第一章

死の儀礼(Gwan)、あるいは浄め

 

 死者よ! よく聞くのだ、これから語ろうとしている精神的な救い、あるいは楽しい死出の旅を。運命に導かれておまえは世を去り、この道を選んだ。おまえの死の儀礼はわれわれが選んだふたりの祭司(Junkshyma)によっておまえの家で執り行われるだろう。新しい死者よ! ふたつの耳をあけてしっかりよく聞くのだ。われわれはまた「道」のプラダシャク(Pradashak)であるアマリチャ(Amarhicha)をおまえの像の右側に、イスタン(Isthan)のプラダシャクであるバリチャ(Barhicha)を左側に配置した。アマリチャもバリチャも天と地の創造神の物語を語りながら導いてくれるだろう。新しい死者よ、お前はこれからその物語を聞くのだ。

 さあおまえは新しい死者である。病はひどく悪く、治療の甲斐なく死に至った。隠者や占星術師による過去、現在、未来におよぶ吉祥の徴もはずれ、親戚縁者を悲嘆せしめる結果となってしまった。親戚縁者は家に集まり、おまえの葬式をはじめることになる。まずだれかが手の長さ五つ分の白布で骸布(四角い布)を作る。それから頭と足の方向からそれぞれ大きな針で赤と青の糸で縫い合わせていく。

 近親者によって死者の衣服が脱がされたあと、遺体は近親者の膝の上に置かれ、頭から足の先まで丹念に洗浄される。そしてギー(バター)が遺体全体に塗られる。頭の上には骸布の一角を、足には反対側の一角を載せる。両角とも特別な仕方で縫い合わせる。遺体にはマットが被せられる。

 食事が準備されるが、そのときに使用される食器は死者が生前に使用していたものである。グアナ・ユ(米酒)はアルミ製の壺に容れられる。ボロボロの布にくるまれた鉄製の香炉には火種が入っているが、これは火葬用の積み薪に火をつけるためのものである。それから近親者は棺桶を用意する。棺桶に遺体と死者の衣服が納められ、美しい布で覆われたあと、縄で棺が梱包される。近親者は棺桶を担ぐとき、頭に白いターバンを巻くが、ターバンと棺桶は布で結ばれている。これは死者を導くという意味合いがある。葬送の行列の先頭には死者の姉妹や(義理の)娘が食事と火のついた木片をもって歩く。近親の男たちは棺桶を担ぎ、行列の後方にはほかの村人たちがつづく。死者の娘たちは泣き叫びながら先頭を行く。行列が火葬場に着くと、人々は遺体を下ろす。そしてまず花が遺体の上にたむけられる。石が山積みにされ、積み薪が載せられる。遺体の頭は東方に向けられ、穀物が撒かれる。つぎに近親者によって故人の口に金や銀などの貴金属が入れられる。これは清めのためである。それからすべての参加者が青草をたむける。そして死者の息子や近親者が積み薪に火をつける。火が燃え尽きる頃、煙は村のほうへ向かってたなびいていく。積み薪に火をつけたあと、行列の参加者は死者の家に戻り、水浴びをする。家の中でお香がつけられ、灯明が点される。その香りには浄化作用がある。ふるまわれる米酒(ジャーンダ)もまた清めのためである。それから近所の人々も死者の家に集まり、死者の霊を悼み、遺族を慰める。近所の中から選ばれた人々は荼毘に付された遺体(asthu)から骨の余りを取り出し、特定の日にピンダ(ごはんを丸めたお握り)やスナック菓子を、腹をすかした死者に捧げるという役割を負う。

