父は地上でもっとも偉大な精神的王国で、本格的なトレーニングと教育を受けた、チベットの偉大な教師の最後の世代のひとりでした。

 彼のふたりの教師、シェチェン・コントゥルとケンポ・ガンシャルは輝くような存在でした。彼らは奥深い瞑想家であるだけでなく、哲学者であり、学者でした。父は彼らの第一弟子であり、彼らは2500年のあいだ守られてきた古代の聖なる教えを父に伝授しました。

 重要なことは、仏教のタントラのもっとも高みにある、「大いなる完成」として知られる教えを伝えたことです。それは意識と経験のもっとも高いレベルにおいて、比較と絶対の本性がおなじであること、非局所性の場所で、時と空間が互いに融け合うことを教えています。

 私の父は東チベットの戦士王リンのケサルの子孫でした。ケサルは攻撃性に打ち勝って調和をもたらし、平和をもたらしました。勇敢な英雄であるケサルは、人間がもつ善性を信じ、リンの国の人々が内部の、あるいは外敵の攻撃によって混乱し、無秩序に陥ったとき、彼らの精神を高揚させ、力を発揮させることができました。このように私の父は先祖の戦士精神の血統だけでなく、王者の威風も引き継いでいました。

 厳しい天候と深い瞑想的自己反省のユニークな混合から生まれた豊かな古代文明のなかで、父は成長し、人間の本性は善であると、そして社会はこの善性をあきらかにすることができると信じてきました。精神的リーダーとして、東チベットのスルマン地区の統治者として、人間のふるまいの愚かさと徳性につねに接しながら、スピリチュアルなこと、現代的なこと両方に通じていました。物事に対処するとき、基本的な善性を信じるという原理を守り、つねに強さを発揮していました。

 世界はスピードと攻撃性を得たものの、生態系は危機に瀕し、人は本来備わった善性を忘れてしまっています。しかし退廃しきって、慈悲の心もなく、怒りや嫉妬ばかりの人生にもかかわらず、人間の善性は手つかずに、隠れたまま残っています。人間は本来善なる存在であることを思い起こさせるのが、父の願いでした。

 父はきわめてまれな才能に恵まれた若者でした。当時チベットに存在していた広大な、複雑な知識を吸収するだけでなく、予言的なヴィジョンを見ることができたこと、将来起こることを洞察する能力をもっていることでも知られていました。彼はチベットの崩落も予知することができました。そのことはのちに彼の脱出を助けることになりました。彼自身だけでなく、何百人もの人々がヒマラヤを越えてインドへ逃げるのを助けたのです。

 才覚、鋭い知性、深いヴィジョンなどを持っていたことから、父はいつも高僧や国王らから、世俗の人々と同様、アドバイスを求められました。深い精神的洞察を得ながら、日々の世俗的なことを処理していくうちに、次第にヴィジョンが生まれてきました。覚醒した社会というヴィジョンです。その核となるのは人間の善性を知ること、認識することなのです。伝説的な国、シャンバラに鼓舞され、このヴィジョンが生まれました。シャンバラは平和と幸福と繁栄の国です。父は人間と社会の本性について熟考を重ねながら、文章を書きはじめました。それは何巻もの分厚い本になったのです。のちにこの著作は「シャンバラの宝の教え」として知られるようになりました。

 そしてチベットが侵略を受けているあいだ、父は人々の残虐で野蛮な行為を目の当たりにしました。彼らは攻撃性にとりつかれてしまっていて、もともとあった善性をすっかり失っていました。町も、村も、寺院もみな破壊されてしまいました。僧侶、尼僧、友人らは拷問にかけられ、死んでしまいました。暴力がピークに達した1959年、彼は故郷から逃走しました。その時代の、そして精神的にも統治者であった彼は、家も国も持たない難民となってしまったのです。

 故郷を強制的に離れさせられ、途方もなく大きな未知の世界に飛び込むことになった父は、人間の本性と社会の概念について熟考するようになりました。逃走しているとき、ヒマラヤ山脈の高いところからインド平原を眺めました。そのとき覚醒した社会を、智慧と思いやりのネットワークを創るというヴィジョンが生まれてきたのです。そのような社会は内在する善をたたえ、勇気づけることでしょう。そしてすべての文化や伝統の智慧を開拓するはずです。彼はそのような社会を創るための必要不可欠な本質的要素は勇敢さだと思いました。この勇敢さは人間のなかにかならずあるのです。同時に彼は、これを成し遂げるためには、心を開き、度量の大きな人間にならねばならないことを悟ったのです。

 のちに彼が呼ぶようになったシャンバラの「目覚めた社会」のヴィジョンは、どうしたらよき人間社会ができるかを教えてくれました。同時に彼自身が属する古代からつづく文化が破壊されつつあることを自覚させました。目覚めた社会に関するインスピレーションは、チベットの再生ということではありませんでした。彼自身文化に対する知識を十分に持っていないと感じていたからです。

むしろ人類の発展のなかで存在した「よき社会」に願いを託したのです。この地上に善くて威厳ある人間性を存在させたい、という深く、強く、明白な欲求が彼の人生の核となりました。彼は知性、心を捧げ、この深遠なインスピレーションをもたらすために尽力をつくしました。

