シャンシュンとペルシア 宮本神酒男 訳

第6章 古代語新釈

 

4 デ(lde)、ツグ(gtsug)、ウーセル(’od zer

[1] デ(lde

 デという語は、現代チベット語ではあぶる(me lde ba)、日にさらす(ni ma lde ba)とスプーンのふたつの意味がある。それはツェンポの名前にも好んで用いられる語でもある。もっとも早く現れたのは、第1代ツェンポ、ニャティ・ツェンポの正式名デ・ニャティ・ツェンポ(lDe Nyag khri btsan po)であり、そのあとの「天ティ七王」のデティ・ツェンポ(De khri btsan po)につづく。

 そのほかボン教復興で有名なプデ・グンギャル(sPu de gung rgyal)、そして何と言っても「八デ王」(lde brgyag)の存在がある。デドゥボ・ナムシュンツェン(lDe bru bo gnam gzhung btsan)やデゴル(lDe gol)、ナムデ・ノルナム(gNam lde rnol nam)、デギャルポ(lDe rgyal po)らである。

 ドニェン・デル(Bro mnyen lde ru)にも「lde」が含まれている。

 吐蕃朝期も「lde」はそれまでと同様ツェンポのなかに含まれることが多い。たとえば、ティデ・ツグツェン(Khri lde gtsug brtsan)、ティソン・デツェン(Khri srong lde brtsan)、ティデ・ソンツェン(Khri lde srong brtsan)、ティツグ・デツェン(Khri gtsug lde brtsan)など。

 「デ」の原義について国内外の学者が論じてきた。A・マクドナルド(Ariane Macdonald すなわち通名スパニアン)は敦煌文献のP・T・1286号および1287号のツェンポの伝記を分析し、「デ」が1286号の第一段のなかで地名から来ていること、またヤーロンとつねにいっしょであることを認めた。部族の名称やヤーロンの地名、あるいは祖先を表わしていると彼は考えた。

 1287号ではつねに「天子」(lde sras)かデブ(lde bu)が吐蕃のツェンポを示し、とくにディグン・ツェンポとソンツェン・ガムポを指している。

 「デ」は地名や部族名のほか、祖先や天神を意味している。王堯によると、デ(ldeldeu)は二十八宿中の心宿二、すなわち大火だという。古代の農業がはじまったばかりの段階では大火でもって農業サイクルの座標軸としていた。そのことは『詩経』に多く記されている。大火は人間の生活と密接な関係にあったので、それが崇拝されるのは当然だった。

 敦煌文献から考えると、初期のデは火と、あるいは火の赤色と関係がある。われわれはその意味でこの両者の論に同意できる。古代人が最初に獲得した火は天上から来たもの、すなわち天火であり、拝火と拝天息とは相関していて、対立はない。

 ディグン・ツェンポの護法神の名はデラ・グンギャル(lDe bla gung rgyal)だった。この神はツェンポを天に導くことができた。あきらかに天上の神であり、それによってデ・ニャティ・ツェンポ(lDe nyag khri btsan po)は天から降臨することができた。デという語が天と関係あるのは当然だろう。

 

[] ツ(gtsug

 現代チベット語ではツは頭頂、頭の最高部の意味である。ツェンポの名に頻繁に用いられる語である。たとえばティデ・ツグツェン(Khri lde gtsug brtsan)、ティツグ・デツェン(Khri gtsug lde brtsan)など。

 王堯の解釈によると、ツには頂髻、頭頂の意味があり、ほかに火や火神の概念が含まれるという。また文明(gtsug lag)や典籍を表わすという。名が作られる際、火や火神の崇拝と関係があった可能性はすこぶるあるだろう。

 デに火の意味が含まれていることは、まちがいない。たとえばツグ・プ・チェン(gtsug phud can)は彗星の異名であり、また火(me)の異名でもある。

 敦煌文献にはツグ(gtsug)やツグラク(gtsug lag)が頻出する。A・マクドナルドによれば、ツグとツグラクともニャティ・ツェンポが天上からもたらした「天神の法」であり、ツェンポのチャー神(phya)と関係がある。つまりこの「天神の法」はチャー神が導入されたツの宗教なのである。

 実際、ツグラクとそれに関する述語は、たとえば天神の法、神のツグラク、天法、地法などは宗教的な意味を持っている。

 彼女はバコー(J. Bacot)が「yar lha sham po ni gtsug gi lhao」を「ヤラシャムポは最高峰の神である」と翻訳したことに賛成しなかった。「(あらゆる聖山のなかで)ヤラシャムポはツの(最高)神である」と訳すべきだと考えたのだ。

 ツの持つ意味や用法から考えるに、それには天(最高)や火の意味もある。宗教的意味を含むことばによって、古代チベットの民の天や火への崇拝が体現されるのである。

 

[] ウーセル('od zer

 ウーセルの意味は比較的明確で、光明や光芒といった意味である。何度も引用したように、第1代ツェンポ、ニャティ・ツェンポは光の縄に沿って地上に降臨した。彼やその後継者はまた光の縄に沿って天に戻り、地上には痕跡を残さなかった。しかしディグン・ツェンポの時代になると、光の縄は切られ、天に戻る手段がなくなり、人間は墳墓を築くようになった。

 伝説によればボン教教祖シェンラブ・ミボも光芒に沿ってやってきたという。光や天を崇拝するのは古代においては各地でみられたことだが、チベットならではの特色もあった。チベット人は光の縄という聖なる階段で天と地の間を行き来した。この伝説を体系化したのがボン教であり、ボン教は周辺地域の宗教とも交流した。ではウーセルの伝説のなかで他地域との間に何か関係が生じたのだろうか。

 私は関係が生じたと考える。以下、それについて説明したい。

 チベット語のウーセル('od zer)とペルシア語のazarは同源のように思える。Azarは火を意味し、イラン陰暦9月(西暦1122日―1221日)も意味する。

 この語を語根とするものには、azar-parast(ゾロアスター教徒)、azar-pira(ゾロアスター教の寺院の僧)、azar-parastee(ゾロアスター教、ゾロアスター教的)、azar-jashn(過去の九月祭、すなわち拝火祭)、azarakhsh(稲光、九月祭)、azar-shab(火神、火怪)、azar-goshasp(聖火精、聖火神、古代の火廟の名称)、azaree(火の)、azareen(火の、火のように、火のように赤い)などがある。これらの意味は明白である。チベット語のウーセルはペルシア語でゾロアスター教を表すことばなのだ。

 以上のことからわかるのは、古代のチベット語のなかに、すくなからぬ古代ペルシア、とくにゾロアスター教の影響が見られることである。ゾロアスター教、ボン教に共通してみられることばや、はなはだしくは完全に一致する場合もあるのだ。この現象は歴史的階梯の産物といえるだろう。具体的にいえば、ボン教が外来宗教文化、とくにゾロアスター教の影響を受けてきたということである。

 ボン教が体系化され、とくにボン教が「護持国政」の宗教となり、古代チベットの宗教の基礎となった。そしてまた自身の理論が注入され、宗教はより発展し、どれが効果的であったか判別しがたくなった。それはチベットの文化の本質であり、仏教が伝来したあとも同様のことが起こるのである。