ピンダを捧げる前に、骨の余りを火葬場から持ち出さなければならない。荼毘に付された遺体(asthu)を守るため、ひとりの少女が自ら紡いだ羊毛の糸と手のひらサイズの一片の白布、家畜の首にぶらさげていた鈴、木の葉などを準備する。また遺体から骨を選りだすため、ひとりの男が竹製の火箸を携える。この男女はふたりとも衣服をさかさまに着て、手には剣をもち、近所の人々といっしょに火葬場へと向かう。火葬場に着いたら、まず男が石を灰の中に投げ込み、悪霊を退散させる。それから灰を火箸でまさぐって骨の余りを探す。関節の骨があればそれを拾い、持ってきた白布でくるむ。それをまた木の葉で包み、鈴の穴の中にはめこむ。少女がそれを背負い、白い羊毛の糸をもって帰路を取ると、ほかの人々も従う。死者の家に着くと、すべての人々が集まってきて、ピンダを死者に捧げる。家にはすでに儀礼用の甘い肉、小さな竹、赤と緑の糸、死者が生前に履いていた靴、水の入った鍋、麦焦がしの入ったアルミ製のボウル、大きな針、小さな鍬などが用意されている。人々はこれらを持ってカナパトゥ(アストゥが保存される場所)にやってくる。まず彼らは溝を掘り、溝にアストゥを入れ、平たい石で覆う。この上に靴と水の入った鍋を吊るす。鍋の底に大きな針によって穴をあけるので、水滴が滴り落ち、死者は喉の渇きに苦しむことはない。

 近所の人々が死者の家の庭でカナパトゥにアストゥを安置する頃、他の人々は屋内で最初のピンドゥを捧げている。はじめに少女が麦粒のいっぱいに入った皮袋をもってきて、中の麦粒を撒く。麦粒は鉄製の篩によって殻をふるい落とす。こうして容器は小麦でいっぱいになる。5ナイル(量詞)分の小麦粉が水でこねられる。小麦粉を練って、二つのダラ(dala)と呼ばれる円錐形の祭祀用菓子(チベットのトルマに似たもの)が作られる。このダラは少女によって捧げられる。さらに少女は唱える。「新しい死者よ! おまえにピンダを捧げよう。これからおまえはずっとピンダを食べていくことができるでしょう」と言いながら、少女はピンダを作り、死者に捧げる。死者の魂はいまやシミ・ガルバとかシミ・チャピナなどと呼ばれる。彼らは火床で焼きあがったピンダを死者が生前使っていた皿の上に置く。帽子をさかさまに被ったふたりの少女が、ピンダの盛られた皿、一杯の麦酒、松明をもって庭に出る。

 ふたりの少女は屋根から庭に出たあと、ピンダの儀式を終えてから、屋内にもどる。ピンダは村人によって作られ、「新しい死者の魂」として死者の近親者に贈られる。庭には木片が立てられ、さまざまな形象のダラが置かれる。それからピンダは火床で焼かれる。ふたりの少女は村人と近親者の数を数える。死者が安全に冥界へ辿り着けるよう、竹篭に(人数分の)ピンダが盛られ、そのうえに死者の衣服、アストゥ(骨)、棘のついた枝、馬の尾でできた箒などが置かれる。翌日ピンダは少女らによって村の上方から下方まで配られる。こうして「新しい死者にピンダを捧げる儀式」は終わる。

 新しい死者よ! ふたつの耳をあけてよく聞くのだ。いま、すべての親族縁者、界隈の人々が集まり、伝統的葬送儀礼、グワンを開いている。親族縁者はジャーンダ(地酒 *Chyaktii)やヤク(チャンワラ牛)の購入について論議している。ヤクは魂路上のバイタルニ(Baitarni)河を渡るときに役に立つだろう。翌朝、日が昇ると、ふたりのヤクトゥチャ(請負人)が選定され、彼らはヤクを買いに行くだろう。ヤクを買いに行く前、ふたりは食事を用意しなければならない。彼らはアクシャター(献じるための搗いていない米)をもち、死者に呼びかける。「新しい死者よ! われわれはいまおまえを救済するため、チベットのカイラス山にヤクを買いに行こうとしている。どうかわれわれの道中を守ってほしい」と宣すると、彼らは出発する。彼らはグンジ村のパクシャタムに到着すると、石の像を置く。そして彼らは、マニェラ(Manyela)、バクタ・バタン(Bhaktha Bathan)、ドゥジャーラン(Dujaallan)、ラーイラー(Laailaa)、フィルマカン(Firmakan)、シャルダウガ(Syardauga)、チチラ・マルティ(Chichila Marti)、ナワーパーニ(Nawaapani)、チュヌ・スパーハルト(Chunu Spaaharto)を経て、リプレク(Lipulek)に到達する。リプレカのあとシミ(Simi)、ムルプマ(Mulpuma)、パーラー(Paalaa)、そしてマガルマ(Magaruma)に達する。

