1 ナシ族の村で病人と死人に会う

山を越え、瑠璃色に輝く瀘沽(ルグ)湖のほとりのナシ族の村に着くと、いまにも死にそうな病人と、死んだばかりの死人がいた。

 ブッダ・ゴータマのように「なにがあるが故に老死はあるか。なにによりて老死があるか」(『雑阿含経』)と問わずにはいられない状況だったのである。

 死にそうな病人は、脳卒中で倒れた47歳の一家の大黒柱だった。頑丈そうな体躯の持ち主だったが、前触れもなく病魔が襲った。死期はすぐそこまで迫っていた。小柄なトンバ(ナシ族祭司)がさまざまな治療儀礼をおこなっていたが、劇的な効果は期待できそうになかった。そもそもトンバが治療をおこなっていること自体、近代医学が匙を投げたことを意味していた。トンバは湖畔の崖の上にのぼり、トルマ(麦焦がしで作った像)を投げて鬼魔を駆逐する儀礼を行なったが、目を見張るような病状の改善はみられなかった。

 夜も更けて人びとの寝静まった丑三つ時、泊まっている宿のすぐ外、病人の家のそばで、悲痛な女性の声が暗闇に響き渡った。

 「アタぁ、ラルー、アタぁ、ラルー」。

 お父さん、帰ってきて、という意味だ。娘が路地で父親の魂を呼んでいたのだ。いわゆる「たま(魂)よばい」である。魂がどこかに連れ去られると、ひとは病気になる。そのままもどって来ないと、死ぬのだ。

 死んだばかりの死人は、63歳の老人だった。高齢社会の日本なら早すぎる死といわれるだろうが、ここのような僻地では早すぎも遅すぎもしない年齢なのだ。

 葬送儀礼は翌日から三日間かけておこなわれた。死生観を研究する者にとって、この儀礼はとても興味深いものだった。というのは、トンバとチベット仏教の僧侶、両者によっておこなわれたからだ。たとえていえば、日本で仏教式と神道式両方で葬式をおこなうようなものだ。だいいち、魂の送られる先がちがう。トンバは送魂路に沿って亡魂を祖先のいる地へと導く。いっぽう僧侶はよりよい転生を成就するよう儀礼をおこなう。相容れない両者の共同作業はありえず、それぞれ独立して行なわざるをえないのだ。