アガルタ
3 ティムの重要なミッション
残りの移動の手段はホバークラフトだった。倍速でそれは疾走した。周囲を見る時間的余裕はなく、飛び去る山や森、湖をちらりと見ただけだった。いやもちろん飛び去ったのは私たちだったけれど。飛行機に乗るよりも楽しみは大きかった。水しぶきをたてながらホバークラフトは運河に着陸した。バシャっといった感じでなく、白鳥の湖を踊るダンサーのようにふんわりと降り立った。
そしてついにここ、家のように見える家に着いた。それは低く、細長く、円筒形で、屋根らしきものはなかった。またきらきらとピンク色の輝きを放っていて、家のように見えなかった。そのまわりを囲んでいるのは、想像を絶するほど色とりどりの、美しい花々の花壇だった。
「これがあなたがたの言葉でいうタウンホールです。われわれはミーティングハウスと呼んでいます。ときおり企画会議を開いたり、組織をたてて援助をしたりするのです。家を建てる場合、ここで尋ねることもできるのです」
建物の中に入ると、内部の美しさには圧倒されてしまった。壁という壁には、愛すべき自然のテーマが描かれ、敷石の間からは白や黄の花々をつけた低い緑色の植物が生えていた。どこもかしこも背が高く、上品で、色白の人たちが動き回っていた。
部屋の中央にある螺旋階段を上っていった。建物には屋根がなく、最上階は空中に浮かんだプラットフォームのようだった。それは動かなかったが、ぼくは船酔いしてしまった。マヌルはにっこりと笑い、ぼくの手を取ると、大きくて天井の高い、あきらかに浮遊している部屋へと導いてくれた。そこには男女九人がいた。彼らはサークル状に並んだ心地よさそうなイスに坐っていた。それぞれの前には小さな緑のテーブルが置かれていた。あらゆるところに花があった。壁という壁に編みこまれた枝のなかには、とてもきれいな花が咲いているものもあった。
ぼくたちを見ると、だれかが二つのイスを持ってきて、坐るようにとすすめてくれた。足がゼリーのようになっていたので、渡りに船だった。中央に坐っている威厳ある人物の青い目がぼくたちをじっと見つめた。髪もヒゲも白く長かったが、顔にはしわひとつなかった。若く、幸福そうに見えた。彼が手をあげてあいさつしてきたので、ぼくも同様の仕草を返した。
「地球の表面からようこそ」彼ははっきりした英語で言った。「私はアーニエル、シンポジウムのリーダーだ。われわれはあなたが幸せで、ここに滞在してくれることを願っている」
「ぼくはここで見たものすべてに驚き、喜んでいます」とぼくはこたえた。「でも母や妹のことが恋しくてなりません。できれば一度家に帰って、それからこちらに戻ってきて、ずっといたいのです」
「あなたの願いはとても大事なことだ」とアーニエルは言った。「でもひとつだけ条件がある。われわれはここのことを知っている人々を必要としている。あなたがここに戻ってくることをわれわれは歓迎する。しかしまずわれわれが存在しているというメッセージを地上で広めてほしいのだ」
「でもだれも信じてくれないんじゃないかな」ぼくがつぶやくと、アーニエルはぼくの手を握りしめた。
「人がどう考えようと、あきらめるな。もしあなたが窮地に陥ったら、われわれは助けにいくだろう。われわれがここにいること、彼らが孤独でないことを地上の人々が知るときがやってきたのだ。われわれは地上の汚染やその他の悲劇に参加するつもりはまったくない。このことを強調してくれ。もしいまのまま変わらなかったら、彼らは破滅に向かい、死に絶えることになるだろう。地球自体にはなんの影響ももたらさない、ただ人類が滅びるだけなのだ。このことは真剣に考えなければならない。それはすぐやってくるだろうから」
「ぼくたちは救われますか」ぼくは驚き、恐れおののいた。
「そうあってほしいけどね。地上を救うために努力しているんだ。われわれも影響を受けるからね。あなたにはメッセンジャーになってほしいのだ、ティモシー」
「最善を尽くします」ぼくは口ごもりながらこたえた。
堂々とした長老は小さな笛をぼくに手渡した。「窮地に陥ったらこの笛を吹くといい。あなたたちには音は聞こえないだろう。だがわれわれには思考とおなじ速度で届くのだ。なくさないように」