 ふたりのヤクトゥチャは長い旅路のあと、チベットのササル・ガウカーで牧民のチャン・ドクパに会う。ヤクトゥチャは彼に対し、ヤク(チャルワ牛)を安く譲ってくれと頼む。彼らは金と銀と布を払って、ヤクを得ることができた。彼らは籾米をヤクの背に撒き、「新しい死者よ! おまえはこのヤクを選んだ。受け入れた印にヤクはその尾を震わせたのである」と述べる。ヤクトゥチャはヤクの角に縄を結び、鼻に孔をうがち、それに縄を通し、元の所有者に挨拶して、出発した。出発する前、彼らはヤクの角に刀で印をつけた。彼らはタクラパティ・ビャンス商人やパティ・チャウダンス商人が住むタクラコット城に着いた。それからすこし下ってマガルマ(Magaruma)の下方のリフィ・フォカチャナ(Rifi Fokachana)にある碑にお香を備えた。このあと彼らはバビ・ティンダチャ(Babi Tindhacha)を通ってリプレク峠(Liplek)に着いた。さらに、ふたりはダルメニ(Darmeni)、クシャマ(Kshyama)、シャンチマ(Syanchima)、ダト(Dhato)、トラワ(Thrawa)、ナチネ(Nachine)、サンジマカ(Sanjimaka)、シャンドゥガ(Syandugaa)と進んでいくが、邪悪な目にさらされることがないように、各所でプジャ(法会)を欠かさないようにする。

 ふたりのヤクトゥチャは、さらに下っていくと、ファサーダン(Fasaadan)にあるヴャサ(Vyasa)聖者のカンワ(Kanwa *Kangwa?)庵に至る。さらにグンジ村の下の杉の樹を過ぎて、ナルタ村(Nartha)の下のチャラム・シャンラーリ(Chyaram Syanraali)に辿りつく。

 こうしてヤクは村の祭儀場(maaban)に連れてこられ、村中の人が集まってくる。葬送の儀式の段取りについて話し合いがもたれ、期日が決められる。翌日、葬送儀礼の進行役(Junkshyamaa *Jaa kumsimo?)が呼ばれ、必要な準備をする。家の庭には宴が催される。儀礼のはじめ、穀物袋を携えたふたりの女(既婚と未婚)が製粉機を回す。ダラ(麦焦がしの菓子 *Dalang)はこの製粉機で製粉された麦粉から作られる。このようにして死者にはピンダ・ダナ(ダラン?)が供えられる。新しい魂も古い魂も、新しい死者からピンダをもっていかないよう説得される。この儀式のあと、ふたりの女は麦粉の入った袋を背負って家にもどる。

