7 オルモルンリンへの道:モソU

 瀘沽(ルグ)湖の四川省側湖畔のボシュ村でダパ(祭司)に会い、私はひどく驚愕し、興奮することになった。その数日前、リジャズィ村で有名な老ダパから聞き出した送魂路の終点は前述のスブアナワだった。私はボシュ村でも同様の送魂路を聞くことになるだろうと軽く考えていた。

27歳の偉丈夫然としたダパは、54の地名を列挙した。その最後の地名はオモロラディ(Omoroladi)だった。 ディは地名をあらわす接尾詞。オモロラはあきらかにボン教のシャンバラともいうべきオルモルンリン('Ol-molung-ring)ではないか。ボン教開祖トンバシェンラブが生まれたとされるタジク(ペルシア)、あるいは古代シャンシュン国にあったとされる聖なる都だ。するとこの送魂路はボン教によってもたらされたのだろうか。

 いや、こんな書き方はフェアではあるまい。ボシュ村はボン教の村なのだから。チョルテン上にはボン教のマントラ、「オーム、ムトゥサレントゥ」が記され、ボン教ラマの家の蔵には黒ずんでぼろぼろになったボン教経典が眠っているような村なのである。ただしダパはボン教徒ではなく、ボン教に関する知識も皆無といってよかった。ダパ教の始祖がティバシェラでトンバシェンラブと同一と考えられ、ボン教特有のシャンという鈴を使用しているにもかかわらず、ボン教のことを知らないのは、まったくもって奇妙なことだった。古代から伝わる送魂路に後世、オモロラディが付け加えられたのだとしても、いったいだれがそんなことをしたのだろうか。