9 起源地に近いチャン族の短い送魂路

 多くの送魂路の終点は、青海・甘粛方面とも、四川西北ともいわれる。ということは、このあたりの民族、とりわけ遊牧民には、送魂路はありえない、ということになる。四川西北の岷江上流に分布するチャン(羌)族には、しかし短いながらも送魂路の初期形態とでもよべそうなものがあった。

 四川茂県渭門溝の葬送儀礼では、8人の端公(チャン語でシ)と8人の甲冑(チャン族の守護神ゲサ、通名八大将軍)が中心的役割を演じる。葬送の三日目、晩餐が終わったあと、8人の甲冑が厨房から安置室に入り、ガン馬儀式(あるいはヤオ馬儀式)をおこなう。チャン族の祖先は松潘草原から較場、畳渓を経て、渭門溝へやってきたので、人々は松潘へおもむいて馬を買わなければならない。死者の亡魂は馬に乗って西方浄土へ向かうのである。

 実際は、ブタの頭の肉と豆腐干で馬の替わりとし、「松潘草原へ行って馬を買い、馬肉を食べた」という見立てをするのである。

 葬送の四日目、遺体の入った棺は墓地に運ばれ、埋められる。棺を穴に入れる前、端公か甲冑はニワトリ(男なら雄鶏)を殺し、棺のまわりに血を滴らせる。それはその(穴の)土地を買ったことを意味する。このとき転路儀式(招魂儀式)が端公によっておこなわれる。魂はまだあたりをさまよっているので、祖先がいた松潘から較場、畳渓を経て、渭門溝へもどるようにお願いする。

 このように送魂路とよべるものはないが、高原と農区の境目にある松潘に魂は戻っていこうとする。ということは、松潘に来る前は高原の遊牧民であったということだ。前述のように、先住民の戈基人からすれば、チャン族は北方からやってきた侵略者ということになる。