 村人は家に集まり、マハーピンダを亡魂に捧げる儀礼を行う。村の女たちは小麦を搗いてピンダ作りをはじめる。またチャパティを作る。ひとりの女が家族の数をかぞえ、木片の上に小麦粉と水を練って印をつける。マハーピンダ儀礼のために作ったチャパティはダルブ(dalbu)という竹篭のなかに入れる。その上にはバカンスル(Bhakansur)の邪視を避けるため棘のついた枝(Suchyinasi *Suchynasin? *nache)か馬の尾から作られた縄(Suri)を置く。また死者のために作られた男女の違いがある衣服を供える。帽子をさかさまに被った故人の娘らは松明をもち、竹篭を運ぶ。パーラク(Paalak)すなわち祭司(Junkshyamaa)は大きな筵を広げ、マハーピンダが作られる。祭司は家族の数を数え、木片に刀で印(Radhama)がつけられる。祭司は家に入り、清めのためチャパティを作るよう要請する。義理の娘が祭儀場のかまど(Osthi)に火をつける。楽隊が調子はずれの音楽を演奏し始め、場内は騒然とし、罵声や怒声が飛び交う。それから村人は葬送のごちそうに預かる。

 翌日日が昇る頃、死者の(義理の)長女は祭儀場(マーバン)からアストゥ(骨)を保存する場所カナパットゥ(kanapattu)に牛(chhagaranyaa)を連れてくる。隣人たち、娘たち、死者の姉妹たちがつづく。マーバンに着くと、籾米を撒きながら、彼らは言う。

「古い魂よ! われわれはおまえたちの葬式をすませ、ピンダ・ダナ(Pinda Dana *Danang)を十分捧げてきた。であるから、新しい魂に捧げたピンダ・ダナを持っていかないでくれ。葬送儀礼はまだ終わっていないのだから」。

 カナパットゥで儀礼を終えると、アストゥの上に白い布が置かれた。さらに長い木片、死者の靴、蛇除けなどが白布の上に投げられる。赤青色の糸(ラクシャ・バンダン Rakshya-Bandhan)が長い木片に結わえられ、ギーをまぜた麦焦がしハルワ(Haluwa)などの供え物マグギュアーディ(Magugyuaadi)やスレートも投げ込まれる。アストゥ(骨)が溝から拾われる。死者の服や装飾品でそれらは飾られる。牛はその右角に赤青色の印を刻まれる。村人らは牛に向かって言う。

「新しい死者よ! これからは、おまえはわれわれにとって神に等しいのだ。危機の際にはわれわれを救ってくれ。悪いことはわれわれにしないでくれ」。

 それに答えて、牛はぶるぶるっと身体を震わせる。

 カナパットゥでアストゥ(骨)が拾われ、牛の背中にのせられる。弓矢、剣もまた牛の背骨にのせられる。牛は棘樹の枝と馬の尾の縄で囲われ、魔の邪視を防ぐ。清潔な布が牛に結わえられ、魂の行く方向が示される。末の娘と故人の姉妹は牛の頭に布をかけ、家に向かって歩き始める。他の人々もそれにつづく。家に向かって出発する間際、村人のひとりが棘樹の枝で牛に触れ、逆方向へ枝を投げ捨てる。それからまた枝を(拾って)十字路に置き、魔が牛に入らないようにする。家に向かう途上、末のあるいは年長の(義理の)娘が揚げた籾米を牛の背骨のうえに捧げる。妹や娘らは死を嘆きながら、言う。

「新しい死者よ! もうこれからおまえと関わることは何もなくなるだろう。おまえはこれから絶対的な平和のうちにあるだろう」。

 村に近づくと、近隣の人々がピンダを牛に(死者に)捧げる。庭に着くと、さまざまな食べ物、お香、花などがいっぱい盛られた皿が(主婦によって)用意されていて、ジュンクシマー(Junkshymaa)が祭礼をおこなう。ジュンクシマーは言う。

