(14) アブルッツォ公爵、ルウェンゾリ最高峰に初登頂 

 1891年にはエミル・パシャの探検隊に参加していたF・スタルマンが4036メートルの地点に達している。積雪ラインまであと少しである。G・F・エリオットは1894年、3962メートルの地点に達し、5つの谷で植生や動物の調査をしている。C・S・ムーアを長とする英国の科学調査遠征隊は1900年にモブク谷の4541メートルの地点に達した。同じ年にウガンダの英国植民地の高等弁務官であるハリー・ジョンストンもモブク谷の4520メートルの地点に達している。1901年にはW・H・ワイルドとウォード、1903年にはA・B・フィッシャー卿が挑んでいる。1904年になるとJ・J・デーヴィッドがついに5000メートルに到達した。1905年にはウィリアム・ダグラス・フレッシュフィールドとアーノルド・ルイス・マム、A・F・R・ウォラストン、1906年にR・グラウアーが二人の英国人宣教師とともにモブク谷に達している。

 そしてついにルウェンゾリの最高峰登頂に成功する。最初の登山者になったのはアブルッツォ公爵サヴォイのルイージだった。アブルッツォ公爵は11人のイタリア人を集めて遠征隊を編成した。その内訳は、3人の地球物理学者、写真家、彼の助手、医師、動物学者、4人の高山ガイド、コックだった。300人のアフリカ人が雇われたが、彼らはビクトリアからフォート・ポータルまでのポーターだった。これは探検家と出資するサポーターが同一であればじつにうまくいくということを示している。



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