ぼくはお辞儀をして、アーニエルが笑いながら手で制するまで、感謝の言葉を発し続けた。「お金のことなら心配することはないよ。マヌルはたっぷりとあげるだろうから。しばらくここにいる必要がある。そしてシャスタ山に連れていってもらえるだろう」
マヌルはぼくの袖を引いた。そして今度はもっとすばやくお辞儀をした。緑のテーブルについているほかの人たちがだれなのか確かめる時間はなかった。彼らが知らない人ばかりであることは間違いなかった。ぼくはめまいを覚えた。
「ふさわしい服装が必要なようだな」ぼくの薄い白いシャツときっちりした青いズボンを見ながらマヌルは言った。建物からせかされるように出て、狭い路地を下り、まっすぐテーラーのところへ向かった。見まがうことはなかった。店内のあらゆるところに衣服が下がっていたのだ。ほかのものは売っていないようだった。そのとき中から男が出てきて、マヌルとあたたかい挨拶をかわした。「この坊やに地上で必要なものをバッグに詰めて与えてくれないか。地上で使う財布はどうしても必要だな。そのなかにお金を入れよう」
「カリフォルニアへすぐ行けますか」ぼくはたずねた。
「行けるとも。ここからシアトルへの定期便があるからね」
「戻りたいときは?」
「これから通る橋を渡ればいい。まあ一回にひとつのことをするように。テーラーがまずあなたにふさわしい服装を用意してくれるだろう。私はここで待っているから」
ジーンズをはき、淡青色のプルオーバーを着て、ネービージャケットを羽織り、ぼくは案内人のもとに戻った。しかしマヌルのかかとまで届くガウンを見たとたん、少しきまりが悪いように思えた。同時にぼくは気持ちが大きくなっていた。故郷に帰り、家族や友人たちと会えると考えるとうれしくてならなかった。ぼくはマヌルから膨らんだ財布を受け取った。そのなかにはパスポートも入っていた。どうやってそれを手に入れたのか、皆目見当がつかなかった。
「これは地上のものとそっくりに作った新しいパスポートだ。法の目をくぐる方法を知っているみたいだろ?」
まあ、たしかにぼくにはとうていできないことだった。ぼくはマヌルの後ろをドタドタと音をたてながらついていった。バックパックは背中にしっかりと固定されていた。ぼくたちはとても美しいテロスの町の中を抜けて、トンネルにたどり着いた。そこに車が何台か置いてあった。ぼくたちはそのうちの一台に乗り込んだ。マヌルが二つのボタンを押すと、いきなり車は発車した。
「人々が冷淡であったとしても、絶対にあきらめるな」彼は警告を発した。「もし地上の少女に会ったら、われわれのことを話してほしい。彼女があなたのことを信じるなら、ここに連れてくるだけの価値があるということだ」
「家にいつづけたいと思うかもしれない」とぼくは言った。「ママは助けを必要としているんだ。未亡人年金を頼りに生きているんだけど、十分ではないんだ」
「どうしたらいいか星にたずねてみよう」抜け目なさそうな目でこちらを見ながらマヌルは言った。「あなたはこちらに戻ってアーニエルに報告しなければならない。もし地上に戻りたくなったら、そのとき話し合うとしよう。でもあなたのための星は残っていないんじゃないかと思う」
「何の星のことです?」ぼくはトンネルのまわりを見ながらたずねた。ランタンの弱い明かりが一つ、二つ、ちらちら見えるだけだった。しかしマヌルは笑うだけだった。トンネルはしだいに明るくなっていった。
長い階段の前でトラックは止まった。ぼくは親切な案内人をハグし、階段を上り始めた。上るに応じて足取りは速くなった。そしてついにプラットフォームの上に立った。鉄の扉は「生」に向かって開いていた。ゆっくりと大きな山の山腹に向かって歩くと、そこは雨が降り、風が吹いていた。シャスタ山だけが小さな人影が闇から出てくるのを見ていた。人影は「現実」として知られるものへ向かって歩きはじめた。
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