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 ここで指摘されるのは、ディグム(Gri gum)王の姿が、仏教の伝承におけるランダルマ(Glang dar ma)王に重なるという点である。両者とも、当時の支配的な宗教の敵対者として描かれているが、多くのボン教の文献において、ランダルマがボン教への熱意ゆえに犠牲になった人物として描かれることは決してない。教義への弾圧を終わらせるためにランダルマが僧侶ペーギ・ドルジェ(​​dPal gyi rdo rje)によって殺害されたのと同様に、ディグムもまた、自身の家臣の一人によって殺害された。殺害の理由は、彼が当時のボン教に対して敵対的な態度をとり、その刷新を図ろうとしたことにあったと考えられる。

 両王とも矢に射られて命を落としたが、ディグムに関しては、短剣(gri)によるものか矢によるものか、伝承によって説が分かれている。いずれの王も「ドゥン(gdon)」[魑魅、魔物の意]に取り憑かれていた。要するに、ここで分裂を招く王の典型的なモデルが形成されたのである。

ディグムの遺体は銅製の棺に納められ、川に投げ込まれた。亡骸はコンポ(rKong po)の地に流れ着いたが、そこで悪魔がその体に憑依した。息子たちは遺体を買い戻そうと試みたものの果たせなかったが、別の伝承によれば、マンポジェ(Mang po rje)という王が「短剣の悪魔」あるいは「短剣による死(gri shi)」を打ち負かし、遺体をヤルルン(Yar klungs)へと持ち帰ることに成功したとされる。

その遺体が露わになった際、「ンガ・ラ・ラ(nga ra ra)」という音が発せられたことから、その場所はそれ以来「ンガル・パ・タン(Ngar pa thang)」と呼ばれるようになった[ンガル・ケ(ngar skad)でうなり声の意]。人々はその遺体の周囲を360日間にわたって巡回した。これは、「世界の中心(アクシス・ムンディ)」と見なされるティセ山[カイラース山]の周囲を360日間かけて巡るゲクー(ge khod)の儀礼と同様である。その後遺体は山の頂に埋葬された。それ以来、それはこの山の守護神[ラテン語のdeus lociは直訳すると場所の神]と見なされるようになった。