(16)

ここでどうしても関連する一つの主題を取り上げざるを得ない。それは、ボン教そのものの発展という問題である。他民族との接触や異質な宗教概念の流入によってもたらされたチベット社会の生活や慣習の変容という文脈の中で、ボン教はいかに発展してきたのだろうか。

こうした変容の痕跡は、ディグム王の時代の出来事の中だけでなく、我々に伝わる伝承の中にも見出すことができる。例えば、番号82の資料[Grub mtha’ thams cad kyi khungs dang ‘dod tshul ston pa legs bshad gsal ba’i me long]は、ボン教におけるジョル・ボン(’jol Bon 1952年のLalouでは 'mjol Bon)、キャル・ボン('khyal Bon)、ギュル・ボン('gyur Bon)という3つの連続した段階に言及している。

ジョル・ボン(’Jol Bon)はこれら段階の最初のものであり、文字を持たない時代に生まれた。この段階ではもっぱら有害な力を克服することが課題とされた。

キャル・ボン(’kyar Bon)は逸脱したボンの意で、ドゥル・ボン(dur Bon)とも呼ばれる[ドゥルは墓地、鳥葬場の意味]。この発展の第2段階は、何よりもまず葬送儀礼に関わるものだった。それはディグム王時代に始まり、今日ではその名が知られていない多くの宗教的熟達者や各派の長たちの協力によって生み出されたものだった。言い換えれば、この段階は、理論や組織の発展、そしてチベット国外を含む他の宗教的中心地との交流が始まった時期でもあった。

第3段階はギュル・ボン(gyur Bon)、すなわち変容したボン教と呼ばれる。この段階においてボン教は、それまで必要としなかった教義的な形態を整える必要性を感じ、一部の儀礼に変更を加え、仏教の教えの重要な部分を自らの教義に取り入れた。

これはあきらかにシェンラブ(gShen rab)によってもたらされた時代である。シェンラブは、ボン教の文献において、最終的にはゴータマ・ブッダに明確に対応する存在として描かれている。

土地や山の悪魔を改心させたり打ち負かしたりしたことさえも彼に帰せられており、それらの伝承は、奇跡を行う者パドマサンバヴァをめぐる伝説が語る物語と酷似している。

そのような伝承がいかなる資料に基づいていたのかを断定することは困難である。しかしこの展開には明らかに内的な法則性が認められる。すなわち、各地で様相を異にする、純粋に呪術的あるいはシャーマニズム的な性格を帯びた原始的な段階から、ボン教の発展において間違いなく極めて重要な役割を果たした人物ディグムの時代に至り、王権とボン教の呪術的権威との対立に起因すると考えられる組織化の端緒が見られるようになる。

後述するように、ディグムが単にそれ以上の意味を持つ可能性もある。すなわち、彼は天空の神々の信仰に対抗する、地下の神々の信仰の代表者と見なすべきかもしれない。

土葬やドゥル・ボン(葬送儀礼のボン)といった慣習の出現は、遺体が大地へと回帰することを示している。葬送儀礼や墓の築造儀礼を基盤とする巨石文化は、やがて別の文化へと取って代わられる。その新たな文化においても、ル(klu)は依然として重要な役割を担っている。彼らは天の神ラ(lha)、人間、そしてルという世界の三区分において、中心的かつ重要な位置を占めている。信仰者たちの厚い崇敬を集めるのは、天の神々、すなわち光の神々や白い光の神々である。

いずれにせよ、ディグム王の死を境に葬送の慣習が大きく変化したことは、広く認められている事実である。それ以前の時代については、天と地を結ぶ縄を伝って王が天に昇ったという伝承が残っている。そのようにして、亡くなった王は地上に何ら痕跡を残すことなく、虹のように消え去ったのである。しかしディグム王の時代にその慣習は途絶え、遺体は棺に収められて川に投げ込まれるようになった。