厳しい尋問に耐えて

 なにも悪いことをしていない、という意識が強かったため、まるで麻薬密売犯のような追及を受け、わが自尊心は地に落ち、ズタズタに踏みにじられ、絶望的な気分に陥っていった。鹿児島の志布志事件をはじめ、数々の冤罪のことが頭をよぎった。粘っても、行き着く先は「すいません、私が悪いのです」と言うよりほかにないではないか。穀田似の警官は、巫師(シャーマン)の活動自体が違法だという。私はそう聞いてもなお、「で、そのなにが違法なのですか」と聞きたかったが、ぐっと抑えた。

 尋問を受ける間、ビデオカメラを持った係官がずっと尋問の様子を記録していた。押収するものも記録していく。押収されたのは、パソコン、カメラ、ビデオカメラ、携帯、手帳、などである。これらのものはデータが消去されて戻されるという。私はそのことを聞いてひどく落ち込んだ。

 取調べは未明の3時半まで及んだ。一度引き上げ、翌朝また来るという。パスポートも押収されたので、もちろんホテルから出ることはできない。いわば軟禁状態である。警官らが去ったあとトイレに入ると、数十本のタバコの吸殻が便器の中に浮かんでいた。何度流しても、数本の吸殻は渦の中をくるくる回り続けた。

 喉に蛭が貼りついているように、からからだった。胃がひりひり痛んだ。ショックのあまり眠気は吹っ飛んでいた。ショックを覚えたのは尋問ではなく、消去されるデジタル写真と没収されるビデオテープだった。それにパソコン内のほかのデータも保持できるかどうかわからない。

 朝10時すぎ、警官らは戻ってきた。穀田似の警官は、三枚の写真を見せ、「なんだこれは!」と威圧的な声を張り上げた。それらはパソコンの中の画像をプリント・アウトしたものだった。一枚は大地のひび割れの写真。魔鬼城の近くで、見事に大地がひび割れていたので、タクシーを停め、2、30枚もシャッターを切ったのだ。一片の「ひび」(重さ30キロくらい)をもちあげることもでき、なかなか楽しい。たしかに環境問題とあわせて使えそうなテーマではあるが、中国を貶める類のものではない。つぎの写真は「ボロボロの家」。ひどい話である。先代のバクシの家であり、そんなにひどい家ではない。これらの写真は消去されてしまった。ひび割れはまた機会があれば撮りに行こう。

 もう一枚はウルムチの街のはずれを歩いているときに撮ったもの。歩道のはじにバラバラ死体のようにマネキンが投げ捨てられていた。10メートルほど通り過ぎてから、「もしかして面白いかな」と思って戻り、撮った。こうやって撮ったところで人に見せることもないのだが、せっかくだからここに貼り付けよう。

 三枚の写真以上に問題なのは、儀礼のときの写真である。これを警察はプリント・アウトし、関わった人すべてを早朝のうちに検挙したのである。これは追い討ちをかけるようなものだった。自分ひとりが(よくはわからない罪だが)罪を背負うのはまだしも、私に協力してくれた人々を罪人にしてしまうのは耐えかねることだった。

 取調べが一通り終わり、日本語と中国語で「反省書」(悔過書)を書かされることになった。私は「中国人民の心を傷つけた」ことを謝った。「私の行為は日中友好(中日友好)を損ねた」と書いた。自白を強要された人々の気持ちがよくわかった。

 そして警官らは、罰金を取るようなことはしないと言った。しかし「パソコンは没収する」という。

「えっ、どうしてですか」

「データは消しても回復できる。だからパソコンを没収する。お前が悪いことをしたのだから、仕方がないだろう」

 私は自分の無力感の渦のなかに落下していく。最悪の最悪。が、涙目の私を見て、穀田似の警官はわずかばかりの温情をみせる。

「わかった、じゃあハードディスクだけ抜き取ることにしよう」

 こうしてパソコンを死守することはできた。しかしデジタルの写真やビデオ・カセットは没収されてしまった。しかも帰国後、故障箇所などが見つかり、平常に復するのに、合計して9万円の出費になってしまった。


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