奥様は魔女の秘密 宮本神酒男
魔女やウイッチクラフトに関するたくさんの本を読んでいるわたしはちょっとしたウイッチ(魔女)専門家になりつつある。そのついでにドラマ・チャンネルで現在放映されている、子供の頃大好きだったシットコム(シチュエーション・コメディ)ドラマの名作『奥様は魔女』(1964-72)を見直してみた。あらためて見ると新鮮で、すごく面白い。面白いのだけど、魔術や魔女についての誤解を拡散してしまった面もあるだろう。
面白いだけでなく、日本語吹き替えで見ても、驚くべき発見がたくさんあった。原語音声に切り替えると、もっとたくさんの発見があった。翻訳の間違いや現代と異なる表現も多々あった。さらに、ネットを覗いてみると、多くの人が勘違いをしていることに気がついた。「主人公のサマンサは魔法をかけるとき、鼻を動かしているのか、口を動かしているのか」なんて質問もあった。もちろん建前上鼻を動かすことになっているが、実際は口と頬を動かしているのだ。
●『奥様は魔女』の原題は<Bewitched>。[この語のなかにwitch(魔女)が含まれる] 「魔法をかけられて」と「魅了されて」のダブルの意味がある。それをタイトルにしても日本人にはピンとこないので、この邦題はそんなに冴えてはいないけど、悪くはないだろう。日本のテレビ局は『へんしん!サマンサ』というタイトルにしたことがあったらしいが、これは最悪。定着しなくてよかった。
なおドラマ中、「魔法をかける」場合の魔法はマジックではなく、ウイッチクラフトと言っている。おそらくマジックというと、手品のイメージがあるからだろう。それにウイッチ(魔女)のクラフト(わざ)はサマンサの魔法、魔術にぴったりの言葉だ。
●ドラマの冒頭、テーマ音楽とともに「奥さまの名前はサマンサ。そして旦那様はダーリン。ごく普通の二人はごく普通に恋をして、ごく普通に結婚しました。でも唯一違っていたのは、奥様は魔女だったのです」というナレーションが入る。原語では何と言っているのだろうと思って音声を切り替えると……何も言っていなかった。ナレーションはなく、テーマ音楽だけでアニメーションが流れていたのである。最初は名ナレーションと思っていたが、シーズンを重ねるごとにだんだんうっとうしく感じるようになった。なお「私のかわいい人」という意味のダーリン(darling)と旦那の名前のダーリン(Darrin)は音が違うので注意。おなじ発音と思ってしまうのは日本人だけかもしれない。「愛する人」という意味ではスイートハートと呼んでいる。
●魔女は鼻をピクピクさせて魔法をかける?
このドラマに特徴的なのは、サマンサが鼻をピクピクさせて魔法をかけることである。歴史上の、あるいは文学上の魔女はこんなことをしただろうか。もちろんこんなことをする魔女はいなかった。じつは主役を演じるエリザベス・モンゴメリーの発案なのだという。
これはわたしの憶測だけれど、鼻ピクピク(nose twitch)のtwitchにwitchが含まれていることから思いついたのではなかろうか。ただtwitchのほかにwiggleという言葉もある。
動かすのはあくまで鼻ということになっている。夫のダーリンが妻サマンサに「うちで魔法を使ってはダメだよ」と言うとき、「魔法の鼻(magical
nose)を使ってはダメ」と言っている。ダーリンが魔法を使うようサマンサに頼むときは、手で自分の鼻をつまんで動かし「あれやってよ」と言う。
人間は口を動かすことはできるが、鼻を自在に動かすことはできない。魔女だからこそ<nose-twitching>できるのである。もちろん実際は、上唇の左右辺を動かしているのであって、厳密には鼻を動かしているわけではない。口と頬が動くことで、鼻がピクつき、効果音(リングトーン)との組み合わせで、条件反射的に魔法をかけているようにわれわれは感じるのである。なお娘のタビサ(タバサ)は幼なかったので、指で鼻をつまんで動かしている。
今気づいたのだが、シーズン4エピソード25のタイトルは<To twitch or not twitch>(やるか! ドウスル?)である。原題はもちろんハムレットの「生きるべきか、死ぬべきか」(To
be or not to be)を引っかけたもの。邦題はあまりにひどいが、六十年前の日本の文化レベルはこんなものだったのか。
夜、激しい雨の中を車が走っている。運転しているのはダーリン。助手席にはサマンサ。話題は魔法(ウイッチクラフト)を使うべきか使わぬべきか。ダーリンは言う、世間の普通の夫婦は魔法を使わないで生活している、だからよほどのことがないかぎり使うべきではない、と。そのとき突然パンクする。タイヤ交換しなければならないが、外はどしゃぶり。ダーリンは前言を翻してサマンサに魔法を使う(twitchする)よう頼むが、彼女はへそを曲げていて使おうとしない。招待されたパーティ会場(スポンサーの邸宅?)に到着したとき、ダーリンはびしょぬれだった。
●娘の名はタビサ? タバサ?