 父の目覚めた社会のヴィジョンは、ユートピアの物語ではありませんでした。世界で起こっていることを純朴に理解しただけの調和を尊ぶグループを作ろうとしたのでもありませんでした。それは人間の野蛮さの恐怖から出てきたものだったのです。彼は身近な人間の退廃ぶりを目撃したので、よき社会を創りたいという願望はとても強かったのです。彼には人を許し、認め、見つめなおす能力を持っていました。このように、目覚めた社会のヴィジョンは人間の心のありようから生まれてきたのです。

 父はこのヴィジョンをいだいたことによって、目覚めた社会を創造したいという目的を持って、西欧の教育を受ける決心をしました。彼はインドで英語を習い、1963年にオックスフォードで学ぶために英国に渡りました。そこで彼は西欧哲学と比較宗教を研究しました。彼は神学を学び、日本の芸術、とくに生け花と書道に興味をもちました。家を失い、放浪をしていた父は、いま発見と吸収の旅をしていました。

 これは簡単に友人や家、国を失ってしまうことがあると言っているのではありません。不確かな時期があり、自分のアイデンティティに疑問を投げかけることがしばしばあったのです。

オックスフォードに着いたとき、父は依然としてチベットの伝統的な衣装を着ていました。皮肉なことに、この伝統服は数千年前にまでさかのぼることができる古くて格式のあるものなのですが、人には突飛な服装に見えました。あたらしい環境のなかに入ると、尊敬されるべき精神的権威のある人物であるはずなのに、日常からはみだした、あやしげな風体の男に映ったのです。変人だと誤解されてしまいました。人々は「あなたはだれですか」と問うかわりに「おまえは何だ?」と聞いてきたと父自身が語っていました。そんなとき父は「私は人間です」と答えたそうです。

 運に見放され、残酷で冷笑する人間性の一面を見て、人は基本的に善良さをもつというシャンバラの原理に、父は疑いの心をもちはじめたかもしれません。これは理解できることですし、正確でさえあります。彼には、ホッブスや他の哲学者のように、人の一生というのは孤独で、貧しく、不快で、残忍で、あっという間に終わってしまうと結論づける権利があります。

 しかしながら暗黒の時代でさえ、父は基本的な人間の善性に確信をもっていました。実際、いくつもの文化のなかを旅することで、かえって疑いと皮肉の時代のためのメッセージを出す決心を固めたのです。

 残りの人生において、父は他の人々に、基本的な善性があることに目覚めてもらうようつとめました。彼はチベット仏教を現代世界に広める推進役を担ってきました。しかし彼は単純に精神的指導者と呼ばれることに満足していませんでした。むしろサキョン、大地の守護者と呼ばれたがっていました。サキョンとして人類全体を助けたかったのです。

 このように彼はシャンバラの戦士精神についての教えを導入しました。戦士精神はそれが人間性とつながっていることを強調し、あらかじめ備わった善性を認識し、善良で覚醒した社会を確立するための方法として、やさしさと勇敢さを通して交流するのです。

 父が私をじっと見つめたあの朝、重大な瞬間がやってきたことを私は認識しました。父にとってはなじみ深い、彼の存在の核心ともいえるこの奥深いヴィジョンのために、責任をもつ覚悟があるかどうか私にきいてきたのです。ドラマティックで波乱に満ちた人生を通じて、彼はこのヴィジョンを、すなわち善き人間社会のなかで生きたいという欲求をいだきつづけました。その父がいま私に大地の守護者となるかどうか聞いているのです。

 父との重大なやりとりがあった日以来、私もまたチャレンジの旅をつづけてきました。ときには理解するまでの道のりが険しく、人間の本性にまでなかなか至りませんでした。父の場合とあまりに違いすぎたわけではありません。私たちが生きているこの世界の苦悩と攻撃性を体験しながら、基本的な善性の原理は試されているのです。大地の守護者という役割を理解するというのは、つまり疑いや心の喪失ということにたいし、人間性を守る役目をもつということなのです。こうして大地を守護するということは、まさに精神を守るということなのだという結論にいたりました。

人間性のなかにあるのは善性です。それは生きていて、活発に活動しています。しかしこの時期は不確かさと恐怖の暗闇に包まれていました。もし一瞬でも自己反省したなら、私たちの人生が、そして他者とのつながりがすばらしいことを理解し、善性がいつも私たちを守ってきたことを感じ始めるでしょう。自分たち自身の善性を感じ始めたときは、意味のないことのように思えるのですが、それは大地震が発生したときのような変革なのです。私たちの本性にたいする疑いから解放され、人間の可能性の広大なあたらしい地平線を見ることになるのです。

 紀元前5世紀頃、ブッダとソクラテスは地上を彷徨し、人間性がもとから備えた善性について彼ら自身の結論にいたりました。いくつかの理由から、この結論にいたらないこともあるでしょう。というのも人間性はいま批判の十字路にさしかかっているからです。この惑星とこの種人類)の本性について私たちは考えを重ねています。そして注意深く結論を出さなければなりません。経済的な気まぐれと多くの自然災害は、私たちへのウェイクアップ・コールかもしれません。

 精神的にも私たちは十字路に立っています。相互依存と一時しのぎを繰り返したので、世界は手におえないほど大きく、私たちはけっして支配されることがない、あるいはひとつの宗教に統一されることはない、などと言っていられないのです。さまざまなユニークな宗教を私たちは支えなければなりません。なぜならそれらは人間性によって織りなされたものだからです。その多様性と複雑さが、本性そのもののように、私たちを強くしてきました。同時に統一された原理にしばられるなら、人間性はひとつの家族のように思えるでしょう。善性を基本とするシャンバラの原理はこうして力を得るのです。