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中央アジアで発見された、いくつかの短い文献はひとまず置こう。チベットの仏教以前の宗教が、比類なく強固な仏教の教義体系と対抗しうるものとなるためには、極めて大規模な発展の過程を経る必要があったと推測できる。また、今日ボン教の教義体系の一部として我々が目にする経典の多くは、比較的遅い時期に、しかも明らかに仏教の影響下で成立したものであるという点も念頭に置く必要がある。ボン教の経典を「カンギュル(bKa’ ‘gyur)」(シェンラブの啓示を含む経典群)と「テンギュル(bsTan ‘gyur)」の二つの集成に分類する手法もまた、仏教に由来するものである。

ボン教の教えが文献上に形を成し始めたのは、仏教がチベットに浸透し始めたのとほぼ同時期であったと見られる。例えば、それまで祈祷師やボン教の祭司によって口伝で継承されてきた儀礼的慣習は、成文化の過程を経ることとなった。前述のような理由から教義や理論的側面への関心が高まるにつれ、この成文化の動きはさらに拡大していった。本来の儀礼は、今日の民間信仰における儀礼と同様に、王や部族の首長、特権階級の家系の人々を危機や生命の危険から守り、その安寧を確保することを主眼としていた。

こうした慣習は、教義という上部構造が徐々に構築されていくための基盤となった。その過程は、仏教のみならず、他の宗教的観念や教義の影響下で進められた。チベット人がそれらの知識を得ることができたのは、中央アジアの征服や、中国およびインドとの接触のおかげだった。

ボン教の伝承それ自体の中に、同教の教義を大成した最も著名な師たちの出身地に関する記述が見られる。具体的に挙げられている地域としては、ブルシャ(Bru zha ギルギットおよびその周辺地域)や、シャンシュン(Zhang zhung)がある。シャンシュンは通常、チベット西部を指す地理的名称だが、実際にはチベット西部から北および北東部にかけて広がる、はるかに広大な地域を指す名称でもあった(この地域では、8つの主要言語と24の小言語が話されていた)。

さらに、カチェ(Kha che カシミール)、中国、そしてスンパ(Sum pa)の大師たちも名を連ねている。ギルギットはシヴァ教の影響を強く受けており、そのすぐ隣のフンザには、イランとシヴァ教の双方に由来するグノーシス的教えが広まっていた。こうしたグノーシス的教えはイスマーイール派の有名な書物の中で表現され、この地域で広く支持されていた。広大な辺境の地であったシャンシュンもまた、独自の宗教思想のみならず、異国の概念の残響をも伝えていく運命にあった。

ボン教の伝統においても「タジク(sTag gzig)」と呼ばれる国が知られているが、チベット語の文献においてこの名称は、イラン(あるいはイラン語系)の世界、さらにはイスラーム世界を指すものである。こうした点から、教義の面におけるシヴァ教の影響を推測することができる。この影響は、チベットの論書の著者たちによっても認識されていた。

確かに、シヴァ教の思想とのある種の合致点は、ゾクチェン(rDzogs chen)の瞑想を通じて間接的に説明できるかもしれない。言い換えれば、そうした合致は、シヴァ教と多くの共通点を持つ当該の宗派が、ボン教の教義の体系化に影響を及ぼした後に生じたものかもしれない。一方、明らかにそれより古い他の要素は、イランの信仰、とりわけズルワーン教[ゾロアスター教の分派]の影響をうかがわせるものである。

例えば、世界の根源的な神として「ヤンダク・ギャルポ(Yang dag rgyal po)」という神が語られる。彼は「デウス・オティオスス(deus otiosus:何もしない神)」であり、太陽も月も、時間も季節もなく、ただ純粋な可能性のみが存在していた時代に実在していた。やがて二つの光――白と黒――が生まれた。それらがさらに二つの存在を生み出した。黒い光からは黒い人が、白い光からは白い人が現れた。黒い人は否定の原理、すなわち「非存在(Not-Being)」を象徴している。彼は武装しており、「ミャルワ・ナクポ(Myal ba nag po)」(「黒き悲嘆」の意)と呼ばれる。彼を起源として、星座や悪魔、そして干魃が生じ、彼は疫病やあらゆる種類の災厄をもたらす。こうして、「デ('dre)」、「シン(srin)」、「ビュルあるいはジュル(byur)」といった悪魔たちが邪悪な業をなす一方で、「ラ(lha)」への信仰は消え失せていった。

 対照的に、その白き神は「存在」の肯定的な神、善き神である。彼の名は「sNang srid sems can yod pa dga' ba'i bdag po ナン・シ・セム・ツァン・ユーパ・ガワイ・ダクポ」(別名「Od zer ldanウーセル・デン」――「光り輝く者」の意)であり、あらゆる善の背後にある原理である。彼が現れた後、神々(lha ラ)は再び崇拝されるようになり、悪魔を克服するための闘争が始まった。ここで我々は明らかに、ズルワーン教の影響を受けた概念の世界に足を踏み入れている。