アルタイ・ヒマラヤ旅日記
4 ラダック
インドラ、アグニ、スーリヤ。気、火、太陽! ヒンドゥー教のトリムルティ・トリニティ(三神一体)を後ろに残す。ヴェーダの古代サラスヴァティー、大いなるIndはわれわれを雪の多い源流へと導く。ガンジスが挨拶しているかのよう――席、黙考――それからIndは動き、ゆるぎないこと、激しいことを示唆する。いかにおびきよせるか、いかにしくじらないかがヒンドゥークシとパミールの国々での動き方だ。
ふたたびキャラバン。ふたたび日々。日時はあらかじめ忘れられている。日の特徴は数字や名より重要になる。中身によって、つまり「戦争の年」とか「痩せた穀物の年」のように年を名づけるエジプト人のように、日々の特徴だけを記す。馬の日。雪が積もった橋の上で落馬したから。狼の夜。群れが野営地に近づいてきたから。鷲の夜明け。黄金の鷲が羽根をヒューっと鳴らしてテントをかすめていったから。城の日暮れ。燃える赤銅の山頂から不意に城の姿が飛び出してきたかのようだったから。
ターバンのように見える場所で、われわれの目の前に現れた岩はぼろぼろの帽子のように見えた。
ブッダの国へ向かう道。
ブッダの特徴をあげよう。サキャ・ムニ。サキャ氏族の賢人。獅子サキャ。バガヴァット。神聖なる者。サッダ。教師。ジーナ。征服者。
このようにブッダは熱狂者や偽善者に語った。「あなたがたの規則は貶められ、ばかばかしくなった。あなたがたのひとりは裸で歩いている。ほかのだれかは水差しや大皿の食べ物からは食べようとしないし、仲間の間にはさまれて、あるいは二つの皿の間では、テーブルにつくのを拒むだろう。だれかは、妊娠した女性がいる家からの、あるいは犬と出会った家からの施しは受けとらない。ある者は二つ目の器からの施しは食べない。あるいは七口目の食べ物は拒むだろう。ある者はベンチやマットには坐らない。ある者は棘の枝の上や牛の糞の上に裸で寝る。何を期待しているのか、自発的な勤務者よ。そのたいへんな務めとやらをしている者よ。あなたは施しや平民からの尊敬を待ち望んでいる。それらを勝ち得たとき、あなたは現在の生活に満悦するだろう。そしてその生活を捨て去ろうとは思わない。訪問者が遠くからやってくるのを見たとき、深い瞑想の中で予想したとおりのことが起きていると思い込む。粗末な食べ物が施されたとき、あなたはそれをほかの人に渡し、おいしいものは自分のためにとっておくだろう。あなたは悪癖や欲情に屈するだろう。あなたは平然として慎み深い顔を見せるだろう。本当の苦行とは、こういうものではない。
ブッダがカーシャパを改宗させるのに、6年かかったという。カーシャパの頑固なほどの確信が覆されるまで、ブッダは祭壇の火を着けたが、彼にとってそれはとても奇異なものだった。ブッダは新しい教義に古い権威を加えたのだ。美しいものや科学的理性、いきいきとした覚醒などが呼び起こされたとしても、古い要塞は堅固だった。迷信的で無用な聖なる火を消し、単純な美しさを理解させるのにさえ6年を要したことを考えあわせると、ブッダが偏見を打ち破るのがいかに大変かがわかるというものだ。
ブッダの80年の使命は、つねに教えを説くということだった。人の目の前で教えがいかに曲解されるか見ること、どれだけ多くの支配者や司祭が自身興味ある場合のみ教えを受け入れているかを理解すること、新しい因習ができつつあることを予見すること……。
力の無益さを理解しているブッダはこう言うだろう。
「行け、物乞いたちよ。救済と恩恵を人々にもたらせよ」
この言葉、「物乞いたち」は彼の福音書のなかに含まれているだろう。神像に金メッキをして、殺してはいけない、飲酒はよくない、過度はよくないと戒める偉大なる教師ブッダの像ができあがる。このパワフルな像は人々を価値の再評価へ、労働と達成の再評価へと導く。
何度もブッダの教えは純化された。しかしまたもすぐにそれは偏見の煤(すす)によって覆われた。その力強さは粉々に打ち砕かれて論文の山に、形而上学的専門用語の山になってしまった。それらによって仏教誕生よりずっと前に確立されたシャーマニズム的なボン教信仰の要塞であるラマユル僧院の壁を建てるのに役立ったとしても、どうして驚くだろうか。*ラマユル僧院がもともとボン教寺院だったというフランケの説は、現在では否定されている。しかし(訳者の考えでは)より古代にさかのぼれば完全に否定することはできない。
それにもかかわらずこのことは健全な理解をもたらした。彼らは教えを純化することに慣れていたのだ。もちろんそれはラージャグリハ(王舎城)、ヴァイシャーリー(毘舎離)、パトナ(パータリプトラ、華氏城)で行われた、もともとのシンプルさに戻そうという宗教会議(結集)ではなかった。しかし強い意志を持った個々の教師たちは教えの美しい姿を明かそうと切実に願った。たとえば、因習を打ち破り、生き残りをかけて必死のボン教の呪術と戦ったアティーシャがそうだ。インド北部全体にマハーヤーナを広めたアシュヴァゴーシャ(馬鳴)もそうだ。彼は人々に確信をもたせ、視覚化して訴えるために劇を創作したという。大胆なナーガールジュナはユムツォ湖で蛇の王ナーギに説法をし、智慧を収穫したという。チベットのオルフェウスというべきミラレパは動物に囲まれて坐り、山々の予言的な声に耳を傾けたという。パドマサンバヴァは紅帽派(ニンマ派)の因習勢力によってゆがめられた自然の力を倒した。チベット全体で愛されているのは、明晰で実行力のある黄帽派の教祖であるツォンカパ。それ以外にも、世の中の変化を理解し、ブッダの教えを埃の中から救い出した大勢の孤高の人々がいる。彼らの著作もまた、型通りの儀礼のかび臭い上塗りに覆われてしまうだろう。ブッダの教えを受け入れていても、日常的な人間の、型にはまった心は、すぐ偏見に満ちた衣に包まれてしまうのだ。
(つづく)