シャンシュンとペルシア 宮本神酒男 訳

第6章 古代語新釈

 

3 ツェン(btsan)、ティ(khri)、ナム(namあるいはgnam

 

[] ツェン(btsan

 ツェンにはおもにふたつの意味がある。ひとつは妖魔、あるいは精霊。もうひとつは勇壮。

前者のツェンを含む語には、ツェン・グー(btsan gos 魔衣)、ツェン・カン(btsan khang 地祇祠堂)、ツェン・ゴ(btsan rgod 山妖)、ツェン・ドゥ(btsan mdos 妖魔を駆逐するための供物)、ツェン・マル(btsan dmar 赤い精霊)、ツェン・シュワ(btsan zhwa 精霊帽)など。

 後者のツェンを含む語には、ツェン・クル(btsan bskul 無理強い)、ツェン・カン(btsan khang 堅固な家)、ツェン・ゾン(btsan rdzong 保塁)、ツェン・ティ(btsan khrid 誘拐)、ツェン・ンガクあるいはツェン・タム(btsan ngagあるいはbtsan gtam きつい言葉)、ツェン・チュー(btsan bcod 武断)、ツェン・タブ(btsan thabs 強力)など。

 ツェンの本来の意味は前者だろう。最初は強力な神威を表わすことばだったが、強力な権力が出現すると、勇壮という意味で使われはじめ、権力ある男性の象徴となった。

 『新唐書』「吐蕃伝」にはその解釈が明確化されている。

「その俗に強き者をツェンといい、男をポという。ゆえに君長を賛普(ツェンポ)という。その妻をまた末蒙(モムン)という」

 賛普は「btsan po」の音訳である。古代ではnの音はdと交換可能だったので、「btsas po」と表記することも可能だった。ツェンポの妃と公主は「btsan mo」だった。また夫婦を「btsan jing」と呼んだ。

 ツェンは人名に用いられたが、最たるものはツェンポだろう。たとえば吐蕃王系のなかに、いわゆる五ツェン王(btsan lnga)がある。

 彼らの名は、ギャル・シン・ツェン(rGyal srin brtsan)、ギャル・トレ・ロンツェン(rgyal to re longs brtsan)、ティ・ツェン・ナム(Khri brtsan nam)、ティダ・ブンツェン(Khri sgra sbung brtsan)、ティ・トグツェン(Khri thog brtsan)である。

 その前にはデトゥ・ボナム・シュンツェン(lDe pru bo gnam gzhung btsan)、あとにはラトド・ニャツェン(Lha tho do snya brtsan)、ティニャ・スンツェン(Khri snya zung brtsan)、および吐蕃王朝を建てたソンツェン・ガムポ(Srong brtsan sgam po)がいた。

 その後代には、グンソン・グンツェン(Gung srong gung rtsan)、マンロン・マンツェン(Man slon mang rtsan)、ティデ・ツグツェン(Khri lde gtsug brtsan)、ティソン・デツェン(Khri srong lde brtsan)、ティツグ・デツェン(Khri gtsug lde btsan)、ウイ・ドムツェン(UI dum brtsan)らがつづいた。

 もともとこのツェンという語は一般人が使うことはできなかったが、次第に瑞兆を表わす文字としてだれもが使用できるようになった。ソンツェン・ガムポの時期、ガル・トンツェン・ユルスン(ルトンツェン)の一子がツェンニャ(btsan snya)と名づけられたのはそれに呼応した例だろう。

 注目に値すべきは、ボン教が流行した古代、ツェンという語はきわめて神聖な言葉であるだけでなく、ほめ言葉でもあったことだ。しかし仏教が伝来し、ボン教に打ち勝ち、ティソン・デツェン期に優勢な地位を得ると、ツェンは妖魔や精霊といっしょになってその地位を著しく低下させることとなった。

 ボン教が国政護持の権力、ならびに吐蕃人の意識形態を主導する地位を失うと、天神や山神など自然神が主体をなすボン教の神々もその地位を失った。あるいは仏教大師に調伏されることになった。こうして仏教の護法神となるか、妖魔や悪霊とみなされるようになった。ツェン神はそのうちのひとつだった。

