あまりにシャーマン的な(第1回)
天の綱
宮本神酒男
『王統記』はさらに、ニャティ・ツェンポはシャカの種族のアショカ王の末裔であると蛇足ともいえる権威付けをし、かえって信憑性をなくす結果を招いているが、要は天孫降臨を強調したかったのである。
ニャティ・ツェンポの子はムティ・ツェンポ(Mu khri btsan po)、その子はディンティ・ツェンポ(Ding khri btsan po)、その子はソティ・ツェンポ(So khri btsan po)、その子はダクティ・ツェンポ(gDags khri btsanpo)、その子はシブティ・ツェンポ(Srib khri btsan po)だった。このニャティ・ツェンポにはじまるチベットの最初の7人の王は「天ティ七王」と呼ばれる。天からやってきた、ティ(khri)という語を名前に含む7人の王、という意味である。
神話時代のこととはいえ、この7人の王はとても興味深い。彼らは息子が馬に乗れるほど成長すると、ムタク(rmu thag)すなわち天の綱をよじ登って天界に帰り、その身体は虹のように消えてしまったという。もしこれが王の死(犠牲)を意味するなら、フレイザーが『金枝篇』で述べたところの「王殺し」の典型的な例といえるだろう。
文献によっては、彼らは天と地を自由に行き来することができたと記されている。これはどう考えたって、彼らが王であるだけでなく、シャーマンであったことを示している。彼らはトランス状態のなかで神と交信し、また文字通り昇天したのではなかろうか。チベットの、すなわち吐蕃の王の系図は信頼できないといわれるが、真偽はともかく、吐蕃の初期の王たちは、国王と司祭とシャーマンを兼ねていたということなのだ。
これにつづいて『王統記』は重要なエピソードを記している。
魔が差したのか、ディグム・ツェンポは大臣のロンガム・タツィ(Long ngam rta dzi)に言った。「わしとおまえがレスリングをしたら、いい勝負になるだろうな」と。
「何をおっしゃいますか。わたくしは従者であり、ご主人様と闘うことはできません」
しかし結局勝負を避けることができなくなり、試合の日時が決定した。ところで王はニェンギナサン(Nyan gyi rna gsangs)という名の神変犬を擁していた。王はこの犬を送り、ロンガムの様子を探らせた。ロンガムはそのことに気づき、あえて聞こえるようにひとりごとを言った。
「王は後日私を殺しに来るだろう。兵士は連れず、絹の黒衣を頭にかぶり、額に鏡を垂らし、右肩にはキツネの屍骸、左肩には犬の屍骸をのせ、頭の上で剣をふるい、赤牛の背に灰袋をのせて来たなら、私はかなわない」
犬は帰って、聞いたことを伝えた。後日この装束で、王はロンガムを殺しにやってきた。するとたちまち恐ろしい叫び声が起こり、赤牛はパニックに陥って遁走し、灰袋が地面に落ちると、あたりは粉塵がたちこめ、目もあけられなくなった。キツネの屍骸を使う軍神(dGra lha ダラ)も犬の屍骸を使う陽神(Pho lha ポラ)もさっさと逃げてしまった。[註1]
そしてふるっていた剣でムタク(天の綱)を切ってしまったのである。そしてロンガムは王の額の鏡を放り投げ、矢で射抜くと、王は死んでしまった。王の3人の子、シャティ(Sha khri)、ニャティ(Nya khri)、チャティ(Bya khri)はコンポ(Kong po)、ニャンポ(Nyang po)、ポウォ(sPo bo)に逃走した。
大臣ロンガムは王位を簒奪し、王妃には馬の番をさせた。ある日馬を放牧しながら、王妃はうたたねをしていると、夢の中にヤルラシャムポ神の変化した白い人が現れた。彼女はこの人のことが好きになり、離れられなくなってしまった。しかし目をさますと、隣に寝ていたのは白いヤクだった。ヤクはすぐにどこかへ消えてしまった。8ヵ月後、彼女はこぶし大の血肉のかたまりを生んだ。彼女はそれを捨てようとしたが、血肉のかたまりが動いたので捨てられず、育てることにした。それは目も口もなかったが、衣で包み、牛角の中に入れて数日煮ると、赤子になった。彼女はその子をジャンギブ・ルラキェ('Jang gi bu ru la skyes)と名づけた。
