風景が持つ神奇力 

 西チベットを旅していると、どうしてもそれが自然によってつくられた造形とは思えない風景に出会うことがあります。この写真を見てください。どう見ても神殿です。神殿でないとしたら、何だというのでしょうか。そうでなければ、何のために神殿のような岩山が存在するのでしょうか。

 私はそう思って全速力でこの神殿に向かって走りました。チャーターしたランドクルーザーを待たせていたので、のんびり向かうわけにはいきませんでした。海抜4000mの空気の薄さなんて、気にしている場合じゃありません。

 しかし近づくにしたがい「またか」という落胆の気分に沈んでいきました。「チョルテン(ストゥーパ)に間違いない、でなければ何だ」そう思われたものが、次第にたんなる風化した岩のかたまりとなり、王の謁見室と思われたものが、たんなる岩壁となっていったのです。

 下の写真を見てください。壁だけが残った要塞の遺跡のように見えるでしょう。なぜ遺跡のように見える風景を自然は作り出すのでしょうか。まったくの偶然なのでしょうか。自然は人をたぶらかそうとしているのでしょうか。

 いや、これは神々の世界なのだ、と昔の人は考えたかもしれません。次元の違う世界があり、ときおり人間の目にも姿がほのかに見えることがある。それがこれらの風景なのではないでしょうか。

 シャンシュン人やチベット人は、こうしたわずかに次元の異なる世界に理想郷を見たのではないでしょうか。それは蜃気楼のようなものかもしれません。シャンバラはこのチベットの風景のどこかに隠れているのではないでしょうか。

 彼らの祖先(古代人)はこの要塞や王宮に見える風景に、本当に要塞や王宮を造ったことがあるのではないかと思います。前述のダパの洞窟群などがいい例です。要塞に見える崖があり、そこにいくつもの洞窟を掘っているのです。あとで紹介するシャンシュン国の都キュンルン・ングルカル(キュンルン銀城)もそうです。王宮のような雰囲気がある岩の谷間に数多くの洞窟が穿たれているのです。

 私は西チベットに多い円錐形の丘や崖の上に建つチベット寺院は、これの延長にあるのではないかと考えています。2千年前や3千年前は、建築技術をもっていなかったので、洞窟を掘りました。断崖絶壁の上部に洞窟を掘るのも、そんなにたやすいことではないのですが、古代人はそうした技術は持っていたようです。ピラミッドをどうやって建設したかわからないように(もちろんいろんな説明はされていますが、私自身はまだ納得していません)洞窟群がどうやって作られたかは謎です。洞窟群だって立派な「謎の古代文明」なのです。

 数百年前になって、チベット人やチベット系の人々は崖の上などの危険なところにも建物を建てられるだけの高度な建築技術を習得しました。それとともにあらたに洞窟群を造る必要がなくなったのです。


自然と一体化した例があったので、この画像を補足しておきます。(ザンスカル) 


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