バガン壁画礼賛 バガンで途方に暮れる
<アーナンダ寺院>(1) Ananda Paya
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バガン朝のチャンシッター王の時代(在位1084−1113)、インドのガンダマダナ山から8人の聖僧が宮廷にやってきた。ガンダマダナ山はインド神話に現れる世界の中心を取り囲む4つの山脈のうちのひとつで、薬草の故郷とされる。信心深い王は彼らのために僧院を建て、雨安居の3か月間は毎日食べ物を供したという。
チャンシッタ王はガンダマダナ山にあるナンダムラ洞窟を見たいと切望するようになった。ある日、彼らにそう懇願すると、彼らは呪文を唱えて、王の面前に洞窟を現出した。王はそれをモデルとしてアーナンダ寺院を建設したという。
この伝説がどれほど現実を反映しているかわからないが、アノーヤター王が1044年にバガン朝を統一したのに対し、2代あとのチャンシッター王が大宗教国家を確立したことがうかがえるエピソードである。実際にわれわれが目にするアーナンダ寺院は、巨大であるだけでなく、レイアウトから明確な意図の感じ取れる建造物だ。
中心に円がある十字を書いてみよう。それぞれの線(壁龕)の奥に仏像を置く。
これら四仏は、過去仏とゴータマ・ブッダである。北にカクサンダ(サンスクリットでKrakhuccanda。グ留孫仏)、東にコーガナマナ(サンスクリットでKonakamuni。グ那含牟尼仏)、南にカッサパ(サンスクリットでKasyapa。迦葉仏)、西にサキャムニ(サンスクリットでShakyamuni。釈迦牟尼)が配置されている。
日本では過去七仏が一般的だが、前三仏(過去荘厳劫千仏の最後の三仏)を除いた四仏(現在賢劫千仏の最初の四仏)がここでは崇拝されている。
一般的な日本の仏教徒からすれば、釈迦以外ではカッサパ(カシャパ、迦葉)しかなじみがなく、しかもこの迦葉は釈迦十大弟子の迦葉ではないとなれば、ほとんど見たことのない仏像ということになる。しかし仏像は仏像だからと、とりあえず手を合わせるのが日本人スピリットだろう。
この十字型の建造物内部には、2つの回廊がめぐらされている。そのあちらこちらにアーチ型天井が使われているせいか、日本の仏教建築にはありえないエキゾチックな雰囲気が醸し出されている。
迷路のような回廊を歩きながら壁画や小さな壁龕の仏像を眺めるうち、本当に迷子になってしまう。四仏の仏像にたどりついても、それが東西南北の仏のどれかわからず、ぐるぐると回りつづけることになってしまいそうだ。しかしそれもまた功徳を積むことになるのだ。篤信的迷子とでも言おうか……。