サマンサの娘の名はシーズン4まではタバサ、シーズン5以降はタビサに変わっている[シーズン4エピソード22「もてて、もてて困りたい(A Prince
of a Guy)」のクレジットはタビサになっているが、劇中エンドラは孫娘をタバサと呼んでいる]。ただし日本の吹き替えでは最後までタバサで通している。ウィキペディアさえもが(現時点で)タバサに改変されている。1974年にスピンオフのドラマ『タバサ』が作られているが、原題は『タビサ(Tabitha)』である。
サマンサ役のエリザベス・モンゴメリー自身がタバサという名前を嫌っていたというから、彼女がプロデューサー(実生活の夫)に言って変えてもらったのだろう。彼女がこだわるのもわかる。聖書に登場するのはタビサであり(邦訳ではタビタ)、タバサではないからだ。タビサとは、アラム語(イエスが話していた言葉)でガゼルという意味だという。聖書では、タビタ(タビサ)という名のキリスト教初期の敬虔なキリスト教徒が亡くなるが、ペテロによって蘇る。
ヨッパにタビタ(これを訳すと、ドルカス、すなわち、かもしか)という女弟子がいた。数々のよい働きや施しをしていた婦人であった。ところが、そのころ病気になって死んだので、人々はそのからだを洗って、屋上の間に安置した。(……)ペテロは立って、ふたりの者に連れられてきた。彼が着くとすぐ、屋上の間に案内された。(……)ペテロはみんなの者を外に出し、ひざまずいて祈った。それから死体のほうに向いて「タビタよ、起きなさい」と言った。すると彼女は目をあけ、ペテロを見て起き直った。(『使徒行伝』第9章)
ガゼルでもドルカスガゼルという種類で、大きさはトナカイの半分(体長1m)くらい。トナカイよりも繊細でかよわい印象を与える。私はチベット高原でガゼルに似たブルーシープの群れに出会ったことがあるが、ブルーシープ(バーラル)はドルカスガゼルよりもやや大きいものの、同様の繊細な美しさを持っていた。
なおタビサ役は何代かにわたって双子(とくにエリンとダイアン・マーフィー)が演じているが、6シーズンから8シーズンはエリン・マーフィーだけが演じている。幼い配役を双子が演じるのは、アメリカではよくあることのようだ。わたしの大好きなドラマ『ミディアム 霊能者アリソン・デュボア』も末の娘は双子が演じた。幼児が演技をするのはむつかしく、撮影時に機嫌のいいほうが選ばれるのである。
サマンサの母エンドラの名は聖書の『サムエル記上』28章に出てくるエンドル(En-dor)の口寄せ(霊媒)から取られた。口寄せを魔女と呼べるかどうかとなると、微妙なところだ。
●妊婦サマンサ
米ドラマ・ファンの間では有名な話だけど、ドラマ「FBI:特別捜査班」の主役マギー(ミッシー・ペリグリム)は、シーズン2では潜入捜査に入ったという理由で、シーズン4(2022)では爆破に巻き込まれて重傷を負ったという理由で、長期姿を見せない。じつは妊娠していたためで、二人の娘が生まれている。
サマンサ役のエリザベス・モンゴメリーも「奥さまは魔女」が放映されている間に三度妊娠している。ミッシー・ぺリグリムと違うのは、お腹が大きいままドラマに出続けたことである。ドラマではひとりめの子供がタビサで、ふたりめがアダムだった。妊婦のまま演技をする(しかも二度。妊娠・出産は三度)のは前代未聞のことだが、これができたのは夫がプロデューサーだったからだろう。もしかすると最初からそれを狙っていたのかもしれない。あるいは宗教上の理由もあったのかもしれない。[整理すると、エリザベス・モンゴメリーは「奥様は魔女」収録、放送期に三度出産しているが、ドラマにおいてサマンサはふたりしか子供を産んでいないということ]
●魔王に誓って
魔女界の大物(魔女会議の議長)である母エンドラと娘サマンサは、しばしば人差し指と中指でVサインを作って目の下に指先を置き、顔を見合わせ、「魔王に誓って」と唱える。ウソ偽りは申しません、という意味である。魔王とは何だろうかと思って副音声を聞くと、母娘は「魔女の名誉にかけて(Witch's
honor)」と言っていた。魔王とはそもそも言っていないのだ。
●義母の婿いじめ