ルラキェは10歳になると父の遺体を探し出して葬り、ロンガムを誅した。またシャティ、ニャティ、チャティの三兄弟を探し出した。末弟のチャティをヤルルンに迎え入れ、チンワ・タクツェ宮(phying ba stag rtse)を建設した。母がチャティの手を握り、天に向かって呪いのことばをつぶやくと、天から「おまえの子は勝つ運命だった」という声が聞こえた。そのことからチャティはクンレギャル(Kun las rgyal すべてに勝つという意味)と呼ばれた。一般にはプデグンギャル(sPu lde gung rgyal)の名で知られる。プデグンギャルは即位し、ルラキェは宰相となって王を補佐した。
いささか長くなってしまったが、もっとも重要なポイントはムタク(天の綱)が切断されたことだ。このことによって好きなときに自由に天へ行くことができなくなってしまった。しかしシャーマンは昔も、今も存在するのだし、シャーマンなら天界へ行くテクニックを持っているのではないか。思うに、王が祭司とシャーマンを兼ねつづけるのはきわめてむつかしいのではないか。どの民族、どの社会でもそうだが、シャーマン的祭司は減少し、職能が分化する傾向にあるのである。
また『王統記』のこの箇所につづいて、シャンシュン国からボン教(ユンドゥン・ボン)がチベットに入ってきたことが記されている。仏教ではないが、宗教としてある程度確立された(原始ボン教ではなく)ユンドゥン・ボン教が入ってきたのである。葬送儀礼や陵墓の造り方はこのユンドゥン・ボンの方式が採用された。原始的なシャーマニズムからは脱しようとしていたのである。
ムタク(天の綱)という言葉はとても魅力的だ。ムは、天を表わしているだろう。そういうと、チベット語で天はムではなくナムではないかと言われるかもしれない。しかしチベット・ビルマ語族の何十という言語において天はムと呼ばれるのだ。シャンシュン語もそのひとつに数えられるのである。
ボン教開祖シェンラブ・ミボはムの出身といわれる。このムも西チベットやタジク(ペルシア)というより、たんに天を指しているのかもしれない。
ムタク(天の綱)の語意はさておき、それは天と地を結ぶだけでなく、象徴的にこの世とあの世を結んでいるのである。それはたとえば、「宇宙樹」や「宇宙山」とまったくおなじ意味合いをもっている。それらは天と地を結ぶとともに、いわば宇宙軸でもあるのだ。[註2]
チベット暦の四月十五日のサカダワの日(釈迦の誕生日)、カイラス山麓のタルボチェでは、巨木から巨大な聖なる柱を作り出す。これは典型的な宇宙樹である。私はインド西北で村人が木を切り出し、ゲパンセという民間神の御神体を作り出すのを手伝ったことがあるが、サカダワの御神木とまったくおなじ意図が込められていた。ちなみに彼らはチベット系の人々であり、おそらく古代シャンシュン国の民間信仰と関係があるだろう。
私は90年代、毎年のようにアムド地方のレコン(同仁県)の六月会という祭りに参加していた。この祭りが始まる寸前、みなで丘の上のラツェという聖域に上り、神に捧げ物をするとともに、やはりムタクと呼ばれるタルチョ(旗)のついた綱を張り替えた。ムタクはこの世界と向こう側との境界線だったのである。
このようにムタは、シャーマニズムの要素をたっぷりと含んでいる。ここでチベットを離れ、シャーマニズムの見地から世界の天の綱について見ていきたい。すこし長くなるが、ホルガー・カルヴァイトの「天の綱、見えない糸」(『ドリームタイムと内宇宙』所収)をつぎに引用したい。
「天の綱、見えない糸」ホルガー・カルヴァイト
西欧のオカルト主義者や神秘主義者と同様、伝統的な部族社会の人々は、魂が肉体を去ったあともなお、紐や綱、見えない帯、あるいは蜘蛛の巣ほどの微細な糸のようなものによってつながれていると信じている。拙論ではほんのわずかしか事例を挙げることができないが(なにしろ記録されるほどこの点に注意を払われることはなかった)、だからといってこの信仰がさほど多く存在しないということにはならない。
西欧の魔術に関する記録を見渡すと、魂(や意識)と身体が結ばれていると記した事例は山ほどある。それは「幽体の帯」(アストラル・バンド)という現象として知られている。OBE(体外離脱)の間、新生児が母親とへその緒で結ばれるように、魂は物質的な身体と結ばれていると感じるが、結びつけているのが「幽体の帯」である。
しかしながら、連結する場所はさまざまである。文字通り、紐がへそから始まることもあれば、連結部が頭頂であったり、首や身体のどこかであったりするのだ。
