月暦の重要性
西欧の占星術はいわば太陽占いである。ゾディアック(黄道十二宮)の12の宮は黄道上の太陽の見かけの運行によって決定される。それぞれの宮は、太陽があらわす典型的な特徴のひとつであり、天空上の太陽の運行による影響を反映している。
東洋では一年は12の朔望月からなる。それぞれの27あるいは28の月宿は、いわば月のゾディアックであり、われわれの日々の生活は月の満ち欠けと関連していると考えられる。潮の干満、植物の成長、天候、生理のサイクル、個人の精神状態などはみな月のサイクルの影響を受けていることはよく知られている。満月の日、精神の高揚はピークに達し、事故や暴力的行為、精神的危機などが増加する。この月の影響のパワーは利用されることもある。仏教暦では満月はブッダの日であり、瞑想の実践にあてられる。このようにエネルギーの強化が利用されるのだ。
西欧の占星術は月の重要性に気づいていないわけではなかった。ただし、たとえば現在では魔術のなかにのみ使われる月宿など、その影響の一面を無視してきたのも事実である。東洋の占星術の月と調和する場所といった概念は西欧には存在しない。西欧の太陽を中心とする占星術を好む傾向は、拡張する文化、具体的な創造、外部への適応といったことに適応している。太陽は創造性に富んだ自我、個人の意思や野望、支配の衝動を象徴している。それらは社会のなかで価値を発揮するものだ。一方、月は不完全、変化、流動性を象徴する惑星である。その速い流れは、現象の一瞬さ、移ろいやすさを示している。そしてその光は世界の幻像を反射する心の鏡の光のようなものである。それは深い精神現象、変化する感情、夢、達成されないものと変わるもの、世界の本質的、あるいは相対的なものを象徴している。
仏教においては、月は現象世界を描く好ましいアナロジーである。チベットの仏教経典にはつぎのように書かれる。「水に映る幻影のように、感覚の多様性に魅了され、人ははてしなくさまよい、サムサーラ(輪廻転生)から抜け出せない」。これは月の象徴性について語ったものだ。現象は無限の多様性のなかで踊り、われわれの心を魅了し、幻惑させる。あたかも水面に映る月を本物の月とまちがうかのように。
月はまた熟考と瞑想の象徴でもある。世界の扇動に心を乱されるとき、瞑想者が心を静めると、すべてを反射する一点の曇りもない平静な心の鏡があらわれる。月はこのように叡智と覚醒の心、ボーディチッタをあらわしている。
チベットや中国と同様、インドでは現象世界の変動する、また不完全な本質を強調する。理解しようという努力は物質的な征服ではなく、個々の自分自身の気づきである。このことから月の占星術が選ばれることになる。