アガルタ
13 ナンシーとエリー、地上へ戻る
マヌルはぼくの家の東屋で待っていた。暗い夜の空気に湿り気がまじり、花の香りが強まった。
みんながゆったりと腰かけたところへ、ぼくはあたたかい飲み物とビスケットを持ってきた。ティッチはその大きな頭をマヌルのひざの上に置いた。これは名誉あることだとぼくは気づいた。
「あなたはすでに、ここにやってきて、滞在することを望んだほかの地上居住者と会いましたね」と、ほとんど白くなった長い髪の男が話しはじめた。「あなたとおなじように、彼らは特別な体験を経て、ここへ来ることになったのです。地上から来た人は、たまたまここで生を終えることになったのではありません。あなたの船が沈み、あなたが救助されたのは、偶然ではありません。レックスがここに来たのも偶然ではありません。彼はずっと昔からわたしたちのことを知っていました。
いっぽうで、ナンシーはとくに歓迎されることはありませんでした。彼女がここにフィットしないことをわたしたちは知っていました。でも彼女にチャンスを与えました。なぜなら彼女はあなたの友人だったからです。それはうまくいきませんでした。わたしは彼女と話し合いました。そしてあす、シャスタ山から地上へ戻ることになったのです。わたしたちは彼女に経済的援助をおこないます。でなければ家に戻れないでしょうから」
「でもエリーはそれを望んでいないんじゃないかな」ぼくはため息をついた。「おとなになれば、いつだってこちらに戻ってこられるのでは。ぼくたちのことを忘れていなければだけど」
「彼らを連れていくのがティム、あなたの役目です。これはわたしたちの決定事項です」ぼくは不満げな顔をしていたらしい、なぜなら彼が笑い出したからだ。
「あなたはシアトル行きのフライトに彼らを乗せればいいのです。そしたらすぐ戻ってきてください。もうしばらく地上にいようという誘惑に負けなければですが」ぼくは頭を強く振った。すると彼はふたたび笑いながら言った。
「あすはたっぷり時間があります。わたしたちがあなたを起こします。そしたらナンシーのところへ行ってください。ホバークラフトはそこで待機しています。ナンシーは宝石を受け取ることになります。それで金銭的な面はうまくいくでしょう。あなたがこちらに戻ってきたら、アーニエルが会いたがるでしょう。そうしたらすぐにわたしとコンタクトを取ってください。じゃあ、いい旅を!」笑いながら彼はぼくをハグした。そして扉から消えていった。まわりを見回しても彼の姿はなかった。
朝、カナリアのようにさえずる小さな鳥がぼくの肩の上にとまって、ぼくは目を覚ました。ぼくは服を着てナンシーの家へ急いだ。
ナンシーは家の外でスーツケースの上に坐っていた。エリーは草の上にいた。頬の上には涙が流れていた。ティッチは少女のかたわらにすわり、慰めようとしているかのように見えた。彼女は頭を大きな犬の首に埋めた。ぼくはやさしく彼女を抱き上げ、ホバークラフトにのせた。ナンシーは少しだけ顔をこちらに向け、たずねた。「あなたもいっしょに来てくださるのかしら」
「飛行機の中だけおともします」
彼女はホバークラフトに乗り込み、ぼくも前部座席に坐った。彼女はぼくを見ないようにしていた。早くこの旅が終わってくれればいいのにとぼくは思った。
「あなたにはもっと高潔な方だと思っていたわ」とナンシーは言った。「夫の親友が信頼できないなんて」
正直なところ、ぼくは驚かずにはいられなかった。「ぼくが信頼できないですって?」とぼくは問うた。
「最初あなたはわたしのもとを訪ねてきました。それからすぐにここに来ると、わたしのことはかまわず、あのブロンド女に熱を上げていたのです。あのいっしょに踊っていた女です。ここに来たこと自体がまちがっていたのです。わたしは裏切られたように感じました。ここはパラダイスではありません。その真反対なのです」
「それはあなた自身が持ち込んだものなのです」怒りを抑えながらぼくは反駁した。「七つの美徳を学んだんじゃないですか。毎日ぼくは繰り返しましたよね。この国ではそれで生きていくのです」
「感謝、思いやり、許し、謙遜、理解、勇気、そして無条件の愛。もちろん覚えているわ」エリーがぼくたちから離れていった。よちよち歩いて彼女はティッチのところへ行くだろう。ぼくの犬は話しているような音をたてることができた。犬を飼っているほとんどの人がこの犬のつぶやきを認識しているだろう。
「それには嫉妬が含まれていない」ぼくは付けくわえた。「ぼくは特別にあなたを勇気づけることはなかった。それはあなたの解釈です」
ナンシーがこたえる時間はなかった。ホバークラフトが前述の巨大なステーションに着陸しようとしていた。ぼくたちはトンネルに向かってレーンを進んだ。エリーはティッチに腕を回した。しかし犬は身を起こしたまま、暗闇を見つめていた。トンネルの壁には小さな弱い明かりがともっていた。その明かりでナンシーの険しい表情、締まった口元を確認することができた。それから彼女は手をぼくの腕に置いた。
