アベーダナンダが要約したインドのイエス修行伝説  

宮本神酒男 

 

 ガイドを務めてくれた(へミス僧院の)ラマが棚から経典を取り出して、スワーミー(アベーダナンダ)に見せた。「これはラサ近郊のマルブルの僧院に置かれているオリジナルの経典の正確な翻訳です」とラマは語った。ヘミス僧院に保存されている経典はチベット語で書かれているが、オリジナルの文書はパーリ語で書かれているという。それは14章、224対句(スローカ)から成っていた。スワーミーはそのラマに経典の一部を翻訳してもらった。『カシミールとチベットへの旅』より 

 ここでは文書ではなく経典と訳したが、おそらく仏教経典とおなじく長細い長方形の紙の両面にチベット文字(おそらく草書体)で書かれたものだろう。アベーダナンダを含め何人かがこの経典(イッサ文書)を見ているわけだが、そもそも彼ら全員がチベット語を読むことができなかった。オリジナルではないので、古文書である必要もなかった。金箔の文字で書かれた装飾された経典ならともかく、内容が後世まで伝わればよいのなら、何度でも書写すればよいということになる。

オリジナルがパーリ語で書かれているというのも何かあやしい。上座部仏教(いわゆる小乗仏教)の経典はパーリ語で書かれているのだが、文字は当地の文字が用いられる。インドでは通常シンハラ文字が使われてきた。それではオリジナルの経典はシンハラ文字で書かれているのだろうか。チベット人がシンハラ文字を読むことができるのだろうか。サンスクリット語に使うデーヴァナーガリー文字なら一部のチベット人(とくに僧侶)も読むことができるのだが。チベット文字で書かれている可能性はほぼない。ソンツェン・ガンボ王の命でトンミ・サンボータらがチベット文字を創ったのは、7世紀のことだった。

 オリジナルの経典(文書)が保存されているのはマルブルだという。すでに述べたようにこれがポタラ宮殿のたつ丘、マルポリだとすると、僧院はナムギェル寺ということになる。

 さて、アベーダナンダが聞き取ったイッサ文書の要約を以下に訳出してみた。

 

(1)イッサはやがて13歳になった。イスラエル人の習慣では、13歳は結婚の年だった。両親はつつましい庶民の生活を送っていた。

(2)彼らの粗末な家は富や血統を誇る人々にあふれかえっていた。だれもがイエスを婿として迎え入れたがった。

(3)イッサは結婚したいとは思わなかった。神の本質を説くことによって、彼はすでに名声を得ていた。結婚の申し込みがあったとき、彼はひそかに父の家を出ることに決めた。

(4)このとき彼がおおいに望んでいたのは、神を十全に理解することであり、瞑想によって完成の域に達している人々のもとで宗教を学ぶことだった。

(5)彼はエルサレムを去り、交易商人たちの隊商とともにシンドへの旅に出た。この交易商人たちはシンドでさまざまな商品を手に入れ、各地で売っていた。

(6)14歳のときイッサはシンドを越え、アーリア人の聖なる地へ入った。

(7)五つの川の地域を過ぎるとき、彼の恵み深い風采、輝く平穏な顔、うるわしい額にジャイナ教徒たちは惹かれた。彼らはイッサが神から直接祝福を受けていたことを知っていた。

(8)そして彼らはイッサに彼らの寺院に滞在するよう求めた。しかし彼は拒んだ。このとき彼はだれからの奉仕も受けたくなかった。

(9)やがて彼はヴャッサ・クリシュナの地、ジャガンナート・ダム(プーリー)に着いき、そこでバラモンの弟子となった。彼はすべてのものと親しくなり、ヴェーダ文学の読み方や理解の仕方、解釈の仕方を学んだ。

10)このあと彼はラージャグリハやベナレスなどに巡礼の旅に出た。これには六年を要し、そしてブッダ生誕の地カピラヴァストゥへ向かって出発した。

11)そして仏教の托鉢僧と六年を過ごし、パーリ語を完璧に学び、すべての仏教経典を学んだ。

12)ここから彼はネパールへ行き、ヒマラヤ地方を旅した。それから西方へ向かった。

13)そうして彼はゾロアスター教の地、ペルシアに着いた。

14)彼の名声はあらゆる方向に響き渡った。

 こうして彼は29歳のとき生まれた地へと戻った。抑圧のもと、苦しむ兄弟たちのなかに入り、彼は平和の教えを説くようになった。

 

 ヘミス僧院のラマはつづけてつぎのような驚くべきことを語っている。

 

 復活したあと、イエス・キリストはひそかにカシミールにやってきて、寺院で、数多くの弟子に囲まれて過ごした。彼は高度な宗派の聖人とみなされ、多くの地の信者が彼に会いにやってきて、彼の弟子となった。キリストの死後3年か4年の間に、彼が存命中に会ったチベット人からの報告や磔刑を目撃した交易商人からの情報をもとに、オリジナルの経典(文書)が書かれた。

 

 このあと本書はナート・ヨーギとイエス・キリストの関係についてページを割いているが、それについてはほかのところで述べたとおりである。