タイタン寺の座主に就く

 のち尊者は多くの人の要請に応じ、タイタン寺(Ta’i thang)の座主に就いた。ドルジェ・チャン(rDo rje ’chang)の法会のとき、ラサ(Lha ldan)の神変祈願法会(cho ’phrul smon lam)の伝統にならって、モンラム(祈願法会)やチャム(宗教仮面劇)、トルマ除魔儀式(gtor rgyag)など一揃いの内容を整えた。当時のロウ土司が施主となり、千五百名もの僧侶が集められた。それ以来このモンラムは年に一度、大河の流れのように休まず、現在まで続いている。チャムには黒帽の舞があるが、これは尊者自らが伝授したものである。尊者はまたジャクルン寺にチャムを教え、クショタザン(sKu zhog grva tshang)の伝統行事も監修した。

 雍正十三年(1735)、私トユン・ンガクワン・ルンドゥプ・ダルギェ(Tho yon ngag dbang lhun grub dar rgyal)が求学のためどこかへ行くことになったとき、尊者自らがこうおっしゃった。

「学ぶにはチベットがもっともいい場所です。パンチェン・ラマから沙弥戒や比丘戒を授かることもできます。しかしまあ状況を見て判断しましょう。戻ってくるときにはつぎのものを携えてください。弥勒仏の金像、肘三本をもつ獅子座、装飾用の宝飾品、ほかにも三十巻の如意宝樹の画、ナルタン(snar thang)版のカンギュル、ツォンカパの本生画巻十三帖、ネパール産銅の杯百個、ウムゼ(dbu mdzad)やゲク(dge bskos)が着るマント、先の尖った帽子百個、これらはみな必要なものです」。

 そう述べると銀一万両、馬、ラクダ、旅に必要なさまざまなものを下賜した。 



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