「わたしのこと、許してもらえるかしら? 以前のようにならないかしら?」彼女はたずねた。「ときどきあなたのもとを訪ねたいの。いま、わたしは金持ちよ。あなたの寛大なお友だちのおかげで」
「こちらの世界に戻るのは、あなたが考えるほどには簡単ではないかもしれない」ぼくは険しい顔でこたえた。「ぼくがいたのであなたはこちらの世界に来ることができた。だからぼくが望まないと、あなたは来られない。そういう仕組みなんだ」
そのあと彼女はずっと黙っていた。エリーはずっと自分が体験したことをしゃべりまくっていたけれど。彼女はともかく古い自分の家に帰れること、友人たちのもとに変えれることがうれしかった。彼らはけっして彼女の話を信じないだろう。ホバークラフトから降りると、彼女は堰を切ったようにしゃべりはじめた。「すぐに電話しなくちゃ。ガース、リニー、ポリー、それにアン。夏にはママがドライブに連れてってくれるからね……」
後ろで重いゲートがガラガラと閉まり、ガーンと音が鳴った。ぼくたちはシャスタ山へとつながる階段を上っていった。外の駐車場にとまっていたのはタクシーだった。運転手が近づいてきて、ぼくの名を呼んだ。タクシーはあらかじめ予約されていて、空港へ直行してくれるのである。ぼくたちはタクシーに乗り込んだ。
ぼくはナンシーが最後に放った言葉を忘れることができない。ぼくは彼女に手を伸ばし、友好的なハグをしようとしたが、彼女は身を引き、飛行機のタラップの下で立ち止まった。
「ティム、わたしはあなたが好きじゃない」彼女は重々しくのたまった。「あなたに復讐してやりたいわ。ほんとうに傷つけたいの。エリーが地底に戻らないよう全力で阻止しなくちゃ。あなたを軽蔑するわ、ティモシー」
ぼくはナンシーをこれっぽっちも信用していなかった。彼女はかっとなりやすい性格だった。それは気持ちのいいことではなかった。ぼくは手を伸ばし、ティッチの頭を軽くたたいた。犬がぼくの手をなめると、いくぶんぼくの気持ちもやすらいだ。犬は親友ってだけじゃない、それ以上の何かだ。犬はぼくらの意識だ、それがよいのであれ、悪いのであれ。犬に舐められると、ぼくらの問題点が大きくなる前にそれが拭い去られる。犬の高貴な顔はぼくらに強さと勇気をもたらす。
それ以上の問題はなく、ぼくとティッチはテロスに戻った。ぼくはおばあちゃんの家に直行した。レックスはもちろん、エドムンドもそこにいた。ウェンディといとこのピエールは美しい小さな庭で追いかけっこをして遊んでいた。子どもたちの幸福そうで楽しそうな笑い声ほど素敵で心休まるものはないだろう。ティッチはすぐさま子どもたちのほうへ駆けていき、遊びに加わった。
ナンシーとのいざこざについて聞かされたレックスはほほえんだ。「その女については気にしないでください。ティム、ここでは彼女はあなたを傷つけることはできません」と彼は言った。「彼女を許してあげてください。そして必要な助けが得られるよう祈ってください。彼女に関するあなたの考えをすべて手放してください。悪いことを光と愛にかえてください。光の中で悪は生き延びられないことを思い出してください。そして光をたっぷりと送り込んでください」
ぼくはこのことについてすでに知っていた。よいことについて、あるいは偉大なる光が近くにあることについて思い起こすことは、痛みをともなうことではなかった。ぼくたち地球に生きる者は、このことを忘れがちだった。
家に戻ると、庭の東屋でアーニエルとマヌルが待っていた。ナンシーのことについて話すのは苦ではなかった。しかし彼らはすでに事の次第をしっていた。
「ナンシーのこと、地上のこと、経験した不愉快なこと、それらすべてのことは忘れてください」とアーニエルは言った。「ほかに重要なことがあるんです。まず、あなたはおばあちゃんやほかの人といっしょに旅に出ます。マヌルもガイドとして同行します。長い旅になると思います。というのも、もしここに長く滞在するなら、この土地についてもっと知る必要があるからです。子どもたちにとってもよいでしょう。エリーもここにいるべきです。彼女のような天分に恵まれた子どもが必要なのです。いずれ彼女は戻ってくるでしょう。おそらくティム、あなたが彼女を連れてくることになるでしょう。でもそれは将来の話です。
この旅が終わったとき、あなたは地上とここを結ぶ橋渡し役として、指揮官になってもらいます。こういったことはのちにお知らせします。いま、約束します。エキサイティングでためになる冒険が待っていることを。あなたはたくさんの人と会うでしょう。あなたは内に地上の人間としての特性をたぃさん保持しています。それはとてもポジティブなことなのです。あなたはまもなく知人と会うことになります。その人物はとくに重要で、すべてのものにとって有益なのです」
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