19世紀におけるターラー修法の復活 

 19世紀のはじめ、異なる法統から驚くべき大師たちが集まってきました。彼らはみな互いに精神的に近しい友人でした。さまざまな時代に大師それぞれが互いに、師であり弟子であるという関係を結び、このようにして教えが再発見され、交換し、活気づいてきました。彼らのインパクトは初期の仏教史の偉大なる師たちとおなじほど強烈でした。彼らは多数の失われた教えに命を吹き込んだのです。

 偉大なるキェンツェと呼ばれた有名な師ジャムヤン・キェンツェ・ワンポはチベット仏教のすべての教派の教えの法統を取りまとめました。貴族の家に生まれながら、キェンツェは巡礼のときも自分の荷物を自分で運ぶというように、素朴で質素にふるまうようにしていました。彼は初代コントゥル、ジャムゴン・コントゥルの師であると同時に弟子でもありました。そしてまたミパム・リンポチェの根本ラマでもありました。

 19世紀の彼らの時代まで、ターラーの修法の3つの系統はあきらかに、上述のように人間世界からなくなっていました。しかしジャムヤン・キェンツェ・ワンポは特別な力、つまりシッディを持っていました。それを用いることによって途絶えていた多くの教えを取り戻すことができたのです。

 かつて、中央チベットを旅していたツェリンマという名の有名なダルマパーラが彼の前に現れました。このツェリンマがなくなっていたすべてのターラーの経典を彼にささげたのです。彼女とともにいたのはグル・パドマサンバヴァ、智慧のダーキニーのイェシェ・ツォギェル、そしてテルトンのレシ・ラモでした。レシ・ラモは彼に灌頂を施し、教えを伝授し、訓戒を与えました。

 このようなパワーによってジャムヤン・キェンツェ・ワンポはこれらやほかの失われた教えを取り戻したのです。彼は教えをすぐれた弟子たちに伝授しました。弟子とは、偉大なるテルトン、チューギュル・デチェン・リンパやジャムゴン・コントゥル、ミパム・リンポチェらのことです。これらの大師たちは多くのレベルにおいて有名なターラーの修法を明らかにしました。彼らの弟子や法統継承者は今日までつづいています。