グゲ王宮はシャンシュン国の要塞だった 

 2000年代半ばにグゲ王宮址をはじめて訪ねたとき、とても興奮しました。
「ここにあるものは、よく言われているものとは違うのではないか」と感じたからです。

  

 ラカン・カルポ(白宮)やラカン・マルポ(紅宮)、ドルマ・ラカン、ジクジェ(’Jigs bras)・ラカンなどを見たあと、屋上、つまりこの岩山要塞の頂上に出ると、地下に下りていくほとんど竪穴に近い通路があったのです。

 ロープ伝いに暗闇のなかに下りていくとき、すぐ思い浮かんだのはテオドール・イリオンの『チベット永遠の書』でした。1930年代にドイツ人が書いたこの本を読んだときは、実態のチベットとかけ離れているような気がして反感を持ちました。チベットにアガルタのような地下都市があるはずもないと考えたからです。

 しかし地下都市ではないとしても、地下に下りていくかのように岩山の内部に入っていくのです。竪穴の底に着くと、そこは大きな洞窟の端でした。

 このときトルコのカッパドキアの「地下宮殿」に行ったときのことを思い出しました。キリスト教会を含むあの蟻の巣のような地下世界には、本当に興奮させられました。それとおなじくらいにグゲ王宮の地下宮殿も冒険心を駆り立てるのです。

 洞窟は、またつぎの洞窟につながっていました。このように真っ暗な洞窟をいくつか進んでいくと、少し離れたところに光点が見えました。なんだろうと思って近づくと、窓のように穴があいているのです。窓といっても窓ガラスはもちろん、窓枠も何もないですから、気をつけないと外に落ちてしまいそうです。頭を出すと、そこはグゲ王宮の岩壁の真ん中でした。落ちたら、100m下の瓦礫の上でつぶれてしまうでしょう。私は雑誌の仕事でサンシャイン60の屋上の端に立ったことがありますが、そのときに匹敵するくらい冷や汗が出てきました。

 崖の「窓」から見たツァパランの風景 

 このときに思いました。もしかするとグゲ王宮はシャンシュン国の要塞だったのではないかと。グゲ王宮の写真を見ると、岩壁のどこに窓の穴があるのか、はっきりとはわかりません。外から見ると穴が1つか2つでも、この頑丈そうな岩山のなかにはたくさんの洞窟があるのです。これがシャンシュン国の典型的な要塞だと認識するようになるのは、あとでキュンルンの谷方面へ行って数多くの洞窟要塞を見てからのことです。

 いろんな資料を漁っても、このグゲ王宮ことツァパラン・ゾン(要塞)についてはあまり詳しく書かれていません。イエズス会のアンドラーデ神父が1624年にグゲに来たときの王宮はここツァパランです。1630年にツァパランはラダック軍の攻撃を受け、グゲは滅亡してしまいます。それからしばらくしてグゲは、ダライラマ5世のチベットとモンゴルの支配下に入ります。

 ツァパランの洞窟群 

 グゲの王宮がツァパランに移されたのは15世紀のことなので、ここにグゲの国王が住んだのは2百年足らずであったことになります。そのためグゲ王宮は見かけが立派なわりには、それほど重要な要塞ではなかったと思われがちです。

 しかしすぐ近くにある洞窟群、ツァパラン王宮の麓にある洞窟やそのなかの特別な仕様を見ると、はるか昔の古代から重要拠点として栄えていたことがわかります。ただし伝承のシャンシュン国を形成する小王国のどれに相当するのかはわかりません。

 
グゲ王宮の麓にある洞窟群。中はこんな風に。壁龕がどのように使われていたかは不明 

 あえていえばキュンルン・ギャルワニェという要塞でしょうか。ここを本拠地とする3人の王のなかにレテ・グゲ(Slas kra gu ge)やキタ・グゲ(Slas kra gu ge)という名前が見られるからです。彼らがツァパラン・ゾンを居城としていたかどうか証拠はありませんが、可能性は十分あるでしょう。


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