バガン壁画礼賛 バガンで途方に暮れる
<ダマヤンチー寺院> Dhammayangyi Paya
巨大なポーチコ(柱廊式玄関)から暗い回廊に入ると、ふだん嗅ぎ慣れていない刺激臭を感じた。
「コウモリです」と勝手に案内をはじめた地元の女の子たちがたどたどしい日本語で説明する。コウモリという言葉を覚えるくらいだから、多くの日本人観光客がこの匂いを不思議に思うのだろう。足元にはコウモリの糞がたくさん落ちていた。
この寺院のフレスコ画はさほど見るべきものがないが、少なくともいくつかの彫像は珠玉の名作である。昔、はじめて中国僧の像を見たとき、おそらくモデル以上に生命力をもってしまった典型だろうと思ったものである。それがどこの寺院であったかすっかり忘れていたのだが、予期せぬところで再会し、その躍動感にまた深く心を動かされることになった。
そして今回はかわいらしい金色の涅槃仏を見て、いたく気に入った。前回はなぜ見落としてしまったのだろうか。二体の金色の仏像もまた堅苦しくないのに尊い感じがあって、やはりお気に入りの仏像の仲間入りをした。
ダマヤンチー寺院にはどこか不吉な雰囲気が漂っている。それは寺院を建てた王の惨い死に方と関係があるだろう。
ナラトゥ王(在位1163−1165)は、自分が処刑した妻(王妃)の父親であるインドのパテイッカヤ王が送った8人の刺客によって暗殺されたという。彼はカラジャ(インド人に殺された者)というあだ名で呼ばれるようになった。
しかし学者によれば、彼の死はインド人によるものではなく、シンハリ人のパラカマ・バフ(在位1153−1186)の1165年の侵攻と関係があるのだという。シンハリ王は、バガン朝のシンハリ商人に対する扱いに不満を持っていた。商人へ課される税も高すぎるとシンハリ王は主張した。
ダマヤンチー寺院を建てた動機も、前王の父親と兄の王子を殺して王位に就いたことの罪滅ぼしからだったという。これらのエピソードのどれほどが歴史的事実かはわからないが、血まみれの為政者の統治はやはり血によって終結するものなのだ。