 ツェン(btsan)という語とそのもうひとつの意味は、私にペルシア語のベザン(bezan)という言葉を思い起こさせた。英雄、烈士、あるいは戦いの得意な人の意味である。ベザン・バハドル(bezan bahador)で勇士、非常に勇敢な、といった意味となる。ツェンと音が似ているだけでなく、意味もおなじなのだ。チベット文献のなかにはペルシアとシャンシュンの特殊な関係について記述したものがあるが、この種の関係は捉えられそうで、なかなか捉えられないものである。

 

[] ティ(khri

 ティという語もまた宗教的意味合いをもった特殊な言葉で、現代チベット語では主にふたつの意味がある。ひとつは座、寝台。もうひとつは数詞で、万。研究者によれば、ティは王位の尊称だという。

 座席を示す語が王位を表わすのかどうか、古代部落の首領が坐るものかどうか考えたとき、あやしいと言わざるをえない。またその他の人々、たとえば大臣なども含まれるのだろうか。ティにはほかの意味はないのだろうか。そういったさまざまな疑問点が浮かんでくるのだった。

 吐蕃第1代ツェンポ、ニャティ・ツェンポ以来、名前にティを含むツェンポは少なくない。もっとも早いのがティイ・ドゥンチグ(Khrii bdun tshig)。そのあとの6人のツェンポをあわせ、「天ティ七王」という。

 

デニャグティ・ツェンポ(lDe nyag khri btsan po

ムグティ・ツェンポ(Mug khri btsan po

ディンティ・ツェンポ(Ding khri btsan po

ソティ・ツェンポ(So khri btsan po

デティ・ツェンポ(De khri btsan po

ティペ・ツェンポ(メティ・ツェンポMe khri btsan po、あるいはセティ・ツェンポSe khri btsan poともいう)

 

 このあともティを含むツェンポはつづく。

 

ティ・ツェン・ナム(Khri brtsan nam

ティダ・ブンツェン(Khri sgra sbung brtsan

ティ・トグ・ツェン(Khri thog brtsan

ティニャ・スンツェン(Khri snya zung brtsan

ティ・ソンツェン(Khri srong brtsan

ティ・ドゥソン・マンポジェ(Khri dus srong mang po rje

ティツグ・デツェン(Khri gtsug lde brtsan

 

R・スタンはチベットの史詩を引用する。

 

Gung sang bum paI mkhar mang nas

Khris sdur (=khri gdugs) khe drin byon pa na

まさに天蓋(太陽)は恩恵と善行を帯び、天上から十万の宮殿に降臨する

 

 この一節にもわれわれは神をあらわす言葉を発見する。ティは玉座であり、太陽神を指す。bumは十万、sangは天の意味。おそらくkhriも天を表わすのだろう。ティイ・ドンチグのティは合理的に考えるなら、天を意味するのだ。われわれはこうしてティに天の意味が含まれることを認識した。

 

[] ナム(namあるいはgnam

 ナムはただひとつの意味をあらわしている。すなわち天。われわれが興味をひかれるのは、古代のチベット人の天に対する特別な感情である。ツェンポはその初代以来天から降りてきた。「天ティ七王」は天から降りてきて、死後また天上に帰っていった。人間の地上世界には痕跡を残さなかったのである。天に対する渇望は吐蕃ツェンポの名前にも反映されていた。

 たとえば「六地レー」(sa le legs drug)のあと、つぎのツェンポ名がつづく。

 

サナム・シンテ(Zwa gnam zin te

デドゥボ・ナムシュンツェン(lDe bru bo gnam gzhung btsan

ナムデ・ノルナム(gNam lde rnol nam

ティ・ツェン・ナム(Khri brtsan nam

ソンツェン・ルンナム(Slong btsan rlung nam あるいはナムリ・ソンツェン gNam ri slon mtshan

 

 この時代、チベットにはボン教が流行し、ボン教の天崇拝とツェンポの天崇拝が結合した。そうして当時の社会的精神的生活を形成したのである。