十五歳のとき、ポタラ宮で宝座に就く

 十二年余り、尊者は生地に留め置かれることになった。

 当時デシ・サンギェ・ギャツォ(sDe srid Sangs rgyas mtsho)はポタラ宮の修築と(ダライラマ五世の)霊塔作りに忙しく、(六世のことを考える)時間の余裕がなかった。もちろん五世が逝去されたことは極秘にされていた。そのため尊者が法王の座に昇ったのは火の牛の年(1697年)、御年十五のときである。ダライラマ五世は「(死を)十二年秘密にせよ」と仰せられ、サンギェ・ギャツォはそのことばを守ったのだが、数年ほど越えてしまうことになった。そのためのち、大徳たちはそのことを指弾することになる。

 火の牛の年、チベットの暦で九月十七日十五時三分、ナカルツェ(sNa dkar rtse)にて、アミターバの化身、パンチェン・ロサン・イェシェ(Pan chen blo bzang ye shes)がふたつの教師の役を負い、持明師ジャムヤン・タクパ(’Jam dbyangs grags pa)がチュジェ・ンガリクパ・シルノン・ドルジェ(Chos rje lnga rig pa zil gnon rdo rje)やダルモパ・ロサン・チューダク(Dar mo ba blo bzang chos grags)、ジャムヤン・チュンペ(’Jam dbyangs chos ’phel)らの助けを借りて、得度剃髪し、受戒をお与えになった。号を一切知ロサン・リンチェン・ツァンヤン・ギャツォ(bLo bzang rin chen tshangs dbyangs rgya mtsho)という。天、すべての衆生に福徳が生じたのである。

 同じ年の十月、ツォンカパの入滅の日、ダーキニーたちが集まり、祝福するなか、二十五日五時三十分、ポタラ宮のシシプンツォク殿(srid zhi phun tshogs)で宝座に昇られたのである。



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