遊行僧に扮し、隊商に紛れ込む

 明け方、ふたつの峻険なる青い山のあいまにたどり着いた。こんなに長い距離を歩いたことがなかったので、のどは渇き、足の指は水泡ができ、からだは疲弊の極致に達していた。進んでは休み、考えた。

「高貴な者も、最後には落ちぶれる。集まったものも、離散する。蓄えたものも、いずれ消えうせる。はたして、今日はそういう日なのだ」。

 こうして無常の思いにとらわれ、嫌悪感がたかまってきた。

「しかし束縛から逃れることができたではないか。これぞ三宝の慈悲というものよ。ひとりの隠遁者が生まれ、罪を洗い清めたのだ。純粋なる巡礼者であり、禅定をきわめるのだ」という結論に達し、喜びを感じた。

 からだを起こし、大きな街道を進んでいくと、アリク(A Rig)の商人たちと会った。彼らは西寧から戻る途中で、道の真ん中で火を起こしていた。私は喉が渇いていたのだけど、何も言い出せず、焚き火の近くに座っただけだった。そのなかの年配者が語りかけてきた。

「お坊さんよ、なにが欲しいのかね。お茶を飲みたいのかい」。

「そのとおりです。しかし茶碗がないもので‥‥」と、その声にも張りがない。

 なかのひとりが黒いお碗にお茶をいっぱいにそそいで持ってきた。私は他人の茶碗にそそがれたものを飲んだことがなかった。最初は汚いものに思えたが、一杯飲んでみると、甘露のように美味なのだった。

 奇妙で、また新鮮に映ったのだろうか、商人たちは私を取り囲み、じっと私を見つめた。興味津々に言う、「こいつはここの人間ではないようだぞ。服装や面(つら)を見てみろよ」「体つきも凡人とはちがうぞ。神様かもしれねえぞ」。

そして問いかけてきた。「あんた、どっから来た? どこへ行くんだ? だれといっしょなんだ?」

私はなんとこたえていいかわからず、あわてた。しばらく考え、つぎのようにこたえた。

「何人かの僧侶と一緒に旅をしていたのですが、途中でゴロク人の強盗団に襲われ、散り散りになり、私はひとりでここへ逃れてきたのです」。

 こんな作り話をしたのはわが生涯で唯一のことだった。しかしその話が同情を引き起こし、隊商の首領らしきベンデチャップ(Bande skyabs)という老人は私にあわれみを感じるようだった。

 しばらくして彼らは荷物を家畜に載せ、出発の準備を整えた。こちらを見て、(首領は)言った。「よかったらいっしょに行きませんか?」。私は答えた。「足が痛くて、思うように歩けないのです」。

 すると彼らは何も載せていない多くのヤクから一頭を選び出し、それに木製の鞍を置き、私を乗せてくれた。しかししばらくすると、鞍の粗削りの表面が股の裏側に当たり、水ぶくれができてしまった。その痛さといったら! 私は思わず叫んでしまった。「もうこれ以上行けません!」。すると首領は自分の羊毛の衣を脱ぎ、鞍の上に座布団がわりに置いてくれた。さらには、縄を編んで鐙(あぶみ)代わりにしてくれた。そうしてみなで交代でヤクを追い立ててくれた。

 彼らはおかしくてたまらないようで、冗談めかして言った。「このおかたは、こんな生活を送るのははじめてのようだな」。私自身にとっても、おかしくもあり、哀れでもあった。私のほうからなにかをしゃべることはほとんどなかった。しゃべったとしても、言語が違うので、彼らは理解できなかっただろう。

 ほかの隊商の一行にもよく出会った。彼らのなかには私を見て、立派な僧衣を着ているので、奇異に思う者もいた。そこで私は仲間に「もし僧侶と出会ったら衣服を交換したい」と伝えた。のち、隊商といっしょに旅をしているひとりの黄色い袈裟を着た僧侶と出会った。さっそく私は尋ねた。「貴下の僧服と私の僧服を替えていただけないでしょうか」。彼はなかなか信じようとしなかったが、私が先に脱いで渡すと、彼は喜びにあふれながら、自分の袈裟を渡した。この光景を見て、居合わせた人はみな口をあんぐりとあけて驚くばかりだった。

 汚れた他人の木椀や衣服を何日も使ったせいか、私の口や顔はむくみ、病気になった。しかししばらくすると回復した。

 さらに進むと、彼らの町に通じる道は、南路と北路に分かれていた。南路が望ましいが、マチュ(黄河)が氷結していないと渡れないので、彼らは判断を下せなかった。そこで私に占いをするよう頼んできた。私の偽の占いの結果は「川はすでに氷結している」だった。そのコースをたどると、実際黄河は氷結していたので、川を渡ることができた。これ以来彼らは私に一目置くようになった。占いが当たったのは、地元の山神、マチェン・ポムラ(Machen Pomra)のおかげだった。

 アリク地方に着くと、ベンデチャップ老人は私にたいし礼を尽くすようになった。老いた彼の妻も、あたたかくもてなしてくれた。慰留されつづけるうち、私はここに二ヶ月余りも滞在することになったのである。私は彼らにプラジュニャーパーラミター(般若経)の八千頌を詠み、業の道を教えた。敬虔な信徒になった彼らに、私のことを口外しないようにお願いした。

 私は黄色い僧衣を彼らに贈ることにした。また人々のために法事を行い、腰帯のひもをほどいて吉祥の糸とし、それを彼らに贈った。老いた彼の妻は、靴や衣、その他さまざまなものを私に渡そうとしたが、お茶やバター、チーズのみ受け取った。

 出発する時は、みなが涙を流した。ペンデチャップ老人とその息子が、ほぼ一日分の行程を共にして、見送ってくれた。彼らに祝福を与えたあと、私の旅はまたはじまった。はじめ私は物乞いに扮していたが、ペンデチャップ老人の家族以上の施主は現れなかった。

 アシュ部落ランガン村(A shul gyi sde blang sgang)というところに着いた。ここでひとりの人と旅の友となり、数日一緒に歩き、ボン教の寺に着いた。彼と別れたあとドゥクパ派の寺に至った。ここで僧侶らによってお茶がふるまわれていたので、私もいただいた。そのとき年老いた僧が近づき、「昨夜私は夢を見ました。夢の中で啓示を受けたのです。遊行僧がやってくるのでよく供奉するようにということだったのだが、それはそなたのことであろうか」と言う。

 老僧は敬意を表しながら、自分はスル・チューイン・ランド(Zur chos dbyings rang grol)の弟子であると告げた。私に金の貨幣と白銀を贈ろうとしたが私は断り、鉄の鍋と茶、油、ザンパなどだけをもらった。老僧は私を見送りながら、いつまでも名残惜しそうだった。



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