「新しい死者よ! (供え物)に満足したおまえはこれから以後、神として、われわれを守っていくのだ」。

 さまざまな食べ物が主婦によって(牛を通して)死者に捧げられたあと、牛の右のあばら骨と口が清められ、ギーが牛の額に(浄めのため)塗りこまれた。牛にかけられていた衣服やターバンや装飾品が脱がされた。(義理の)長女はマーバン(祭儀場)に牛を運び、そこへつないでおく。小竹で編んだ大きな籠のなかに人間ほどの大きさがあるシャクシン(Syaksin)、チュマーシン(Chhumaasin)、ババー・ビシン(Babaa Bhisin)という三本の木を入れ、故人の像スマカ・シンピジブ(Smaka Sinpijbu)を作るため、故人の家の最上階(三階?)の隅にゴムのかたまりを置く。死者の靴を三本の木の下に置き、故人の足に見立てる。つぎに像に故人の服、ターバン、装飾品をかける。像の右側には故人の弓矢が吊るされる。こうして像が次第に故人そのもののように見えてくる。像の装飾が終わると、皿に盛られた食べ物が供えられ、花で飾られた故人の日用品が両脇に置かれる。二片の肉が入った器も供えられる。

 すべての村人に籾米がいきわたると、ジュンクシャンマーは籾米を撒いて像(シャカシン・ピジュ)を祀り、花を供える。それから故人に向かって言う。

「新しい死者よ! 今日おまえはおまえの道を歩んだのであり、我々にはどうしようもない。神と同等になったのだから、これからは我々を守って欲しい。死後の楽しい旅路、あるいは救済のために開くグワン(Gwan)すなわち葬送儀礼の責任はおまえにあるのだ。そのため我々は像の右側に座るアマリチャ(Amarhicha)を導き手として、左手に座るバリチャー(Barhichaa)を永遠の憩いの場を示すガイドとして、指名した。これによっておまえは罰を受けなくてすむだろう。彼らは待ち受ける困難や難路を乗り越えるすべを示すだろう。もし彼らの金言(Chuna chuna dlwu)を受け入れるなら、マハ・ピンダ(Kanarabetwe)がずっと供えられ、その恩恵を浴することになる。心から道のプラダルシャク(Pradarshak)とイスタン(Isthan)のプラダルシャクによって示された救済のことばを味わうがいい。それによって救済への道の途上で魔の罰を受けなくてもすむだろう。おまえの叔父や娘、姉妹や(義理の)娘らはマーバンで囲炉裏(かがり火)のまわりをまわって踊っているので、おまえの魂は魔や悪霊から守られている。楽隊は囲炉裏のまわりを(反対のトーンで)太鼓を叩き、手に盾と剣をもってアーワラ・バダ(Aawala Badha)の踊りを踊っている。そのあいだジュンクシマーは景気づけのため土の瓶に入った麦酒(Jaand)を運ぶ」。

 そのあとジュンクシマーは家のなかに入る。道のプラダルシャクとイスタンのプラダルシャクは創造主の物語を語ったあと、言う。

「新しい死者よ! 話を聞くのだ。その話を聞けば満足するだろう」。

 道のプラダルシャクとイスタンのプラダルシャクはさまざまな物語を語りながら、障害を取り除き、死者の魂を導くだろう。深夜、一族の親戚が葬送をおこなうマーバンに集まる。違う氏族やクラン外の人々は羊毛でできた伝統服を着て、ターバンを被り、太鼓を打ちながら、別の場所につどう。氏族の隣人たちは太鼓を鳴らしながら庭に向かう。彼らが庭に着くころ、(義理の)末娘は囲炉裏(かまど)に火をつける。彼らは盾と剣をもち、勝利の太鼓を叩きながら囲炉裏のまわりを踊りながら回る。そのあいだ主宰者は故人の名においておなじ氏族の踊り手たちにジャーンド(Jaand, gwanyu)を与える。夜半を回るころ、氏族グループと非・氏族グループは庭で踊りながら会う。この会合はガールカル(Gaarkhal)と呼ばれる。ガールカルの彼らが庭に集まるころ、主宰者や叔父、年長のあるいは末の(義理の)娘がガールカルを歓迎するしるしにジャーンドを作り、飲み物をふるまう。深夜になると、そのあたりは太鼓が鳴り響き、とても恐ろしい雰囲気になる。それで近親の者たちは像のかたわらに剣をもって立ち、人々を勇気づける。