宗教史家ミルチャ・エリアーデは一つの章全体をこの現象の説明に費やしている。彼は天と地の間を支える「宇宙綱」を引き合いに出し、「宇宙樹」や「宇宙山」とおなじ象徴性をもっていると述べている。彼はまた、インドの縄マジックやオーストラリア先住民の呪術師が口から生きた細い虫を出すのも、同様の現象だと考えた。
しかしながら、ロナルド・ローズが指摘したように、後者に関して言えば催眠術的な効果によるものであり、魂の問題として扱うべきではないのだ。魂と肉体が限りなく細い糸によって結ばれると感じることは、変容した意識状態のなかでのみ起こるものであり、向こう側の世界に行くことのできる者、あるいは夢の飛行ができる者のみに許された特権なのだ。
クルッコルとグリーンが収集した資料によると、OBE(体外離脱)の間、西欧人もまた伸縮自在の糸の存在に気づくという。あきらかに我々が扱っているこの主題は人類に普遍的なものである。説明がどのようなものであれ、結局この糸に対する愛着はへその緒に対する愛着である。霊的体験といっても、それは母と子の物質的なつながりを反映したものといえるだろう。
「身体・魂」の関係が元型、あるいは催眠術による幻覚、象徴と解釈されようと、また身体と魂の現実的な(物質的ではないが)体験と解釈されようと、どの時代でも、どの文化においても、変容した意識状態のなかならば起こりうる体験なのである。このようなことに関し十分な知識を持っていない我々は、この現象の結論づけを急ぐべきではない。つぎにいくつかの文化における事例を挙げ、それらの社会ではこの現象の捉え方がいかに進んでいるか述べたい。
パタゴニアのセルクナム族(Selk’nam)は幻視や肉体離脱体験のことを、呪術師の身体を離れ、目的地へまっしぐらに飛んでいく「目」の体験として表現する。「目」は飛翔している間も、身体ときわめて細い伸縮する糸によって結ばれていて、糸が縮むと「目」は身体に戻る。
アレクサンドラ・デーヴィッド=ニールは、著書『チベットの魔術と神秘』のなかで、何年も病気を患っているチベット人女性と会ったことを書いている。彼女はまる一週間身動きしなかった。その期間、彼女はおそろしく身軽で敏捷、かつ常人離れしたすばやい動きを会得していた。彼女はただどこかへ行きたいと思っただけで、水の上を歩いて川を渡り、壁を抜けることができた。彼女ができないことといえば、物質的な身体に結びついている非物質的な紐を切ることだった。彼女は身体を寝床に横たえながら、それをよく見ることができた。その紐は限りなく長かったが、ときおり彼女が動くときに邪魔になることがあった。彼女はそれを「(紐に)捉えられる」と表現した。
トゥングスカ地方のドルガン族(Dolgan)やエヴェンキ族(Evenke)も、人間と運命を掌る最高神マインの手は見えない糸によって結ばれていると考えている。
ワショ・インディアンによると、眠っている間、無意識のとき、あるいはトランス状態にあるとき、魂は身体を離れているが、魂とおなじ素材でできた細い糸によって結ばれているという。もし眠っている人が乱暴に起こされたりすると、魂と身体を結ぶ脆弱な糸が切れかねず、魂が戻る前に、夢見る人の身体は壊れてしまうことになる。魂が身体に戻ることができないと人は死んでしまうのだ。
イグルリク・エスキモー(Iglulik Eskimo)のシャーマンは探検家ラスムッセンにつぎのように語った。
「われらの古い伝承によれば、人が眠っている間魂はさかさまになっているものだ。魂はその足を人の身体に引っ掛け、頭を下にしてぶら下がっているのさ。われわれからすりゃ、死と眠りはおなじようなもの。だから眠っているとき、魂はすぐ行方不明になる」
ウイチョル・シャーマンのラモン・メディナ・シルヴァは言う。魂、あるいは生命力は蜘蛛の巣のような細い糸によって身体と結ばれていると。同様にオーストラリアの一部の先住民も、口から絹状の糸が発せられ、身体と魂を結んでいると信じている。
オーストラリア北西部のライ族(Rai)の呪術師は、「天の綱」を使い、空を飛び、地下世界を突き進むことができるという。またウンガリンヴィン族(Ungarinvin)の場合、魂(ya-yari)が身体を離れたとき、きれいな糸がペニスから発せられる。シャーマン(ban-man)は自分の身体を上昇させ、「上へ!」と叫ぶ。ミリル(miriru 肉体離脱)の状態で、また勃起したまま、呪術師が自分の性器について歌うと、その間に糸は形成される。魂はそれから外をほっつき歩く。しかし夢の旅の間、バン・マンの魂は糸によって身体に結ばれたままなのである。
