アガルタ        

32 完全に異なる中国 

 

 おばあちゃんとぼくのふたりとも記憶が一新されていることに気がついた。本書はリニューアルされた記憶に基づいたものなのだ。新しい生活がパラダイスの中にあるとき、古い生活を忘れるのは簡単だ。

 翌日の朝、マヌルとアーニエルはわれわれをピックアップしてつぎのアガルタの冒険に連れて行った。ぼくが理解するかぎり、地上の陸と海は地底の陸と海に相応していた。であるから、地底の中国は地上の中国の真下あたりにあるはずだった。

 しかしながらアガルタの中では明確なものなどなかった。すべてが地上と違っていたのだから。ぼくは実際一度も中国には行ったことがなかった。ただ本で読み、フィルムで見ただけである。

 ふたりのマスターはカオスに手短に自己紹介していた。

 おばあちゃんとレックスもやってきた。わがロールスロイスにはさらにホバークラフトが一台加わった。ぼくはそれをアウディと呼んだ。マヌルとアーニエルはこの命名をけっこう気に入ってくれているようだ。

 自分が何を期待していたのかわからなかったが、ティッチとぼくは町のマーケット広場で降りた。この広場はとても大きく、魅力的な噴水の近くにはほかのホバークラフトがとまっていた。ロールスロイスの横にアウディがとまった。カオスは頭を抱えたままよろめいた。

 ホバークラフトに乗ると、頭が混乱するのが常だった。笑いながら彼の肩に手をかけると、ティッチも鼻をこすりつけ、体を寄せてきた。ぼくの巨大な犬はまるで状況を調査するかのように彼の足の後ろにぴったりとくっついた。犬はおそらくカオスの匂いを嗅いでスウェーデンから来たことを察知したのだろう。

 記憶に焼き付いた現代中国の寄せ集めのイメージと、ここにあるものはまったく関係ないものだった。実物大のイルカ二頭が飾られた美しい噴水の片側から、広い、輝く大通りが始まっていた。もう片側みは屋根のないつややかに輝く家々が並び、壁にはツタ植物が這い、あちこちにパームツリーが生えていた。広い大通りの真ん中には川が流れていた。遠くには橋が見えたが、この高い、瘤(こぶ)の形をした橋もまた輝いていた。

 まわりの人は背が高く、魅力的で、がっしりしていた。彼らは実際黒髪で、瞳も黒く、頬骨が高かった。しかし彼らは真珠層からできているように思われた。彼らは青白い色のきわめて長いコートを着ていた。

 人だかりはなかった。彼らは距離を取って歩き、つねにお辞儀をし、四方にほほえみかけていた。これが中国から来た習慣というのなら、国はそのルーツに戻るべきだとぼくは考えた。

 マスターたちは驚いているぼくたちを見ていた。全員が、すなわちヴァル、カオス、おばあちゃん、レックス、それにぼくが口をあんぐりと開けた。面食らったわけではなかった。マスターたちはいっしょに通りを歩いてくるよう手で合図した。中国人たちはお辞儀をしながらわれわれと挨拶をした。そしてわれわれはできるかぎりきちんと挨拶を返そうとした。ティッチはぼくのほうに体を寄せ、ときどき頭を下げて笑いを誘った。多くの中国人がペットを飼っていた。しかし通りはとても静かで、平和だった。ペットはわれわれのとよく似ていて、猫や犬が多く、宝石で飾ったロバなどだった。

 ある建物の前でわれわれはとまった。それは寺院のひとつだったが、中国の陶磁器そっくりだった。それはほのかにピンク色がかっていて、光を浴びていた。「もしここが中国人の起源地だとすれば、地上で劇的な変化があったということだ」とぼくがつぶやくと、他の人たちも同意してうなずいた。

「外世界は変容する能力を持っている」アーニエルは同意した。「だからこそもう一度変わらなければならないんだ、プラス思考で」

 神殿の中に入ってみた。心地よいお香の芳香が迎えてくれた。内なる教会のようではなかった。聖餐台も聖堂信者席もなかったのだから。そのかわり美しいカーペットがあり、安楽なストゥールがいくつかあった。中央には宝石が散りばめられた黄金の演壇があった。優美な音楽が心に触れた。演壇にはだれも坐っていなかったが、複数のストゥールに横たわる美しい毛の長い猫は、ネコ科ならではの抜け目なさを持っていた。猫たちはティッチの存在にあわてることはなかった。念のためにぼくはティッチを抱きかかえていたのだけれど、犬は無頓着に猫のほうを見て、あくびをした。

「きみはしばらく瞑想をするのもいいだろう。あるいは静かに坐って物思いにふけるのもいいかもしれない」とマヌルは説明した。「アガルタ中にこういった場所があるんだ。それをサンクチュアリー(聖域)と呼んでいるんだ」

「これは正確にあたしたちが地上で必要としているものよ」おばあちゃんが沈黙を破った。

「それは正確にわれわれが計画しているものだ」アーニエルが言った。「時間はかかるかもしれないけど、大きな変化が地球にやってこようとしている。異なる宗教はもう違いがなくなるだろう。もっとも聖なる場所はわれわれの内側にあるのだ。それはこのような空間の中に見いだされるだろう」

「あなたがたはここに神を感じることができるでしょう」わが親愛なるおばあちゃんはそう言いながら両手を合わせた。「アーメン!」

「ねえ、神を一種のマスターと考えてもいいのかな」ヴァルはたずねた。「ぼくはそうしてるよ」

「神はもうひとつの次元にいて、わたしたちのことを常時見ているのじゃないかしら」おばあちゃんは確信を持って言った。

 マヌルはおばあちゃんを見てほほえんだ。「実際、ここに神の像のようなものがあるわけじゃないんだ」彼はやさしく指摘した。「神はわれわれの内にある。だから愛の声に耳を傾けなければならない。それがアーニエルの言おうとしたことだ」

