4章 地理 

テンマ(’Dan ma) 

 ケサルの故郷をラダックとみなすのは、A・H・フランケだけである。すでに述べたように、われわれはこの見方に与しない。叙事詩の地名がいかに消失していようとも、残された地名からそれがチベット東部と関係していることが明白なのだ。フランケは主に『ラック王統史』の地名を用いてトム・ケサル・ダンマ(Khrom Gesar ’Dan ma)の場所を特定しようとしている。しかしそこには問題が発生してしまうのだ。テン(マ)はカム地方においてよく知られた場所であり、リンからそれほど離れていない。打箭炉(ターチエンルー、現在の康定)からジェクンド(玉樹)に至る道の途上にあるダン・コグ(’Dan khog)のことである。

 ケサル王物語のチベット語写本のなかのテンマはケサルのもっとも重要な宰相である。彼はその名を地名から取っているのだが、また、ジャンタ(Byang khra)あるいはチャンタ(Pyang khra)というあだ名を持っていた。リン国第二の地位にいるトドンの妻もこの地域の出身なので、テンサ(Dan bza’)と呼ばれている。彼女はテン(mDan)地方の国王の王女なのである。ラダックの口伝バージョンでは、綴りが変化してテンマ(sdan’ ma)と表記されている。しかしテン(’Dan)の立地に関しては、カム地方であることが確定的であり、ケサル王物語の中だけのフィクションではないのだ。それはさまざまな文献から立証できるし、漢文資料を含めてすべてがカム地方にあることを示している。博士論文においてもその実例を挙げておいた。ケサル王物語の中で、テンとガ(sGa)及びドゥ(’Bru)部族は関連がありそうである。これらはやはりチベット東部の地名なのである。