エンドラは娘サマンサが人間と結婚したのが許せず、婿のダーリンをいじめたがる。彼女は婿の名前を覚えようとせず、ダーウッド(Durwood)、ドビン(Dobbin)、デルモア(Delmore)、ダリル(Darryl)、ダーウィン(Darwin)、ダーンドゥル(Dirndl)、デルウッド(Delwood)などと呼んでいる。またつねに「下等動物」と呼び捨てている。この「下等動物」は実際何と呼ばれているのだろうか。じつはもとは「死すべきもの(mortal)=人間」である。「退屈な人間(dreary
mortal)」などと呼び捨てる。このドラマの設定では、魔女は神と同類で、「不死の存在(immortal)」なのである。ダンテの作品にでもでてきそうな時代がかった表現が面白いのだが、日本人にはわかりにくい。「下等動物」という訳は苦肉の策といえるだろう。
またエンドラやモーリスはダーリンを「類人猿」と呼ぶことがあるが、これはエイプ(ape)の直訳である。
●おかしな翻訳、微妙な翻訳
ボストン北郊の魔女裁判で有名な町セーラムに、サマンサとダーリンは行く。町の名はなぜかサレムになっている。セーラム港は日本の明治時代初期、すでによく知られていた。ペリー艦隊もここを出港していたのである。明治時代の日本人は読み方がわからず、サレムと読み慣わしていたのかもしれない。
セーラムの民俗博物館でサマンサは展示されている古い「こたつ」につきまとわれる。「こたつ」とはへんな訳で、ベッドウォーマーのことである。三百年前のヨーロッパやアメリカでは、ベッドウォーマーの取っ手の先の容器に燃えさしや熱い砂を入れ、ベッドを温めるのに使用していたのである。「こたつ」はある魔女(じつはいとこのセリーナ)によって姿を変えさせられた三百年前の男だった。
シーズン5エピソード27「猛烈パパ登場(Daddy Does His Thing)」ではサマンサの父モーリスがダーリンを「ロバ」に変える。ロバにしては大きすぎるのだが、もとの映像を見ると、ジャッカス(雄ロバ)と呼んでいる。ドンキー、ジャッカス、ミュールの区別は日本人にはむつかしい。[撮影中にディック・ヨークが倒れ、病院に運ばれた]
シーズン7エピソード28「ダーリンのママも魔女?(Samantha and the Antique Doll)でサマンサの義父がラバに変えられるが、ここではラバ(mule)と呼ばれている。たしかにドンキーよりはるかに大きく、ジャッカスよりも大きい。個人的には、私にとってもっともなじみ深いのはラバ(ミュール)である。
誤訳というわけではないが、ハロウィーンを万聖節と呼んでいる。はじめ、バンセイセツって何? と考えてしまった。逆に当時はハロウィーンと言うと、誰にもわからなかったのだろう。
「食用トカゲに変えてやる!」シーズン8エピソード9「魔力が消えちゃった!(A Plague on Maurice and Samantha)」で、サマンサの父モーリスがダーリンに脅し文句を投げつける。食用トカゲ? もとの言葉を確認すると、リーピング・リザード(Leapin'
Lizard)、つまり跳ぶトカゲである。これは「こりゃびっくり」といった感じの慣用句。実際こんな名前のトカゲがいるわけではない。こういうジョークはアメリカ英語に通じていないと考えつかないし、見る側も理解できない。
宇宙遊泳症、英語では何と言っているんだろうか。と気になったのがシーズン8エピソード16「サマンサ宇宙遊泳症になる(Samantha Is Earthbound)」だ。わたしがもっとも好きなエピソードの一つだけど、当時のアメリカの視聴者はこのドラマシリーズに飽き始めていたようだ。まさにこのエピソードから、放送日が水曜から土曜に変わったのは、視聴率が落ちていたからだった。
さて宇宙遊泳症の原語だが、答えは「特になし」だった。原題は「サマンサ、地表にとらわれる」で、重くなったことを言ってはいるが、軽くなって浮いてしまうことは題名に表れていないのだ。その意味で宇宙遊泳症のほうが秀逸といえる。<eartbound>(地表にとらわれる)は世俗にとらわれるという意味を持つので魔女の世界と対照的に人間界は想像力がなく、現世的であることを表しているのだろう。
ストーリーはこうだ。はじめ、サマンサの体が突然極度に重くなる。なんと500ポンドも体重が増えてしまった。500ポンドは227キロで、引退した逸ノ城の体重とほぼ同じだ。サマンサがソファに横になるとソファが重みで沈み、サマンサらが立ったあたりの床が沈んだ。ドクター・ボンベイの治療によって治ったかのように見えたが、今度は逆に軽くなりすぎて彼女は空中に――ほうっておけば空高く――浮かぶようになってしまうのである。
