地球内部への旅 11 

ロバート・カーク 

 

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 1692年5月14日の夜、スコットランドの聖職者が妖精たちに誘拐された。彼は地底の国に連れていかれ、そこで捕囚の身となった。何度も逃げ出そうとしたが、失敗した。彼は妖精の国の住人となった。

 彼はあきらかにまだそこにいる。

 彼の名はロバート・カーク。アバ―フォイル(ハイランドの入口として知られる)で育った。父親は地元の司祭である。エジンバラ大学で学んだあと、カークは自ら聖職者となり、バルキデンの町の担当となった。二十年もの間彼は司祭を務めた。そしてアバ―フォイルで亡くなった父親の跡を継いだ――運命の夜まで彼はここにとどまった。

 二つの場所でカークは教区民の必要に応じて彼らのもとに小まめに通った。同時に勉学にも励んだ。彼は詩篇をゲール語に翻訳した。そしてゲール語の聖書の刊行を監督した。ハイランドで聖書が読まれるようになったのだ。しかし別のことに彼は心を奪われることになる。

 カーク師は地元の民間伝説、とくに妖精の伝説を研究するようになったのである。手にノートを持って彼は教区民のもとを訪ね、彼らがゲール語で話すこと、とくに「小さな人々」の物語を記録した。彼のノートは妖精の伝承と目撃証言ですぐいっぱいになった。一部のインフォーマントは第二証言だけでなく、自らの遭遇について語った。

 長年にわたってカークは十分に多くの伝説を集めた。一部の妖精は人間とおなじ大きさだと地区住民は語った。しかしほとんどが人間よりずっと小さかった。彼らはいたずらを好み、夜にはキッチンで物をくすねた。彼らはハイランダーのようにタータンチェックのセーターを着て、同様にいくつかの部族に分かれていた。支配者がいて、法律もあった。妖精たちはダンスが好きで、音楽も奏でた。彼らは地底に住み、家は大きかった。地底のホールで晩餐会を開いた。彼らは結婚し、老年まで生きたあと、死んだ。彼らはしばしば喧嘩をした。そして彼らに神はいなかった。宗教的ではなかった。

 カークはどうやって妖精を見るか教えられた。あなたは千里眼――第二の視覚を持つ者――を探さなければならなかった。そしてあなたは自分の足を彼の足の上に置いた。千里眼はつぎに手をあなたの頭の上に置いた。そうしてあなたは彼の右肩の上に視線をやる。すると妖精が見えるのだった。

 彼は妖精の丘について聞いた。ハイランドのいたるところに盛り土があった。その下には妖精が棲んでいるという。(そこに住んでいるのは死者の魂だと言う人もいる) 妖精の丘で木を切るのは危険だと、彼は警告された。でなければ平穏がかき乱されるだろう。

 しかしロバート・カークはすでに妖精の丘のことを知っていた。なぜなら彼は妖精の丘の陰で育ったからである。

 カークの家族はマンセ、すなわちアバ―フォイルの教区牧師館に住んでいた。家から歩いてすぐのところに盛り土があり、子供のころのロバートと兄弟たちはそこで遊んでいた。彼らはもちろん盛り土の下にだれが棲んでいるか知っていた。なぜならそこはドゥン・シ、すなわち妖精の盛り土と呼ばれていたからである。ドゥン・シの上には木々や藪が生い茂っていた。頂上は開けていて、孤高の松が一本生えていた。近くにはフォース川が流れていた。盛り土はアバ―フォイルの灰色の空に抱かれているかのようだった。

 1685年、カークはアバ―フォイルの司祭職を父から引き継いだ。彼は町に戻り、そして少年時代に過ごしたマンセを住まいとした。そして福音を説くだけでなく、論考を書き始めた。それは長年にわたって集めた伝説をもとにしていた。彼はこれらの伝説が事実であると信じるようになった。妖精たちは現実に存在するのだ。1691年までに草稿は完成した。興味を持ったロンドンのグループのために一冊の書を作り上げた。オリジナルの草稿はタンスの中に隠し、聖職者としての日々の勤めに励んだ。

 


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