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「ボン」は総称であり、すでに述べたように、シェン(gshen)もこのボンに含まれる。死者儀礼に関する文献によれば、ジョル・ボン(mjol bon)が供犠を主導する。同じ文献の中で言及されているドゥル・ボン(dur bon)とパン・ボン(phangs bon)は、供犠には関与しない。パン・ボンは死者を食事に招き、魂を迎え入れる。ニュン・ボン(snyun bon)やマク・ボン(smag bon)、ジョル・ボン('jol bon)らは[儀礼歌を]歌う。シェンあるいはク・シェン(sku gshen)は、実際の祭祀を執り行う司祭であり、彼らには補佐役がつく。シェンという語は、おそらく「処刑人」や「拷問者」を意味するシェ(gshed)」という語と関連があると考えられる[gshed自体は仇という意味であり、gshed maで処刑人となる]。一方、ク・シェンは王の守護者であり、階層構造の頂点に立つ存在である。彼は、王の死に際して祭祀の務めを担うこととなるシェンの家系(rigs)に属していなければならない。


 [ヤルルン]王朝時代には、すでに独自の経典を持つ宗教が存在していたことは確実と思われる。ラルーらが編纂したものなどがその例だが、これらについては、断片として、あるいは後代の書物に収められた抜粋や注釈を通じてのみ知ることができる。こうした初期の文献は、特定の役割を専門とする様々な祭祀の司祭たちが、儀式や典礼を執り行う際に用いた手引書であった。

このことは、文献に含まれ、後の資料でも言及されている用語法から推察できる。少なくとも特別な機会には唱えられていた典礼行為や宇宙論が多様であったという事実は、王朝時代の当時、この宗教がすでに非常に複雑なものであったことを示している。

そこには独自の神話や体系化された儀礼、そして場所によって異なり、拡張や相互影響を受けうる神々の体系が存在していたが、仏教に見られるような教義的構造は備わっていなかった。こうした状況から、ボン教は、おそらくシェンラブという名の師を介して、仏教の教義や用語を次第に取り入れるようになった。ただし、その過程においても、ボン教固有の直観のいくつかは存続し続けた。