シャンバラの原理 サキョン・ミパム       宮本神酒男訳 

プロローグ 

 

 われわれ人類は歴史の十字路にさしかかっています。われわれは世界を壊すことも、よい未来を創り出すこともできるのです。気候をみても地球の表面ではバランスがドラマティックに変化しています。私たちの生態系は不安定で、壊れやすい状態にあります。私たちの種としての未来は私たちの行動にかかっているといえます。

 しかしいまこのときも、人々は日々の暮らしに汲々としています。個人や社会の原理について深く考える時間もエネルギーもなく、未来の変化のことなど考えてもどうしようもないような無力感を覚えてしまうのです。私たちがどう進んでいくかは、精神的伝統や経済、政治体制によるのではなく、むしろ個人的、社会的に、「私たちはだれなのかを感じること」によるべきなのです。

 人間の、あるいは社会の本質とは何でしょうか? ここに光を当てると、人間の本質がもっとも重要なグローバル・イシュー(国際問題)であることがわかります。

 シャンバラ原理は、深遠な伝授、すなわち言葉ではル耐えることのできない智慧の転移の中心にあるます。人間性と社会は基本的によきものであるはずです。私はこの智慧を、シャンバラ原理を現代世界にもたらした私の父親、チョギャム・リンポチェから教わりました。

 基本的な善性の原理は、とくに宗教的とも世俗的ともいえるものではありません。核となる人間性が完成させているか、よいか、価値があるかという問題なのです。もし私たち自身の善性に確信がもてるなら、私たちの人生や社会は輝かしいものになることでしょう。

 このシンプルな原理は個人と社会の不可分の関係にも及んでいます。私たちの心が寄り集まって社会を形作る一方で、社会も私たちの心を形成するともいえます。日々の活動によって確信を深めることによって、基本的な善性が家や仕事場、病院、学校、さらにはその延長として、経済や政治にも影響を及ぼしていくことになるでしょう。

 以前は想像もしなかったのですが、テクノロジーの力が増したいま、人間の本性について熟考するのはとても重要なことです。使い方を間違えると、テクノロジーは私たちを孤立させます。テクノロジーにとらわれているあいだに、私たちは社会的、人間的に陥りやすい方向に感覚が麻痺してしまうのです。確信的にテクノロジーを使うなら、それはパワフルな乗り物となり、地球の運命を変えたいと願っている人々の国際コミュニティに参加することになるかもしれません。

 未来のために喜んで人を導きたいと思います。質問のなかに探求、発見、人生についての言葉、それらすべてが父との対話のなかに含まれています。記憶すべてを蘇らせたいものです。恐れを知らない社会のヴィジョナリー(未来を見る人)である父は、シャンバラ原理の精神を代表しました。私たち自身の善であるところの大地から、勇猛さを果敢に示しました。

 この本の目的はシャンバラの教えの細かいことまでさらそうというのではありません。また仏教哲学や西欧の思想や歴史を並べようというのではありません。シャンバラ原理はむしろ、父が表現しようとした洞察を文章にまとめ、光を当てようという試みなのです。

 彼の人生は古代と現在、西側と東側の両者に及んでいたので、彼の言葉を参照するのに、私たちの文化のなかの古い伝統を見ることもあれば、西側の思想や歴史を引用することもありました。多くの哲学体系のなかには違いがありましたが、大半は人間の性質や社会の性格をテーマとしたものでした。

 私はこの本を感覚、存在、感触というラインに沿って組織立てました。私たちは論理や理論を聞くことはできます。しかし究極的な変化や成長は、人間のレベルにおいて、触れられたときに起こるのです。それは個人的に何かを感じたり、体験したりしたときなのです。

 社会のレベルにおいてもそれは変わりません。われわれは天候の変化や人口過剰にはよく気づきます。しかし私たちを動かすのはダイレクトな体験なのです。自分の感じることが力を持っているのは、それがダイレクトだからです。

 チベットのラマという伝統を守る責任をもった精神的リーダーとして、またさまざまな現代のコミュニティの責任あるリーダーとして、私たちの個人的な人生のなかで起こる多くのことが理解できるようになりました。彼らが精神性や生計、家族といったことに関心があるかどうかは関係ありません、それらは社会の影響を受けるのです。

 私たちはライフスタイルを変えようとするかもしれません。しかし東に生まれて西へ行こうと、西に生まれて東へ行こうと、人間として、私たちはいつも基本的な問題と直面しています。つまり自分たち自身について、人間の本性について、社会についてどう感じているかが問題なのです。

 まさにこれこそが私の父が人生において、旅において経験したことなのです。彼は仏教文化が豊かなところからやってきたのですが、後半生の大半は、人間性に価値を感じることの必要性を、よい人間社会が創られうるという真実を強調しながら過ごしました。

 シャンバラの原理は、これらのテーマについての父との対話を基本とした本です。父にとってこれらのテーマは親しみがあるものでした。しかし自伝も回顧録も乳は残しませんでした。

 むしろ私自身が親になることによって、わが子が入ろうとしている世界について考えるうちにこの本が作られ始めたのです。それは困難な時代へのメッセージです。シャンバラの原理は、目覚めた社会を創るために、社会ヴィジョンを持った洞察のある瞑想に加わるよう、私たちに促してきます。

 社会がもし目覚めていない場合、シャンバラの原理は、その社会が潜在的に目覚めることができる力を持っていると認識する機会を与えてくれるでしょう。これ私の父が伝えようとしたことでした。その智慧がすべての存在に力を与えますように。