ラサから青海へ、そしてロジャとの永遠の別れ
火の猿の年(1716年)の春、尊者は(ラサ・大昭寺近くの)メル寺(rMe ru)の勧進僧(寄付を募り遊行する僧 'Bul sdud pa)十五名にロジャと尊者を加えた十七名で、隠密にラサを出発した。道中、尊者はシャプ・ドゥン・ツァンという尊称で呼ばれ、ラマとして丁重に扱われた。秋、黄河(rMa chu)を渡るとき、ひとりの僧が流されてしまったが、ほかは無事に青海湖(mTsho sngon)に着くことができた。
青海に滞在すること一ヶ月、一部の僧はラサへ帰っていった。ロジャは疱瘡を発症する可能性があるため、北上はせず、青海湖に残ることにした。数名の僧は尊者とともに北上することになった。別れのとき、尊者はロジャに言った。
「そなたには深く感謝してやむことがない。いつまでも忘れないため、よすがとなるもの、たとえば刀や火鎌を譲ってくれないだろうか」。
ロジャは喜んでそれらを献じた。以来ずっと尊者は刀と火鎌を肌身離さず持ち、「ロジャの恩は一生忘れない」と口癖のように唱えるのだった。
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