中華シャーマニズム

神話の神々は演者に憑依した

宮本神酒男

 

憑依する神々

 神話とは何なのか。それは村人の輪のなかで古老の語り部が語るいにしえの物語なのだろうか。黄帝や堯、舜、禹、神農氏など中国古代神話に登場する名前になじみはあるけれど、では実際、古代ではどのように伝えられてきたのだろうか。

 画期的なアイデアを提供してくれたのは、中鉢雅量氏(名古屋外国語大学名誉教授:中国小説史)の『中国の祭祀と文学』(創文社 1989)だった。

 中鉢氏によれば、神話は、語り部が語ったのではなく、祭祀のなかで演じられたという。そのとき演ずる人には、その人の所属する共同体が奉祀する神が憑依した。もともと民衆劇というようなものは発達してなくて、劇は祭祀のなかで神に献じられたものだった。いまでも役者は演じているとき、その役に憑依されたような不思議な感覚を覚えるものだ。古代においては、役、つまり神が演者に憑依したと考えられた。見ている人からすれば、だれかが神を演じているのではなく、神がそこに降臨したと映っていたはずだ。

 

黄帝と蚩尤の戦い

 まず例として中鉢氏が示すのが、黄帝と蚩尤(しゆう)の戦いだ。秦の始皇帝が東巡したとき、斉で祀られていた八神の一つは兵主神で、それは蚩尤を祀ったものだった。蚩尤は山東から河北にかけて祭祀されていた神だったのである。河北には蚩尤戯という劇があった。演者は牛の角を頭にのせ(蚩尤には角が生えていた!)互いに触れあったという。この蚩尤戯は祭祀のさいに挙行されたらしい。中鉢氏はこれについてつぎのように言う。

 

<そのとき扮装者は外形を蚩尤に似せるだけでなく、内面的にもそれになりきるのではなかろうか。これはまた、蚩尤が憑依するのだと言ってもよい。>

 

 ここまで踏み込んだことに敬意を表したい。ただ演者がどの程度役になりきっているかは、当人にしかわからないだろう。現代の役者が舞台やドラマで演じるように演じただけかもしれない。

 私は台湾や香港、シンガポールなどのタンキー(霊媒)が主役の祭礼が古代劇に近いのではないかと感じている。とくにシンガポールの祭礼では、タンキーたちが(タンキー以外の場合もあるが)関羽や保生大帝、黒白無常、はては孫悟空まで、さまざまな「神」に扮し、それだけでなく憑依されるのだ。私は台湾で何度もこうしたタンキーが参加した祭礼を見ているが、タンキーではないけれども、八将神に扮した演者が完全になりきったまま、トランス状態に陥るのを見たことがある。

 さて、黄帝と蚩尤の戦いにもどろう。黄帝は蚩尤の放った大風雨に苦戦するものの、天女の魃(はつ)に水を退かせて蚩尤を誅殺した。しかし結局風后や玄女の助けを借りてなんとか勝利を得ることができたのである。

 

<祭祀の参加者がそれぞれ蚩尤や黄帝、風后、玄女に扮し、相争うしぐさをする。この間、扮装者には黄帝や蚩尤等が憑依し、日常的な世界を超えた混沌境が出現する。しかし黄帝側が勝利して混沌は克服され、平常の秩序が回復される。>

 

 ゲイ(羽+廾)と河伯の戦いにもおなじ構図が見て取れる。ゲイは山東省一帯で、また河伯は黄河流域に広く信仰された神だった。それぞれの地域の部族がゲイと河伯を奉じていたと言い換えることもできるだろう。

河伯は人を溺殺していたので、ゲイはその目を矢で射抜いた。ゲイは射日神話で知られるように、矢の名人なのだ。しかしゲイは夏朝が弱体化していたとき、その国を奪った簒奪者でもあった。

 彼らの戦いも祭祀の場で再現され、演者に彼らが憑依したはずである。そして、中鉢氏の言葉でいえば、祭祀の場に出現した混沌の中から、崑崙やその下の水界に至ることで新しい秩序が生まれるのである。

 

方相氏と追儺

 中鉢氏は以上の神話がどんな宗教的意味を有しているか考察するために、方相氏の追儺(鬼やらい)を取り上げている。いうまでもなく、方相氏の追儺は日本の宮中に取り入れられ、それが節分に変わった。節分では豆をぶつけられて追い払われる鬼がなぜか方相氏と呼ばれるが、これはとんでもない間違いで、方相氏は鬼やらいをする側の役人だったのだ。

 張衡『東京賦』(「文選」収録)には追儺の様子がいきいきと描かれている。

 

方相氏は鉞(まさかり)を手に取り、巫覡(ふげき)は箒をあやつり、桃の木や棘(いばら)で作った弓で矢を放ち、石礫(つぶて)をぶつけて、鬼を退治する。赤疫を四海に逐い、天池の橋を渡り、魑魅(ちみ)を殺し、悪鬼をうつ。

 

 こうした調子で追儺の儀式は具体的に進行していく。日本の節分は簡略化されて、ほとんど鬼に豆をぶつけるだけになってしまった。もっとも、奈良時代以前に導入されたとはいえ、日本人にとって外来の文化なので仕方ないことなのかもしれないが。

 方相氏は『周礼』のなかに規定されているので、文字通り考えるなら周代には存在したということになる。黄金の四つ目の仮面をつけ、鉾と盾を持って疫病を駆逐するのが役目だった。上述のように方相氏と巫覡は同列に扱われているので、巫覡がシャーマンとするなら、方相氏は祭司(プリースト)に分類すべきかもしれない。

 さて中鉢氏は、儺祭(追儺)を陰陽の争いと捉えている。鬼は陰気であり、方相氏は陽気なのである。年末は陰陽の気が拮抗するので、この時期にこそ方相氏は祭祀を行わなければならないのだ。この戦いは最終的には神側が鬼側を圧倒して勝利することになるだろう。