「新しい死者よ! ガールカルの一団が音を鳴らし、はやしたてながら、庭にやってくる。だから恐れることはなにもない。おまえの(像の)前と後ろに立って、おまえを守るつもりだ。気持ちは強く持たなければならない。道のプラダルシャクとイスタンのプラダルシャクがおまえを導いてくれるだろう。彼らのことばと供えられたマハーピンダ、それから牛が道中の助けになるだろう。またバイタルニ川(Baitarni)を渡るときも役立つだろう」。*vaitarani(nの下は点)

「道のプラダルシャクであるアマリチャとイスタンのプラダルシャクであるバリチャは揚げた籾米を死者に捧げ、導くことばやメッセージを心に留める。神に等しくなったおまえは我々を助けてくれるだろう」。

 夜半すぎ、マーバン(シャバト Syabato)の囲炉裏のまわりで親類(ケイバミ Keibamyi)と非氏族(ジュンバミ Jyunbamyi)は盾と剣をもって踊る。そのあいだ何人かの男女は、ママフゲル(Mamafger)すなわちジュンクシマーとともに手に松明をもって囲炉裏のまわりを走りながら踊る。義理の長女あるいは末娘はジャーンドのいっぱい入ったポットをもって踊り手たちに、ピンダとともに渡す。それから彼らは家に戻り、道のプラダルシャクとイスタンのプラダルシャクはそれぞれの席に着く。深夜、主宰者は家の屋根の上に登り、宣する。

「みなさん、こちらへ来てマーンサ・ピンダ(Maansa Pinda ジュジュシャ Jyujyusha)を受け取ってください」。

 村人らは集まってきて、それぞれの分のピンダを持ち帰る。夜半すぎ、隣人らは花でいっぱいの水差しをもって像のかたわらに置く。またふたりの女性と五人の男性が食べ物を死者に供える。

 供え物の花でいっぱいの水差しが像のかたわらに置かれたあと、水で満たされたふたつの水瓶や籾米の盛られた皿がジュンクシマーによって何度も像の前にもたらされる。供え物の籾米は村人や親戚、近親者に分配される。彼らは籾米を撒いて祀るのである。そのとき彼らは霊前で言う。

「新しい死者よ! 不吉なことは心から落としてくれ。おまえはすでにこの世を去ったのであり、霊の世界に住もうとしているのだから。いまは神として、我々を守護してほしい。もしブタやニワトリがおまえのあとを追って行ったなら、すみやかにこの世に返してほしい。道のプラダシャクやイスタンのプラダシャクが示した方向に沿って道を歩んでくれ。道のプラダシャクが導いてくれるだろう」。

 こうして夜が明けたあと、義理の長女や他クランの者がピンダ・ダナのためにプディ(ジャーロニ Jaaloni)でいっぱいの大きな竹篭(クブサ・ダル Khubsa dalwu)をもってシャバト(葬送の場 Syabeto)に着く。プディはすべての家族に行き渡るように配られる。そしてまた叔父や義理の娘によってマーンサ・ピンダ(Maansa pinda)のために氷が準備される。牡ヒツジや雌ヒツジが屠られる。

 葬送の四日目、あるいは最終日、亡魂には牛を通じてピンダが捧げられる。救済者、あるいは主宰者のケサパートゥス(Kesapaatus)のジュンクシマーは、亡魂を満足させるため、庭の地面上にマットを敷く。皿には氷が盛られ、さらにさまざまな食べ物、お香、籾米が添えられ、叔父かあるいは義理の長女側の人々が牛を牽いてマーバンに連れてくる。娘か姉妹が帽子のようなグンガト(Ghunghat)、ワダナティチクラ(Wadanatichikula)を被り、籾米を撒いて祀りながら、言う。