ドラマの最終回「人の心は謎々」(The Truth, Nothing But the Truth, So Help Me, Sam)で気になるのはダーリンがサマンサにプレゼントした骨董屋で見つけたユニコーンのブローチである。実際はユニコーンでなく、ヒッポカンポス(海馬)、おそらくタツノオトシゴだ。エンドラは魔法をかけて、これに近づく者は真実を話さざるを得なくしてしまう。その日の午後、予定通り顧客のコーラ・メイ・ドレスの社長夫婦がスティーブンス家にやってきた。創業者は奥さんのほうである。彼女は得意の詩作を披露する。これは詩というより広告のキャッチコピーだ。
孔子いわく、Confucius say,
小汚いのはよろしからず Don't be messy-messy
コーラ・メイを買っておしゃれで、豊かなるべし buy a Cora May dressy-wessy
最後のwessyはwealthyではないかと思う。また当時Dressy Bessy(ドレシー・ベシー)人形がはやっていたので、それにひっかけたのかもしれない。ともかく近くにユニコーンのブローチがあるのでダーリンは真実しか話せず、「なんですか、これ。冗談ですか」と顧客の女社長を思いっきりバカにしてしまう。同時に社長夫婦は真実しか言えなくなってしまったので、本格的な夫婦喧嘩に発展してしまったのである。
●サマンサら魔女は死なない?
シーズン7のあるエピソードでエンドラはモナ・リザそっくりの絵を持ってくる。ただモナ・リザの顔がサマンサになっている。この絵を描いたのは本物のダビンチだという。サマンサそっくりだが、サマンサではなく、彼女の叔母だという。でも実際はサマンサなのではないかとダーリンは疑念を持つ。そしてサマンサが何百年も年を取らないのではないかと考える。
別のエピソードで老人に変えられてしまったダーリンは、自分が年を取ったとき、若いままのサマンサは自分を愛してくれないのではないかと思い詰める。サマンサは、ダーリンが年を取るのに合わせて自分も年を取るといって老女に変身し、安心させた。
サマンサの年齢が焦点になるのはシーズン1エピソード22「サマンサは二百才?(Eye of the Beholder)」である。ダーリンはクロークの中から古い肖像写真を発見する。それにはサマンサの肖像画とともに「セーラムの乙女1682」と書かれていた[セーラムの魔女裁判は1692年3月1日から始まる]。魔女なのだから、何百年も生きていても不思議ではない。1665年の生まれだとしたら三百歳ということになる。邦題が二百才になっているのは不思議だが(当時画面を簡単に見ることができなかったのだろうか)、ここでも原題の奥深さが邦題に感じられない。
「見る者の目」とは、19世紀のアイルランドの女性作家マーガレット・ウルフ・ハンガーフォードの小説『モリー・ボーン』(1878)からの引用である。原文を訳すと「美は見る者の目の中にある」である。サマンサが何歳であろうと、ダーリンがサマンサを愛しているなら、サマンサは美しい、ということなのだろう。
しかしショックを受けたダーリンはサマンサを問い詰める。「いったい誕生日はいつなんだ」。サマンサは答える、「六月よ、六月六日」。「いつの六月六日なんだ? 今、22なのか、24なのか」「もう少し上……」
実際肖像写真が撮られたのが1682年だとしても、彼女が誕生したのが1665年頃とは限らない。すでにそのときに百歳かもしれないし、二百歳かもしれない。この秘密を知ってもサマンサを愛し続けたダーリンは気骨のある人間だったということである。
●配役の変更
不幸なことに、シーズン途中で二名が亡くなっている。ひとりはお隣さんのグラディス。強烈なインパクトを与える風貌だが、じつは末期がんをわずらっていて、シーズン2の途中で亡くなった。またシーズン5で露出の多かったクララおばさんも、収録が多忙を極める頃に亡くなった。彼女は高齢でありながら、高齢のミスばっかりする老魔女を演じた。壁を抜けようとして壁にぶつかり、煙突から家に入ろうとして落下し、煤だらけになって現れた。不明瞭なしゃべりかたは絶妙だった。声優もじつにうまく雰囲気を出していた。クララおばさんはドアノブの収集癖があるが、じつは演じるマリオン・ローンが骨董の小道具を収集するのが好きだったという。ドアノブは彼女のコレクションだったかもしれない。
