アルジャジーラのボン教村報告 

 「ボン教ミステリー」の中で使用されているクントゥ・サンポの壁画や卍(ユンドゥン)、ア(ཨ)字などの画像をご覧いただきたい。これらはじつはネパールのアンナプルナ・サーキットの北方の山地にあるボン教村、ルブラで私自身が撮ったものである。アルジャジーラのレポート(2026年6月21日)によると、この希少なボン教村が気候変動の脅威にさらされているという。言い換えるなら、この地域は近年何度も洪水に襲われ、多くの家屋や畑が流され、村は存亡の危機に直面している。

記事の冒頭部分で、ボン教についての説明がなされている。

 

ボン教はチベットの土着の宗教とみなされている。その正確な歴史的起源は不明だが、古代チベットだけでなく、ペルシャや中央アジア、中国の影響を受けていると考えられている。

ボン教の村は仏教の村と非常によく似ている。ラマの遺体や遺灰、遺物を納めたモニュメント(ストゥーパ)であるチョルテンが点在し、道には祈りの言葉[マントラ]が刻まれた石の山が積み重なったマニ壁が続く。実際、今日のボン教、すなわちユンドゥン・ボンの修行法は多くの点で仏教のそれと似ていて、悟りを主な目的とするのも同じだ。

しかし、細かい点においてボン教は仏教と異なっている。案内した僧侶ツルティムの栗色の衣は青の縁取りが施されていて、彼がボン教徒であることを示している。彼はチョルテンの回りを仏教徒とは逆の反時計回りに回る。

ルブラの僧院にはボン教の神々が祀られている。その一つはボン教の創始者として崇敬されるトンパ・シェンラブ・ミウォである。シェンラブは仏陀の誕生より何千年も前に、神話の地オルモルンリンで生まれたと言われている。この宗教はまた、仏教以前の独自の儀式や宇宙創造の物語を保持している。

 

このルブラ村の地域を含むムスタン地区の北部、ロー王国(ムスタン王国)は、かつてシャンシュン王国の一部だった。すでに述べたように、ボン教はシャンシュン王国で発達したと言われている。しかし7世紀にシャンシュンは吐蕃(ヤルルン朝チベット)に併合され、独立を失った。仏教が国教的なステータスを得ると、ボン教徒は難民化し、ムスタン地区にたくさんのボン教徒が流入したという。ボン教ラマがルブラにやってきたのは11世紀だった。その頃にボン寺が建てられたと思われるが、今のプンツォク・リン(僧院)が建てられたのは時代が下って19世紀半ばのことである。

ボン教は実践的な宗教である。村にはニャムロン・プを始めとする12の瞑想洞窟があり、そこで瞑想修行するのはボン教の精神文化の一部である。ボン教の僧侶はニンマ派と同じく基本的に在家僧であり、結婚し、子供をもうけるのが一般的だ。こうしてルブラ村は途絶えることなく繁栄を誇ってきた。

村にはまたチャシ・ケンツェ寄宿学校があり、各地のボン教徒の子供105人が学んでいる。この学校が存続するかぎり、ボン教の灯が消えることはないだろう。

洞窟にはかつて悪魔が棲んでいた。グル・タシ・ギャルツェンがやってきて、悪魔を調伏し、助けてやるかわりに村の守護神になるよう要請した。それが丘の頂に住む守護神ユルサである。

村はユルサに守られ、長い間平穏が保たれてきた。今まで洪水が起こるのは珍しくなかったが、最近は頻繁に発生するようになり、規模も大きくなっている。

度重なる洪水被害によって、村の住人が減り、ボン教も存続の危機に瀕している。とくに2021年の被害が大きかったという。2023年にはこの村の南方のカグベニ(現在も一妻多夫制が残る伝統的な地域である)が洪水に見舞われた。

私(宮本)自身、2000年代、毎年のように6,7月頃、インド北部のキナウル地方を訪れていたので、どれだけ自然災害が猛威を振るっていたか、体験を交えて説明することができる。被災者になったこともあり、インド陸軍の最新ロシア製ヘリコプターによって救出されたこともあった。

パキスタンのカラコルム山地からインド、ネパールのヒマラヤ山脈にかけて、随所で洪水被害や土砂崩れなどが発生するようになった。ルブラ村で起こっていることは、ほかの地域でも起こっているのである。チベットに仏教をもたらしたタントラ僧パドマサンバヴァの出身地とされるパキスタンのスワート渓谷(私はここにあったテロリストに破壊された古い摩崖仏の最後の目撃者となった)も、洪水被害で有名になった。

こうしたことは温暖化によって氷河が消失し、あらたにできた氷河湖が決壊することによって洪水が発生しやすくなっていることと関係が深いだろう。ただ残念ながらアルジャジーラの記事はそこまで踏み込んでいない。