オーストラリア北部ダンピア(Dampier)のシャーマンたちは上空を、つまり天空を翔る。そのとき特殊な武器、たとえば雨雲を携えているという。シャーマンは自分の身体のなかに「一閃の稲妻のような糸」を入れて飛んでいく。彼が糸を操ると、身体から一閃の稲妻が現れ、雷が轟く。そしてシャーマンの身体から生命力が発せられ、彼は稲光のあとについて飛んでいくという。
オーストラリアのクーリン族(Kulin)やクルナイ族(Kurnai)の「ドクター」たちも彼らの身体からきれいな糸を発することができる。やはり口から蜘蛛の巣のような糸を出し、それをよじ登って天界へ行くのである。
ムリン族(Murring)の呪術師の場合、草の茎ほどの太さの糸に沿って天へ上っていくという。
オーストラリア北西部の部族やニュー・サウス・ウェールズのテドラ族(Theddora)の「ドクター」たちは、彼らの身体からかろうじて見える糸を産出し、それをよじ登って天へ行く。
クルナイ族はまた糸が天の死者の魂から垂れ下がっていると信じている。
ウィラジュリ族(Wiradjuri)にとってこの神秘的な糸は、グンル(Gunr)すなわちタイガー・スネークの尾にくっついたものである。
パラン・ネグリトス(Parang Negritos)はこの連結によってシャーマンがより象徴的に天へ飛んでいくことができると考える。
「治療儀礼の間、ハラク(Halak シャーマン)の指には、パーム椰子の葉から作った糸がからんでいた。あるソースによればそれはきれいな紐であったという。この糸や紐はボンス(Bonsu)、すなわち七層の天に住む天神とつながっていた。この儀礼がつづくかぎり、ハラクは天神と糸や紐によって直接つながっていた。それらは天神が垂らしているもので、儀礼が終わると天神は引っ張りあげるのだ。天神と交わっている間、シャーマンは治療をすることができた。すなわちこの神との交流は人々にとってとてもありがたいことなのだ」(エリアーデ)
西欧の霊媒もまた身体と魂を結ぶ紐の存在を知っている。ロバート・クルッコルは霊媒からだけでなく、一般の人々からも、厖大なそうした事例を収集した。「身体・魂」をつなぐものを彼らはさまざまな名前で呼ぶ。糸、バンド、パイプライン、腕、紐、輝く銀の糸、光の紐、光線などである。ほかの人はたとえば、振動する、生きた輝く銀の光と表現する。OBE(肉体離脱)が始まるとき、それらをつなぐ紐は強靭だが、身体から遠ざかるにしたがい細くなり、髪の毛ほどになると、最後には見えなくなってしまうのだ。
<注釈>
(1)陽神(Pho lha)は公神、あるいは男の神などと訳される。丹珠昴奔の『蔵族神霊論』によると、この神の観念はアムドのチベット人のほか、土族、モンゴル族、漢族のなかに広がっていた。彼らは男であれば右肩、女であれば左肩に灯明があり、それが消えてしまうと病気になると信じていた。漢族では左右の肩が逆であったが。この灯明は健康であれば明るく輝き、病気になれば暗くなったので、命の灯と呼ばれた。
チベット人は肩、とくに右肩を叩かれるのをいやがるが、それはそこに命の灯があるからなのである。また親たちは子供の頭を撫でられるのを嫌った。それは子供の魂が驚いて飛んでいってしまうことがあるからだという。その場合は招魂儀式を行なわなければならない。
軍神(dGra lha)には二種類あるという。ひとつは人体に付く軍神。ディグム・ツェンポは軍神を失ってしまったため、ロンガムに殺されてしまった。軍神は陽神と同様人の肩に付き、主人が闘うときに手助けする。もうひとつは部落の守護神。実質上山神である。
(2)いうまでもなく、こういった象徴性に最初に注目し、世界中からサンプルを集めたのはミルチャ・エリアーデである。たとえば『シャーマニズム』のなかで、マオリ族などのポリネシアの例をあげている。
「マオリ族のヒーロー、タウハキの妻は妖精で、天から降りてきて、子供が生まれるまで彼とすごした。子供が生まれると彼女は小屋の屋根に上がり、それから消えてしまった。タウハキは蔦をよじ登って天へ上がり、その後なんとか地上に戻ってくることができた。ほかのバージョンによれば、彼が登るのに使ったのはココナッツ・パーム樹、ロープ、蜘蛛の巣、凧などだった。ハワイの諸島では虹を使った。タヒチでは高い山に登り、その途中で妻と会った」