ダーリンが務める広告会社社長のラリー・テイトの奥さんルイーズも、シーズン3から替わっている。うがった見方かもしれないが、初代ルイーズはきれいすぎたのではなかろうか。主役を食いかねなかった。
重大な配役変更は、なんといってもダーリン役の変更である。シーズン5の途中でおそらく十回以上ダーリンは不在となる。出張していることになっているが、突然役者(ディック・ヨーク)が降板し、オーディションを行っていたのではなかろうか。新しいダーリン(ディック・サージェント)は、じつは最初にオファーがあったが、別のドラマが決まっていたため断念したとされる。ディック・ヨークは別の映画「コルドラへの道」の撮影中に大ケガをし、鎮痛剤を服用しながらなんとか演技をつづけたという。しかしこのため鎮痛剤の依存症になってしまった。
シリーズ5エピソード27「猛烈パパ登場」(Daddy Does His Thing)の撮影中、光の点滅に反応したディック・ヨークは発作を起こし、病院に運ばれた。これが直接的な降板につながったようだ。ケガが原因というより、光過敏症で誘発されたてんかん発作のように思える。なおエピソード27はシーズンの終盤だが、収録はもっと前だろう。(出張中が長すぎないようにディック出演分をばらけて放映した)
●セックスシンボルが端役で出ていた
60年代、70年代のアイコン、ラクエル・ウェルチ(1940-2023)がじつはシーズン1エピソード8「浮気はパリで(Witch or wife)」でスチュワーデス役で出ている。飛行機に乗っているダーリンが窓の外にいるサマンサを見て驚き、騒ぎ立てたときにラクエル扮する客室乗務員が駆けつける。あらためて見ると、彼女の顔はほとんど映っていない。文字通り端役なのだ。この二年後には『ミクロの決死圏』『恐竜100万年』に出演し、ブレークし、いっきにセックスシンボルとなった。初代肉食系美女といった感じのグラマラスな女優だった。「奥様は魔女」には無名のセクシー美女がたくさん端役で登場する。ブレークするかどうかは、ほんのわずかな違いなのだろう。
シャム猫がエキゾチックな美女に変身するエピソードの美女が気になる人もいるだろう[シーズン1エピソード21「猫じゃ、猫じゃ(Ling, Ling)」]。彼女の名はグレタ・チ(チ・クーピン)。父親は中国人外交官で、母親はドイツ人、デンマーク生まれのアメリカ人。女優業を引退したあと、スイスでレストランを経営しながら暮らしているという。
じつはシーズン8エピソード12「八年目の浮気?(The Eight Year Itch Witch)にもシャム猫美女が登場する[itchはかゆみを意味するが、性的にうずうずする気持ちのこともいう。イッチとウィッチで語呂を合わせた]。トムキャット・トラクター社(あきらかにキャタピラー社をもじった名前)のモデルに応募してきたのがオフィーリアという名の美女(エンドラがダーリンに浮気させるために送り込んだシャム猫)だった。正直、グレタ・チのほうがシャム猫のイメージにあっているように思うが(オフィーリア役のジュリー・ニューマーは雌チーターか雌ライオンって感じ)、ジュリー・ニューマーはテレビドラマ版「バットマン」のキャットウーマンを演じる女優だったのだ。このキャットウーマンはゴージャスで、セクシー。当時のアメリカ人視聴者は彼女が誰であるか、そしてスペシャルゲストであることを知っていた。
●セクシーなセリーナは歌も踊りも得意
いとこのセリーナは、貞淑で明るいサマンサと見かけはそっくりだが(一人二役)、性格は真反対だった。いつも超ミニスカートをはき、いい男がいれば色仕掛けで迫った。個人的にはシーザーが(子守の魔女がシーザー・サラダを取り出そうと呪文を唱えたら、シーザーが出現した)呼び出されたエピソードに出てくるクレオパトラのセリーナがセクシーで好きだ[シーズン6エピソード4「ジュリアス・シーザー現る(Samantha's