「新しい死者よ! 今日からおまえは神に等しい。であるから我々はおまえを崇め、おまえには我々を守ってほしいと思うのだ」。

 そのとき牛はその尾とからだを震わせ、受け入れたことを示す。それからひとりの女性が牛のあばら骨を洗い、食べ物を与えて牛を満足させる。義理の長女はまた牛の鼻と口を洗い、牛をマーバンまで連れて行き、そこの杭に結わえる。正午すぎ、義理の長女か近親者はマーバンの囲炉裏に火をつけ、霊の執着を断ち切る。またおなじクラン(Raibaamyi)の者か違うクラン(Jyubaamyi)の者が盾と剣を持ち、死者の魂を守るため踊る。彼らは火のまわりではやしたてながら群舞を舞う。そのあいだ隣人や親戚縁者は松明とさまざまな供え物の食べ物を持った器を持って、騒がしくマーバンに入場する。彼らはそれらをマーバンに投げ入れたあと、帰宅する。

 隣人や女たちが帰宅し、道のプラダルシャクとイスタンのプラダルシャクは精神的救済への道を示したあと、供え物の食べ物と故人の日用品をマーバンの像の近くに置くよう命じる。ジュンクシマーは花で飾られ、酒が満たされた水差しを像に捧げる。そして籾米を撒きながら言う。

「新しい死者よ! これからは、おまえは永遠の安息所でくつろごことになる。我々にたいしてけっして悪意を持ってはいけない。もし我々やブタ、ニワトリなどの家畜が命を落とすようなことがあれば、剣と盾で滅ぼされるであろう」。

 このとき隣人たちはマーバンで穀物(ヤンジ Yanji)のピンダを準備する。近親者たちはランプを持ち、像のまわりを回り、ランプを像のそばに置く。男女は松明を手に持ち、騒々しく、ピンダをおさめるべくマーバンへ向かう。それから義理の長女や末娘らが自己を清めるべく盾と剣を持って踊る。それからクラン内、非クランを問わず、整然と踊る。彼らはまた旅立つ死者のためのピンダを作る。

 最後のピンダ・ダナ(パウッチャーカブ Paucchaakbu)がチャワラ・ヤク(シラヤ Silaya)が供えられたあと、産婆はその右あばら骨、鼻、口を洗う。それから縄が家の中で吊るされ、衣服もまた吊るされる。騒々しい雰囲気のなかで近親者は像(Jwu)を背にのせて運び出す。隣人たちは像から衣服をはがす。それから長女と姉妹は魂の道を案内する。長女と末女は像のために立てた三本の木を投げ捨てる。火を囲っていたスレートも壊される。隣人たちは死者の靴(Syimi bokchu)を立ち去ろうとしている牛の背骨の上にのせる。帽子は牛の頭にのせられ、その上にターバンが被せられる。弓、矢、剣、盾は吊るされる。また牛は馬の尾(Tinapyasuri)の縄で飾られ、棘樹の枝がのせられ、邪視から守られる。最後に色とりどりの布で牛は飾られる。飾り終えたあと、叔父、あるいは義理の長女または末女が牛の角に縄を結わえ、アストゥが保存されているカナパットゥへ牽いていく。そこに着くと、彼らは牛を飾っていたすべてのものをはずす。娘、あるいは姉妹は死者の服を取って家にもどり、グンガトのような帽子(ワーダン・ティン・チクラ)に結わえる。主宰者は男女に命じて浄めの場所へ行かせる。その場所には小麦粉(ジャンク・フル)が満たされた籠(カルカ)が置いてある。門では古い魂が待っていて、新しい魂の到着を待っている。古い魂は言う。

