七試人のうちでもっとも聡明なる者 

 クンパ・ジェグンタクはのちに、ランカムパ翻訳官(glang khams pa lo tsa ba)の娘ランサ・ネチュンマ(glang bza’ ne chung ma)を娶りました。そしてふたりの子供をもうけました。長男は幼いうちから叔父にしたがって出家し、クン・ルイワンポという名をもらいました。

 当時のチベットの国王はチソンデツェンでした。チソンデツェンは仏教を信仰していたので、仏法を広めるため、サホルの大師ボーディサットヴァ大師を呼びました。大師は数多くの信者を会得しました。

 チベット人が戒律を守ることができるかどうかをみるために、国王は大師の弟子から7人を選んで試験を課しました。この7人は預試七人と呼ばれるようになりました。

 その7人は年長の3人、中間のひとり、年少の3人に分けられました。クン・ルイワンポは、年少の3人のうちでもっとも聡明であると言われました。

 彼はパドマサンバヴァからドルジェ法を学び、また精進の仕方を教えてもらい、イェルパの洞窟で実践し、「道果」を得ることができました。

 このとき以来、クン氏家族は仏教関係で名声をあげることができました。クン・ルイワンポの弟子ドルジェ・レンチェンもまた賢者として有名になりました。旧密教法はこのドルジェ・レンチェンが創建したとされます。これ以前には、チベットには本当の密教がありませんでした。