だれがドリンを立てたのか 

 ランドクルーザーに乗って道なきチベット高原をどこまでも走ったことがあります。空は限りなく青く、大地は冬が近いせいか、茶色く変色した背丈の低い草が地平線の雪をかぶった山なみまでつづいています。そんなところに忽然と、高さ2m半のドリン(立石を意味するチベット語)数本が立っているのです。

ここはどこか、と聞かれてもこたえることができません。近くに道路もなければ、目印になるものもないからです。カイラース山から100キロと離れていないどこか、とだけ言っておきましょう。

いったいだれによって、いつ、何のためにドリンは立てられたのでしょうか。まわりに道路さえないということは、道路すらできていない太古の昔に立てられたのでしょうか。たとえば1万年前とか……。

普通に考えるなら、墓(古墳)か祭祀目的のモニュメントのために立てられたのでしょう。墓といっても、骨や遺体はなく、記念碑という場合もあります。そのような巨石記念碑群を私はインドネシアのトラジャ地方で見たことがあります。祭祀用であるとするなら、どのように利用して祭祀をおこなったのでしょうか。古代人はもしかすると大地に竜脈のようなものを読み取り、ツボのような特異点に鍼(はり)を打つようにドリンを立てたのでしょうか。

彼らは洞窟群を造った人々とは同一なのでしょうか。洞窟群の近くにドリンが見られる例が少ないことから、別と考えるほうが自然でしょう。また、彼らはチベット人でしょうか。おそらくチベット人とドリンは関係ないでしょう。彼らはドリンに関する伝説や神話をいっさい持っていないからです。

 ケルトの巨石文化は参考になるかもしれません。スコットランドやアイルランドの古い文化といえばケルト文化を思い浮かべがちですが、巨石文化の主はじつはケルト人以前に住んでいたとされる先住民です。彼らは伝説中の呼び名から、「ダナの息子たち」と呼ばれています。

  

 西チベットの「ダナの息子たち」はダルト人ではないかと、一部の学者は考えてきました。ではダルド人とはだれなのか? AH・フランケの『西チベット史』に掲載されている分布図を見ると、ダルド人とはどうやらシン人のことのようです。シン人はギルギットやラダックのダー村などに分布するヒンディー語と同系統のシナ語を話すインド・アーリア系の人々です。彼らのなかには西欧人っぽい顔立ちの人が多く、中央アジアにそのルーツがあるのではないかと言われています。ダー村の人と話をしたことがありますが、彼らは自分たちはここに2千年前に来たと話していました。

 

 吐蕃(ヤルルン朝チベット)以前にチベット高原を治めていたのはシャンシュン国(?−7世紀)と考えられていますが、シャンシュン国がチベット人主体の国であったという保証はありません。シャンシュン国は一種の連合国であり、一部の国はダルド人主体であった可能性もあります。たとえばシャンシュン国の代表的な氏族であるブル氏はシン族が多いギルギットの出身とされます。ブルは、ギルギットを表す地名ブルシャのブルとあきらかに関係があるのです。

  

 西チベットのドリンと同列に並べていいものかどうかわからないのですが、西チベットの南方、クル谷とパルヴァティ谷が交わる地点から近いチャンドラカニ峠(3750m)に多数の立石(ここでも仮にドリンと呼んでおきます)が見られます。

 OC・ハンダ氏によりますと、これらのドリンは人の手によって作られたのではなく、氷河などの力によって形成されたものだとのことです。ハンダ氏がそう言うからには、地質学者がそう認めているのかもしれません。

 しかし、このドリンが人工物でないということは、私にはなかなか承服しがたいものがあります。百歩譲って自然の造形物だとしても、古代人はそれらを見晴らしのよい聖なる場所に持ってきてあがめたのではないかと思うのです。

 何年か前、ラフル地方のシシュ村から、ご神体をもって聖なる場所をめぐりながら山や谷を歩き、このチャンドラカニ峠の近くのマラナ村でご神体を一新し(木を伐りだして枝を落とし、五色の布で飾る)、また歩いてシシュ村に戻るという全25日の祭礼行事に参加したことがあります。

 目的地のマラナ村に入る前、森の中を歩いて登り、チャンドラカニ峠に到達したとき、突然世界は広くなり、頂上付近の草が青々と茂るなかに数えきれないほどのドリンが立っているさまは壮観でした。間近に神の存在を感じました。

 私たち一行のなかには数人のラパ(シャーマン)が含まれていて、さっそく彼らは祭祀活動をはじめました。彼らはヤギを屠って四方の神にささげました。ここの部分は残念ながら撮影を厳しく禁じられていました。

 ドリンが一か所に雑然と集められたような場所があり、あきらかにそこは聖域であり、祭場でした。ここで彼らは神にささげる歌をうたい、お香を焚くのです。

 ドリンが人工物でないとしても、チベット人風にいえばそれらは「自ら成ったもの」であり、神聖なるものとして数千年前から崇拝されてきたのではないでしょうか。このあたりには千年以上前、チベット軍がやってきたといわれています。そもそもマラナ村の人々はカイラース山からやってきたという伝説をもっています。上述のドリンはカイラース山に近い地方に見られるものなので、彼らがドリン崇拝をもたらしたという可能性も十分にあるのです。


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