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ここでは明らかに、既存の神話的観念、すなわち「山の父」や「湖の母」といった観念の上に、グノーシス的な解釈が重ね合わされている。

また別の箇所では、一見して実在するように見える世界(snang srid ナンシ)がいかにして生じたのかという問いが提起されている。この「存在」(srid シ)はどこから、いかにして生じたのか。それは、ニンマ派でも用いられる用語であるロン(slong)と呼ばれる、永遠の昔から存在する原理に由来するものであり、ボンニ(bon nyid)、すなわちイェニ・トンパ(ye nyid stong pa)から生み出される。

[訳注:ニンマ派や唯識派、ボン教が好む用語に「等起(kun slong)がある。これは、身口の二業は、心(精神活動)によって、すなわち心ですべてを等起(引き起こす)することで、生じさせることを言う。よい行動、よい言葉が生じるためには、よい心が必要なのである」

仏教の教義を模したこの文脈において、ボン(bon)という語は、サンスクリット語のダルマに相当するチュー(chos)を意味している。したがってボンニは、ダルマターすなわち法性であるチューニ(chos nyid)に対応するものであり、それは無限の潜在的な存在である。我々が実在性を認めるあらゆるもの、あるいは対象として、あるいは存在の要素(サンスクリット語のダルマ)として我々の前に現れるあらゆるものは、このボンニから生起するのである。

このようにボンニ(Bon nyid)とは、空(くう)、すなわちイェニ・トンパ(ye nyid stong pa)のことである。この根源的な状態、あるいは第一の段階から、続いて(第二の段階として)解放(grol)のプロセスが生じる。それは、空に内在する可能性が自らを解き放ち、形を取るというプロセスである。

 第三の段階は、神聖な流出(sprul)のプロセスそのもので構成されている。この一連の観念において、古代の土着的な宇宙生成論の概念が、より顕著な形で再び姿を現す。この段階の特徴は、ティセ山の雪やマパム湖の水から光が流れ出るようにして現れることである。

第四の段階は、宇宙卵の中で顕現する五大元素の形成によって特徴づけられる。

第五の段階は「ドル(brdol)」、すなわち「湧き出ること」や「流出」と呼ばれる。言い換えれば、五大元素のそれぞれが、自らの本来の性質に従って顕現する。

6の段階は、総勢360柱の眷属を伴った、奇跡的に生じた身体(化身、トクルパ sprul pa)であるベーチェン・ゲクー(dBal chen ge khod)」の誕生によって構成される。

7の段階は、幻影あるいは奇跡(ズトゥル rdzu 'phrul)の段階であり、シキ・ヤクポ・カルポ(srid kyi g.yag po dkar po)すなわち存在の白いヤクの誕生を特徴とする。

8の段階は、そのヤクの「落下」、すなわちボン教の地であるシャンシュン(Zhang zhung)への降臨である。

9にして最後の段階では、到来(byon)、すなわちボン教の「ダラ(dGra bla)」の姿をとったシェルギェル(Shel gyer)の到着である。ヤクは天から山へと降り立ち、こうして世界へと到る。そこでヤクが角で左右の山々を切り裂くと、大地は花々で覆われる。これをもって、天地創造は完了する。