タルツェンドから峨眉山へ行く
二十日ほど歩き、農家や牧民の集落を過ぎ、ツァコ村に着いた。そこに三日滞在し、ツァコ寺に到着した。この寺はわが師の弟子チュージェ・ンガクワン・ダクパの開いた寺院であり、当然ゲルク派に属する。ここに来られたことはとてもうれしいことだった。本殿にはジグチェ(大威徳)像や護法神像、ンガクワン・ダクパ像などがあり、それらに祈りを捧げたあと、十日以上滞在した。
そのあとサカ(Sa dkar)を経て、タルツェンド(Dar rtse mdo 康定)に着いた。ここはチベットから来た商人でごった返していた。彼らと親しくなっていっしょにチベットへ入れればいいのではと私は考えた。そんなおりペンワル(dPal 'bar)という旅客と出会った。
いろいろと聖地について話すなかで、彼は峨眉山(gLang chen 'gying ri ランチェン・ギンリ)の美しさ、貴さについて滔々としゃべった。彼はそこへ行ったことがあるだけでなく、道も熟知していた。私は峨眉山に巡礼したかったが、漢語をまったく知らなかった。するとペンワルはそこまで同行しようと提案したのである。
願ったりの私は彼とともにタルツェンドを出発し、大きな川にかかった石橋を渡り、漢人の多い地域に出た。さらに進むと断崖絶壁の上を木で組んだ桟道があり、竹篭を背負った商人が行き来していた。篭の中には茶葉や陶器が入っていた。
行くこと十日、峨眉山の麓の町に着いた。そこに漢人の寺院があり、夜はその宿坊に泊まった。ペンワルに通訳を頼み、漢人和尚と話をすることができた。和尚が言うには、寺観や殿宇はたくさんあり、泉もまた無数にあるという。山は日月に達するほど巍巍とそびえ、功徳があるという。
その夜、私の同伴者は突然行方をくらました。翌日探しても見当たらないので、ひとりで山を登ることにした。峨眉山の頂上に着くと新しくてきれいな僧衣をまとった漢人僧に出会い、彼と殿宇や聖泉を巡り歩いた。結局十日ほどそこにいたが、漢人僧のおかげで飲食に事欠くこともなかった。それから私はチベットへ戻っていった。
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