Caesar Salad)」]。セリーナの役のときは、仕草やセリフも完全にコメディアンなのだが、その演技力はすばらしかった。当時ミニスカートがはやっていたようで、会社の受付嬢までが膝上30センチのスカートをはいている。セリーナはミニスカートで激しいゴーゴーダンスに興じ、ときにはヒッピーのかっこうをした。当時はそれがかっこいいと思われていた。
セリーナは、踊っても、歌っても(ギターを弾きながら歌う)かなりレベルが高かった。シーズン7に人気デュオがゲスト出演するエピソードがあるが、じつはこのボイス&ハートは当時本当に人気があったようだ。ビートルズ並みに人気があったモンキースに楽曲を提供していたことでも知られる。まわりでキャーキャー騒いでいる十代の女の子たちも本物のグルーピー(熱狂的ファン)だったようだ。相当有名だったにもかかわらず世間から忘れ去られているが、皮肉なことに『奥様は魔女』のおかげで半永久的に痕跡を残すことになった。
なおセリーナ役にはパンドラ・スポックスというクレジットが入っている。もしかすると放映当時の視聴者は、サマンサとセリーナは別の人が演じていると思ったかもしれない。パンドラ・スポックスはパンドラの箱(パンドラズ・ボックス)をもじった名前だ。[セリーナの最初の登場はシーズン2エピソード18「ベビー誕生(...And
Then There Were Three)」で、産婦人科の病棟のシーン]
サマンサには影武者がいたことも付記しておこう。メロディ・ジョイス・マッコード(1946-2004)はサマンサとセリーナが同時に出ているときなど、後ろ姿ですむときなどにサマンサを演じた。歳はエリザベス・モンゴメリーよりずっと若かったが、髪の色や姿かたちが似ていた。「もてて、もてて困りたい」では眠れる森の美女を演じている。
「サマンサ女王のヒッピー族(Hippie, Hippie, Hooray)」でサマンサに扮したセリーナはヒッピーのいでたちでクライアントのギディングス(ウォルター・サンド)に迫り、当惑させる。このウォルターは老齢に達しているがけっこう有名な俳優で、『市民ケーン』ではエンドラ役のアグネス・ムーアヘッドと共演している。
●スティーブンス家はユダヤ系?
シーズン1や2では、家の玄関口にユダヤの燭台(メノーラー)が置かれている。スティーブンス家はユダヤ系という設定なのだろうかと本気で思ってしまった。しかしクリスマスのエピソードも多く、どうやらユダヤ系というわけではなさそうだ。おそらく「人種差別はしない」というメッセージがこめられているのだろう。そもそも魔女はキリスト教徒ではないはずだが、物語の設定上キリスト教徒のように見える。
ただエリザベス・モンゴメリーの夫、プロデューサーのウィリアム・アッシャーはユダヤ系である(母親はカトリック)。彼の好みでメノーラーが置かれた可能性はあるだろう。またユダヤ教の神秘主義カバラーにおいてはメノーラーは象徴的な意味を持っている。魔女とカバラーは直接的には関係ないが、このドラマがたんなるスラップスティック(ドタバタ喜劇)ではなく、根底に深遠な神秘思想があることをほのめかしているのかもしれない。
さてシーズン7には、黒人一家がスティーブンス家を訪問し、タビサと黒人の女の子が姉妹のように仲良くなるという物議を呼んだエピソードがある。タビサが黒人になったり、黒人の女の子が白人になったりする設定は、現在ならアウトだろう。
●ドクター・ボンベイの呪文は早口言葉
シーズン7エピソード21「夫婦交換(原題は混合ダブルス Mix Doubles)」で、サマンサはある朝自分がラリーの妻ルイーズになり、ルイーズがサマンサになっていることに気づく。誰かが魔法(ウィッチクラフト)をかけたんだろうけど、誰かはわからない。困ったとき頼りになるのがドクター・ボンベイだ。ボンベイは呼ばれたとき、エベレストの頂上に到達寸前だったり、象に乗ってポロを楽しんでいたりする。このときはなぜか道化師の扮装をしていて、まわりにナースたちを侍らせていたという。ボンベイはわけのわからない治療をおこなう。彼の診断はこうだ。
It's a clear-cut case of metaphysicalmolecular disturbance.「形而上学的な分子の乱れの症状が明確に出ておるな」
そして呪文らしきものを唱えて、サマンサに唱和させる。
