尊者の聖なる徴

 これまで書いてきたようにすべて縁のある人びとはこれらのことを目撃してきた。つぎに尊者の風貌について説明すべきだろう。背は高からず、低からずだが、市中の混雑のなかにあったとしても、貴族のあいだにあったとしても、その風采は群を抜いていて、気高く、衣装もだれよりも美しく、立派で、会う前は傲慢にばかにしていても、会うとそのすばらしさに驚き、圧倒され、恐れおののき、本人の前でただひれ伏して五体投地し、涙を流し、祈ることになるのである。

 尊者の顔はたいへん美しく、歯は白く、唇は紅、そして体全体から光を放っている。齢六十というのに、三十歳にしか見えなかった。頭髪もつやがよく、(釈尊のように)縮んでいる。毎月一回髪を剃り、ときには数ヶ月剃らないこともあるが、それでも髪は生えない。手は膝より長く、掌は真ん中が赤く潤んでいて、手足の指の間には隙間がない。関節は(ないかのごとく)見えず、歯は貝のようで合計四十の歯が揃い、下の右の門歯は先端が折れ、トルコ石のように緑碧色。

 尊者は説明する。「幼い頃、モンラム(大願法会)がありました。ある日チャム(宗教仮面劇)を踊っていたところ、屋根から地面に落下し、石板に顔を打ちつけ、歯を折ってしまったのです。そのときはあごが腫れ、痛さといったらたいへんなものでしたが、三宝に祈ったところ翌朝には腫れがひき、治っていたのです。いまも一本歯が欠けているでしょうか」。

 歯がないと人に笑われるのではないかと思い、いつも口元が人に見られないように気をつけているという。また尊者の目はくりくりとしていて、よく見ると瞳には虹が輝いている。ふたつの耳は垂れ、孔が開いている。鼻は高く、唇の形はほどよく、人が見れば尊敬の念を抱かずにいられないが、恐れ多くて見ることなどできない。顔には疱瘡のあとがあるが、ほとんどわからない。

 年をとっても、(老人に見られるような)青筋が立つということもない。腰は軽やかで、老人にありがちな海老のような動作もない。左手の掌には目の紋様があり、右手の食指はやや曲がって金剛手菩薩が現れているように見える。目や髭、髪などが見えるのだ。薬指の先の右側にはオーン・アー・フーンの字があり、その指を用いれば効験あらたかである。薬で体を燻したり、沐浴したりし、気を使って男根を腹の中に縮小して入れ、裸で金剛趺座を組み、諸手は導引術を行なう。

 持戒のための香気は濃厚で、尊者の使う寝具や数取り、箸などにも香気がついている。尊者は言う。「もし乞食のなかに混じってもこの香気があればすぐわかってしまうだろう」。毎回食事でニンニクやニラを食べても、口臭はまったくしない。吐く息はむしろ香料のようである。吸う息もまた煙や神に供えるお香のよう。このようにさまざまな功徳があり、あらゆる人に不可思議な情をもたらすのである。

 尊者の本性は慈悲の心である。他人の死、病、苦、目に見たもの、耳に聞こえたものすべてに対し忍びがたく思い、涙を流し、災いを除こうとして祈祷する。これは生半可なものではない。尊者は他人の益になることを考え、おのれは苦難を受け入れ、自分の生命さえなげうってもいいと考える。こういったことは枚挙にいとまがない。また遠近、明暗に関係なく、すべてのことに通じ、人の心をよく理解し、遠くのひそひそ話さえ聞き分けることができる。

 尊者の手足の跡は岩の上にとどめられた、あたかも泥の上に印をつけるように。そういった神通力はかぎりないほどあった。その悟りの智慧は高山より高く、勇士空行(dpa’ bo mkha’ ’gro)であるインドの八十の成就者、チベットのミラレパ尊者と同様、俗世間を離れ修練に集中する。後日私(著者)の地域に戻って来られたとき、数ヶ月の間、あちらこちらの施主の要望にお答えになった。 



⇒ つぎ