 ヴァルはストゥールに坐り、頭を両手で抱えた。思うに、彼は泣いていたのだろう。彼の受けた厳格な宗教教育と比べると、これは天恵といえた。おばあちゃんと夫もまた坐り、地上の居住者がよくやるように両手を叩いた。最後にはみんな寺院の柔らかいカーペットのフロアに坐った。ティッチは両前脚に頭を埋めていたが、これは満足しているというしぐさだった。われわれはここを立ち去った。

 町全体が大きく、輝かしい楽しみの体験だった。しかし賢者の男、賢者の女と会うことはなかった。会うのは、子供や大人を含む幸せで満ち足りた人ばかりだった。現代中国の痕跡は起源地に見つけることができなかった。

「日本もまったく同じですよ」とアーニエルは言った。「地上でネガティブな影響がどれだけ成功しているかお見せしたい。しかしながらそれぞれの国が魂を持っている。そこに起源なるものが保存されているのだ。だから地球を救うのに遅すぎるということはない」

「正確に何が起ころうとしているんです?」ヴァルは食い下がった。彼は真実を探求していた。

 アーニエルはにっこり笑った。「いま準備が進んでいるところだ。急いで起源なるものを見せたい。地球は新しい局面に入ろうとしているんだ。といっても災難だらけということなんだけどね。のちの地球は今とはまったく異なったものになっているだろう。それは姿を変え、かつて持っていた魅惑的な美しさを取り戻すことになるだろう」

「人に関してはどうなんですか」ヴァルはまだこだわっていた。「法王やバチカンにいるその他の人には何が起こるのでしょうか」

「彼らがどうなるかは、自分自身の選択次第だといえるだろう。多くの人はここアガルタで最期を迎えたいと思うだろう。ここからほかの惑星に行きたいと考える人もいるかもしれない。不幸なことに、多くの人がここで死ぬかもしれない。しかし彼らの魂は定まった運命を持っているのだ」

「お父さんをここに連れてこようとは思わない」ヴァルはブツブツ言った。「でもおじのラインフォートがここを好きでなかったのは、恥ずべきことだよ」

 ホバークラフトに着き、みなが着席した頃には論議も終わっていた。

 ここの気候としては例にないほど暑い日だった。ぼくがこの点を指摘すると、マヌルはこたえた。

「これは地表の気候変動の結果なんだよ。今、より頻繁に違いを感じるんだ。以前には起こらなかったことだ。数千年の間ではじめて、地上で脈打ち、地球の外殻を貫通する憎悪と憤怒の影響を感じているのだ。われわれは地表でまき散らされているネガティブ思考から守られている。しかしよりたくさんの地表居住者がアガルタへの道を見つけるだろうから、われわれは影響を感じることになる。われわれはハッチを閉めて戦いの準備をして、Dデイに備えなければならない。そのときにはわれわれのことは地上で知られ、地上居住者を助けようとするだろう」

「ああ、間に会った! 女神に感謝!」カオスがそう叫んだ。

「腹ペコだ!」ヴァルは家のまわりを見まわしながら大声で言った。われわれはみなその日のことについて坐って論議するために家に集まった。マスターたちはいなくなっていた。

「何か食べ物を持ってくるわ」とシシーラはいった。「テーブルのところに腰かけて。食べ物はもう少し待って」

「何か食べられるかな?」ヴァルはキッチンをうろつきながらたずねた。「ここには調理するものがないんだ。エドムンドの家では二回料理を作ったことがあるけど、ここでは肉料理を作るのが許されていないようだし」

「ここじゃだめよ!」シシーラはあわててこたえた。「あなたが必要な野菜は何でも作るわ、だから言ってちょうだい」

 妻とヴァルは極上の料理を出すために秘密裏にふたりの時間を持っていた。ヴァルは煮ること、フライにすること、ローストすることを主張した。そうして輝かしい結果が得られるだろう。

「地上波偉大なるシェフを失ってしまったようだな」ぼくは若者の肩に手を置いてそうつぶやいた。

「「ぼくがここに来る前にどうやって生き延びたか、わかるかな。バチカンから盗んだお金はそう長くはつづかなかった。逃げながらぼくはコックをやったんだ。テロスの住人が思考によって料理を作るってことは知ってるよ。でもぼくは両手を使うのが好きなんだ」

 みんな食事を楽しんだ。でも妻は材料を作るのにエネルギーを使い果たしてしまったようだ。材料の一部は彼女が知らないものだった。

 おばあちゃんは強く感銘を受けたようだった。彼女は食べながら、ヴァルを称賛しつづけた。ヴァルはマスター・シェフになるべきだとさえ主張した。

「なんて楽しいんだ」ヴァルの顔は誇りで輝いていた。「喜んでいつでも作るよ。料理がだめなら、退屈で死んでしまうよ。ここはほんとによく組織化されている。食べたいときに食べるだけじゃないからね」

 シシーラは疑い深そうに彼を見た。「わたしたちはいつももっとも簡単な方法を見つけるわ」と彼女は言った。「もし違うことを示唆するなら、マスターにまず相談すべきね。彼らがあなたの邪魔をするとは思えないもの。あなたはわたしたちに何かを教えることができるわ」

「レストランを開きましょう!」おばあちゃんは喜んで叫んだ。「ヴァルがシェフね。これは大成功だと思うわ。お金のことを抜きにしても」

 エミリーが想像したものとは違っていたかもしれないけれど、とにかくぼくは今言ったことをそのまま実現した。しかしこれはまた別の物語である。


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