「新しい魂よ! 私のために何を持ってきたのか?」

 新しい魂は答える。

「あなたに持ってきたのはこの三つの胡桃だけです」。

 男女が頂上の浄めの場所に着いたとき、古い魂は新しい魂に敬意を表してすこしあともどりした。そして言った。

「新しい魂よ! 我々のために何を持ってきたのか?」

「三つの胡桃以外なにもありません」。

 そう言って新しい死者は胡桃を地面に落とした。そうすると古い魂たちは席を離れて、胡桃めがけて殺到し、奪い合いになった。結果として、新しい魂は祖先たちの席を得ることができたのである。アストゥの場所では炒られた米(ジャンク・フル Jank furu)の入った袋が破られ、アクシャター(籾米 Akshyataa)があちこちにばらまかれた。そのあとジャンク・フルは少女によってRheparuSuddiのアクシャター)として帽子のようなグンガト、ワーダン・ティン・チクラに入れられる。男女はいくらかスナック菓子を持って家路につく。

「将来ここに戻ってくることはないだろう」。

 彼らはそう言いながら、手に杉の枝と、九つの白石と九つの黒石をもち下っていく。

アストゥが置いてある場所に着くと、すでに村人は集まっている。叔父の親戚(Pohayaa)は平らな石を地面に敷き、その上で飛び上がる。隣人たちも(氏族も非氏族も)石の上にのっては飛び上がり、浄めを受ける。すべての村人は手に手を持って、おなじ足取りで、踊りながら村へ向かっていく。

「悪い日は去り、いい日がやってくる。三千三百万の神が、我らを守る」と歌いながら。

 彼らは死者の家に着き、歓迎を受ける。

 ジュンクシマーは死者の家の庭にマットを敷く。浄化のためのもの、すなわちフル(Furu)、シルドゥ(Sildu)、ロニ(Loni)が皿に置かれる。アクシャタも皿にのせられる。土の瓶に入れられたジャーンド(Jaand)はいま銅の水差しに移しかえられている。屠られたヒツジの右あばら骨の肉も置かれる。マスタード(Rai)やチリも添えられる。すべての隣人たちは庭に集合している。すべての参加者にアクシャタとその他のものが行き渡り、プジャが行われる。非クランの人々がヒツジの右あばら骨の肉を細かく切り刻む。チリと混ぜ合わせ、すべての人々に分配する。翌日、木製の日常品(穀物の量を計るものでPaakhanと呼ばれる)は米で満たされ、小さな竹棒が立てられる。それには竿がつけられる。鹿の小麦粉でできた像も置かれるが、それにも竿が首の部分につけられる。隣人たちは木製の器に穀物を入れる。クシャマーは浄めのものを村人に分配する。これらのものは家の中から投げ捨てられ、また屋根の上から石が投げられる。隣人や親戚は髪を切り、洗い、油を塗りこめて、浄めをする。

 こうして浄めの日、男は髪を切り、妹や娘は右手にブレスレットをはめ、スタク(Sutak 家族の生誕や死による不浄でKaifarashimoという)を避ける。クシャマーは日常の道具に穀物を満たし、家に戻る。小麦粉でできた鹿の像(Sildu Siwara)は長生きの願いを表すものであり、家の一番いい場所に置かれる。牡のヒツジ、雌のヒツジが屠られ、緑樹の枝に竿がつけられる。水の満たされた水差しが屠られたヒツジの近くに置かれる。プジャのためにダラ(Dala *Dalang)も用意される。人々は籾米をもち、参加者の男は水を撒きながら、言う。

「新しい死者よ! これからは、おまえは神に等しいのだから、昼も夜も我々を守ってほしい」。

 そう聞いてヒツジは身体を震わせ、受け入れたことを示す。それから男は頭から背中を切り、腹を割く。肝臓がまず取り出され、村の将来が占われる。そのために偉大なシャーマン(Karki syaalamaa)が呼ばれるのである。肝臓を見たあと、シャーマンは言う。

「これからはすべての村人が幸せだろう。食料に困ることはないだろう。村は反映するだろう、なぜなら祖先たちがみな我々に満足しているからだ」。

 ヒツジの肉は村人に分配される。村人は牡の鹿のように美しく、長生きできることを願う。村のどこにも喜びがあふれていた。