Willy Warlock walked awaywith Wally Walrus(ウィリー・ワーロックはワリー・ワルラスと歩き去った)
「わしはこの早口言葉(tongue twister)が好きなんじゃよ。わっはっは」
この吹き替えは「トウキョウト トッキョ キョカキョク……」だったかと思う。翻訳した人の苦労がうかがえるが、「となりのキャクはよくカキくうキャクだ」あたりが無難だったような気がする。
●サマンサは母を「お母さま」と呼ぶ
母エンドラは魔女会議の議長であり、サマンサも女王の跡継ぎにされそうになっているから(実際シーズン4のエピソード1でサマンサは魔女の女王になっているがその後詳しく描かれていない)、彼らが名門の魔女であることはまちがいない。だからサマンサは母親をマムと呼ばないで、マザーと呼ぶ。お母さまと訳そうか。エンドラはそれに対し、「マイ・チャイルド」と返す。「わが子よ」である。この英国王室のような会話が面白いのだが、訳すことができない。なおサマンサはいとこのセリーナのふるまいに怒ったとき、「いとこ!(Cousin!)」と呼びつけている。これも翻訳不能。
●魔女の女王は女教皇
シーズン4エピソード1「サマンサ女王となる(Long Live the Queen)」では魔女の女王が突然スティーブンス家にやってきて、「明日、魔女世界会議(ユニバーサル・カヴン)を開き、戴冠式を行う」と宣言し、サマンサを後継者に指名する。女王といっても人間界の話ではないので、タロットとおなじく女司祭(ハイ・プリーストレス)か女教皇(エンプレス)が正しいようだ。
女王の名はへプジバ。「列王記下」第21章1に出てくる。マナセ王(BC699-632)の母であり、ヒゼキヤ王の妻である。マナセは「悪をおこなった」王とされている。
彼はまた、主の宮の二つの庭に天の万象のために祭壇を築いた。またその子を火に焼いてささげものとし、占いをし、魔術をおこない、口寄せと魔法使いを用い、主の目の前に多くの悪をおこなって、主の怒りを引き起こした。
このマナセ王はイスラエルの王というより、魔女・魔法使いの王である。ウイッカ、ウイッチクラフトが好きなものには興味深い存在である。このマナセの母であるから、ヘプジバの名は魔女の女王にふさわしいといえる。
●セーラムの大カヴン
ウイッチやウイッチクラフト、ウイッカに興味がある人なら、カヴンという言葉はおなじみだろう。カヴンはもともと魔女の集まりを指すが、ネオペイガニズムやウイッチクラフトを信仰する人にとっては、魔女の集会を指す。シーズン7のエピソード1から8まで8回にわたってセーラム特集が組まれている。じつはセーラムで百年に一回の世界魔女会議(ユニバーサル・カヴン)が開かれたのだ。正確には魔女や魔法使い(warlocks)の会議(convention)である。
セーラムはもちろん魔女裁判で有名な町で、ドラマ『スーパーナチュラル』では主人公のモンスター退治の兄弟がセーラムを訪ねているし、ドラマ『タイムレス』でも主人公たちはタイムマシンで17世紀のセーラムに行っている。ヨーロッパほどではないにしても、アメリカにも魔女狩りはあった。セーラムの魔女裁判はヨーロッパの魔女裁判と変わりがなかった。
魔女といってもサマンサやエンドラは、伝統的な魔女とかなり違っているが、やはりあの火あぶりされた魔女たちと同類なのである。暗黒の歴史ではあるが、あまりに昔の話で現代人には現実感がなく、いまではセーラムの魔女裁判は観光の目玉である。
●魔女が持つパワー
ファンドムがリストアップする魔女の能力は以下の通り。
◍テレキネシス 心によって物体を動かす。
◍コンジュレーション 希薄な大気から物体やその他のものを生じさせる能力。
◍テレポーテーション ある場所から別の場所へ瞬間的に移動させる能力。
◍シェイプシフティング 外見を変える能力。
◍トランスモグリフィケーション 魔法の使い手が攻撃対象をほかの何かに変えるのを許す能力。
◍レビテーション 人の体を空中に浮遊させる能力。
◍スペル・キャスティング 魔法をかける能力。
●ヒッピー世代のヒッピー魔法使い
ヒッピーの時代と言えば五十年以上も前のことなので、実感がわかないほど遠い昔のことのように思える。サマンサの分身セリーヌがカリフォルニアでフラワー・パワー・ムーブメントに参加するなど、このドラマはもろに時代を映し出している。いろんないきさつがあって、エンドラはダーリンの仕事の邪魔をさせるために、ヒッピー魔法使い(warlock)のアロンゾを送り出す。
