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イ族 祭火節(火祭り) 1
雲南省弥勒県紅万村

宮本神酒男


 奇祭、というより破天荒な祭り、といったほうがいい。

 男たちのほとんどが半裸になり、女たちも下着姿になり、思うがままにペイントし(写真の一人はどう見ても全裸だが)顔も塗りたくり、草をまとい、動物に仮装したりする。丘の上のミジの森からすさまじい勢いで村を抜け、麓の会場へなだれこみ、火のまわりで踊り、歌い、飛び跳ねる。

 私はカメラやビデオカメラを持って撮影していたのだが、腹を抱えて笑ううちにカメラを落とし、壊してしまった。そこで少し冷めてしまったのだけれど、そういったことがなければシンプルにこの祭りは楽しめると思った。

 もしかすると観光客を呼び込むために最近になってエスカレートしたのではないかとも疑ったが、15年前に出版された本の写真を見ると、大同小異だった。それに雲南各地から取材記者やカメラマンは多数来ていたものの、一般の観光客はそれほど多くはなかった。

 火祭りは基本的に人類に文明をもたらした火そのものを称え、崇拝する祭礼である。正月28日頃、町に出ていた人々も実家にもどり、柴刈りをしたり、洗濯や掃除をしたりと、家族の生活を助ける。また村道にびっしりと松の葉を敷き詰め、そこを宴の会場とする。同心酒を飲みながら、酒歌をうたう。

 祭りは農暦2月3日(2011年は3月7日)に行われる。ピモ(祭司)を長とする一団によって、丘の上のミジの森(ここで先祖が生まれたとされる)で火が作られる。火の種から作るので、けっこう時間がかかってしまう。摩擦によって煙が発生すると、どよめきが起こり、それからペイントした男たちが煙のまわりを飛び跳ねるように踊り始める。煙のなかからオレンジ色の火が現れ、それは次第に激しい炎となっていった。

 近くの草むらに置かれていたムテン(あるいはムティ)の像、というよりハリボテを人々は担ぎ上げ、原始人に扮した人々とともに丘を下り始める。男たちのなかには途中の沼に入り、からだを泥まみれにする者もいた。子どもたちはスッポンポンのまま沼に突入し、泥の衣をまとった。

 人々は会場になだれこみ、激しく踊った。中央には火が燃えていて、興奮して火の上をジャンプする者まで現れた。顔を隠しているせいか、男は半裸で男性器の模型をつけていても、女は下着姿でも、気にすることがなかった。次第にエロチックな無礼講祭りと化そうとしていた。



 彼らはイ族のなかでもアシと呼ばれる人々である。北隣りの路南のイ族はサニ、昆明のイ族はサメなどと呼ばれる。彼らはたとえばジノー族などと同様、独立した民族として認定される可能性もあったが、結局イ族の一員ということになった。それは彼らがロロと呼ばれ、祭司であるピモが彜(イ)文字経典をもつなどイ族の特色を持っていたからだった。

 彼らは古くは弥勒と呼ばれていた。弥勒県内には弥勒寺があり、巨大弥勒仏が鎮座しているが、それは名前にあやかって造られたものだろう。弥勒部落の記述そのものは唐代初めに現れるのである。

 弥勒のアシ・イ族は彜(イ)文字で書かれた「阿細的先基(アシのシェンジ)」や「ペトメニ」といった古典を持っている。それらは創世神話から歴史、宗教、天文、地理まで書かれたエンサイクロペディア的な書なのである。

 イ族は長い歴史と独自の文化を持った人々だが、その蓄積された知識は半端なものではない。火祭りという表面の下には驚くべき知恵が隠されているのだ。