映画版『宝瓶宮福音書』の失敗 

 2007年頃、ハリウッドでは宝瓶宮福音書の映画化が話題になっていた。製作費は2千万ドルで、実写とアニメーションを組み合わせたものになるはずだった。なぜ製作が頓挫したかといえば、キリスト教方面からの強い反対があったためと思われる。歴史的なイエスとあまりにも違いすぎるというのである。

 そもそもこの映画は聖書をもとにしたのでなく、20世紀はじめに出版されたダウリングのインスピレーションによって書かれた書物である。これを「根拠がない」と批判するのは的外れである。しかし宗教関係者を激怒させてしまったのは間違いない。

 イエスが古代エジプトやギリシャ、イラン、インド、チベットなどに行ったと仮定するだけで、「実際に行った」と信じる人々が出てくるというのだろう。そういうエセ信者はほっとけばいいのにと思う。世界中に叡智を求めるイエスは、聖書に描かれるイエスとはまったくの別人であることに信者なら気づくはずだ。

 モンティ・パイソンのコメディ映画『ライフ・オブ・ブライアン』(1979)に見習うべきだった。ブライアンは、偶然イエスと同じ日に生まれたブライアンというユダヤ人青年が救世主と勘違いされ、さまざまな騒動を起こすというストーリー。どう見てもイエスそのものなのだが、ブライアンという別人物なので、宗教団体に批判されるいわれはない。宝瓶宮の映画化も、何らかの逃げ口を用意しておくべきだった。ただコメディ映画だからこそパロディが許せたわけで、ニューエイジ映画とは状況が異なっていた。

 創作物として考えると、ニューエイジ・イエスは大いに期待されるテーマだった。実際、1世紀はじめのインドは現在のインドとかなり違っていただろう。当時は宗教哲学の面では、ヒンドゥー教(バラモン教)はまだ熟しておらず、大乗仏教登場前夜のテーラワーダ仏教のほうがはるかに勢いがあったはずである。

 30歳前のイエスなら、山で修行する仏教やバラモン教に感銘を受け、インドに住みつき、イスラエルに戻ることはなかったろう。磔刑の死を免れて余生をインドで過ごしたなら、イスラエルでのことはすべて忘れ、修行生活に明け暮れたことだろう。

 アレクサンダー大王の時代のあと、紀元前2世紀から起源1世紀にかけて、グリーク王朝がいくつも建てられた。当時イスラエルにいた青年が、グリーク兵としてインドへ赴く可能性は十分にあっただろう。しかし彼とは別にイエスがイスラエルの地に生まれていたはずである。