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ディグン(Gri gum)の息子の一人であるシャティ(Sha khri)あるいはキ(Khyi)、他の資料ではチャキ(Bya khyi)は、プデ・グンギャル(sPu de gung rgyal)と同一視され、コンポ(rKong po)へ移住したとされている。この人物は、コン・カルポ(rKong dkar po)やコンジェ・カルポ(rKong rje dkar po)とも呼ばれる。ただし、一部の資料では、このシャティ(=プデ・グンギャル)をヤルルン(Yar klungs)と結びつけている。しかし別の資料で彼の名前が「六賢(sa'i legs drug 六地賢王)」と呼ばれる新たな王名リストの先頭に挙げられていることに留意すべきである。
ここで我々が手にしているのは、正統とされていた系図に後から挿入された、別の家系図であると推測できる。プデ・グンギャルに帰せられる最も重要な特徴は、人類のより安全で活発な生活を築くことを目的とした社会規範を制定したことである。
王名リストの筆頭に挙げられるニャティ(gNya' khri)の来歴についても、慎重な検討を要する。特にその降臨の地に関する記述に目を向けると、事態は複雑さを増す。公式の伝承では、彼が降臨したのはヤルルン(Yar klungs)のシャンポ・ラリ(Sham po lha ri)とされるが、他の史料では、コンポ(rKong po)のラリ・ギャント(Lha ri gyang tho)とされているのだ。
現在取り組んでいる研究で明らかにしたいのは、チベット王家の正統的な系図全体が明らかに断片的なものであるということだ。私たちが扱っているのは、間違いなく、さまざまな中心地から発祥し、人為的にまとめられた他の王朝や氏族の系図を取り込むために改訂されたリストである。これらの中心地には、ニャンロ(Myang ro)、コンポ、ヤルルンなどが含まれる。
ウーデ・グンギャル(’O de gung rgyal)についても同様のことが言える。チベットの勅令を見ると、彼も天に由来する最初の王と見なされている。しかしプデ・グンギャル(sPu de gung rgyal)とは何ら関係がないようだ。
既に述べたように、ウーデ・グンギャルはオルカ('Ol kha)の南にある神格化された山の名である。この場合もまた、他のほとんどの山岳の祖神と同様に、天からの降臨について言及されている。
プギャル(sPu rgyal)は山ではない。ある伝承によれば彼は天から降臨したとされるが、より一般的な記述によれば、彼はディグム(Gri gum)の息子の一人と同一人物であるとされる。ただし、なぜその新しい名で呼ばれるようになったのかについては説明がない。
こうした点からも、前述の結論、すなわち、チベットには数多くの系譜が並存していたこと(有力な家系の数だけ系図が存在した!)、そしてソンツェン・ガンポ(Srong btsan sgam po)に帰せられる出自はかなり早い段階で形成された複合的なものであること(これは敦煌文献の異本からも明らか)が導き出される。したがって、それを史実としての真正な系譜と見なすことは到底できない。
その編纂者たちを突き動かしたのは、おそらく、ソンツェン・ガンポの一族と婚姻関係にありながらも政治的力関係によって排除されていた諸家の系譜を、新たな系譜の中に組み込みたいという意図であった。こうした手法を通じて、支配王朝は複雑な歴史的経緯の頂点かつ結実としての地位を確立し、天上の祖先や神聖な祖先山に由来する聖性を継承する存在となった。
そうした観点から見ると、この伝承には、異なる地域や時代に属する少なくとも3人の族長あるいは祖先神、すなわちニャ・ティ(gNya' khri)、プギャル(sPu rgyal)、ウーデ・グンギャル('O de gung rgyal)が関与しているように思われる。一方、ディグムは孤立した存在のように見える。こうした宇宙創生論、神統譜、系譜を考察する際、我々がいかに解明 困難な迷宮に足を踏み入れているかということが、示された詳細からうかがえる。
事態をさらに複雑にしているのは、各地の主要な拠点において、その土地で優勢だった伝承に、特定の力(パワー)」との新たな、多かれ少なかれ恣意的な結びつきが付加されたことである。そうした結びつきは徐々に主張され、広く認められるようになり、特定のグループへと組み込まれていった。
例えば、ンガル・パタン(Ngar pa thang)のラ(lha)は、このようにしてディグムをめぐる神話群と結びつけられた。こうして、各地の崇拝対象は、他の神話とますます結びつきを深め、それらと融合していくこととなった。