常識にとらわれない天才肌のアロンゾは、ダーリンの広告会社に押しかけて、ダーリンの仕事(コピーライター)を取ってしまおうとする。アロンゾはアンク十字架(エジプト十字架)のネックレスを使って社長のラリーにアロンゾのすべてを好むように魔法をかける。
ヒッピーのアロンゾは「わたしは宇宙の波動と同調することで力をを得て、広告業界に革命をもたらす」と豪語した。彼は部屋の隅で逆立ちをし、「オーム(AUM)」と唱えながら、禅の瞑想をする。そして起き上がり、ボードにキャッチコピー「フラーピティ・フラープ」と書きなぐる。わけのわからない言葉だが、魔法がかかっているラリーは「これはすばらしい!」とほめたたえる。これを見せられたクライアントは困惑するばかり……。 [シーズン8エピソード11「ダーリン、独立する(The
Warlock in the Gray Flannel Suit)」] なおこのエピソードのタイトル中のグレーのフランネルのスーツは、50年代、60年代のビジネスマンの典型的なスーツ姿のこと。
●スティーブンス家の住所はドラッグ文化を反映している?
サマンサとダーリン・スティーブンス夫婦(+タビサとアダム)が住む家は、ニューヨーク市から北東に52マイルのウェストポートのモーニング・グローリー・サークル1164にある。隣のクラヴィッツ家は1168である。実際にモーニング・グローリー・サークルというありふれた地名をウェストポート市に探しても、見つけることができない。
モーニング・グローリーとはアサガオのことだが、その種子はLSDと似た成分を含み、ドラッグとみなされることがあり、強烈な幻覚作用をもたらす。ドラッグを奨励しているわけではないだろうが、このストリート名は当時のはやりのサイケデリック文化を反映しているかもしれない。
ほかにもニュージャージー州パターソン、ニューヨーク州内のどこか、ニューヨーク市郊外のアーモンク(ニューヨーク州)などが住所として想定されてきた。最後の二つは同一かもしれない。
これらはいずれもアッパーミドルクラスが住む町。現在ならスティーブンス家の年収は2千万円くらいだろうか。広告会社の幹部だからもしかするとその何倍ももらっているかもしれない。サマンサが余裕で専業主婦ができるはずである。上司(社長)のラリーはしばしば部下のダーリンがスポンサーを連れて独立するのではないかと心配する。独立されないためにも高給を払っているはずだ。
設定上はスティーブンス家はニューヨーク郊外のベッドタウンにあることになっているが、撮影場所はカリフォルニア州バーバンのワーナーブラザース・ランチ・ファシリテートである。『パートリッジ・ファミリー』や『かわいい魔女ジニー』といった名作ドラマもここで撮影されたという。
ただし撮影されたのは外側だけで、部屋の中はあくまで3キロ離れたスタジオの中。突然部屋の壁に穴があき、父親モーリスが乗ったオープンカーが入ってくるシーンがあるが、もちろんスタジオだからこそできることである。
●ドラマ打ち切りの原因は恋の情事?
シリーズ8エピソード26「人の心は謎々(The Truth, Nothing But the Truth, So Help Me, Sam)」の収録を1971年12月16日に終え、制作者や出演者はクリスマスブレイクに入った。翌年1月中下旬にみな戻ってきて、さらに4エピソード収録するはずだった。しかし結局再結集することはなかった。このエピソードが最終回になってしまったのである。
このエピソードのディレクターはウィリアム・アッシャー、つまりリズ(エリザベス・モンゴメリー)の夫だった。ふたりの夫婦期間は1963年から73年で、すなわち「奥様は魔女」の撮影時期と重なっていた。リズが最後の方にやめたがっていたのは、ビル(ウィリアム)といっしょにいたくなかったからだと言われる。恋多き女性でもあるリズはドラマのディレクターのひとりリチャード・マイケルスと恋仲に陥っていた。つまり撮影現場が修羅場と化していたのである。狭い世界で浮気しているのに、ばれないはずがない。実際ビルとリズのアッシャー夫妻の関係は破綻し、彼らが関わる人気テレビドラマも終わってしまった。